「『新しい人』の方へ展」は2005年より開催され、今年で第六回を数えた(2010年4月8~14日/山脇ギャラリー)。主催者のオザキユタカ氏の文章を要約する。
大江健三郎氏の著書から名を付けた。氏の『新しい人』とは聖書に基づいている。氏は現代の対立のなかにある本当の和解をもたらす人として『新しい人』を描く。こうした思いを込めて、「自己教育」をしながら互いに連帯し語り合う多様性の連合展の実現を目指している。
オザキ氏は毎回、テーマを決めているわけではないが、その年の「言葉」に敏感なようだ。過去の展覧会の資料を紐解くと第1回は「新しい人」、第2回は「戦争をしない」、第3回は「共生」、第4回は「美しい国」、第5回は「イマジン」、今回は「思いを一つ」である。会場とメンバーに変化が見られるが、当初からの主張は一貫している。
今回の展覧会場にも、多様な分野と素材の作品が並ぶ。路面のショーウインドーにも作品が展示された。
有坂正芳《庭師の仕事》(油彩/M100号)は緑と肌色の浮き沈みに、垂れる青と桃色が印象的だ。オザキユタカの《隣国の詩―1》(油彩/S50号)は余白も色彩となり、共に完全抽象であっても《隣国の詩―2》(油彩/S20号)は微細な矩形のサイズの差異が、異なる人種との理解の余地を残している。小田切明夫《Border lands-A》(油彩/S30号)と《Border
lands-B》(油彩/S30号)は、緑と白、黒と黄の中で共に橙の矩形が大小散りばめられ「動き」を感じさせる。小野章男《道の上の空》(油彩/S50号)は太い線と深い色が物語を形成し、《人物》(油彩/M50号)においてはその線の垂直性がこの人物の瞬間を指し示している。金本清の《ゴルゴダ》(油彩/F130号)は古典的な主題を現代に用いて、その現代の虚しさを伝えてくる。
北川愛子《MemoryⅠ》(ミクストメディア/F50号)は線の勢いと空間の浮遊性が、《MemoryⅡ》(ミクストメディア/P40号)は面のテクスチャと色の対比が拮抗している。後藤栄子《そして異邦人は夢を見た》(油彩/F100号)にある矩形と円は、赤と黄の空間の中で燃えながら、漂っている。他者との交流が透けて見えてくる。此木三紅大《食事制限中》(鉄/H52×50×17cm)の万力で頬を抑えられた顔に現代の我々の「制限」を感じさせ、《力自慢》(鉄/真鍮/ステンレス/H67×30×30cm)では胴体が顔になった人物が怒りの表情を浮かべ、《弥次郎兵衛》(鉄/ステンレス/H72×50×28cm)は口を空けて一本足で立ち尽くす人物が、救いを求めている。酒井百合子《夜想曲》(油彩/F100号)は、画面上部の奥行きにより下部の赤と黄が強調され、立体感溢れる絵画であった。坂下雅道《不在Ⅰ》(水彩/54×38cm)、《不在Ⅱ》(水彩/54×38cm)、《不在Ⅲ》(水彩/54×38cm)は暗い画面の中からそれぞれ橙、緑、青を浮かび上がらせ、在る事の意味を問いている。
高橋和人の《ヤツデ》(水彩/71×55cm)、《エゾノギシギシ》(鉛筆画/57×44cm)、《セイヨウアブラナ》(鉛筆画/53×41cm)は、リアルでありながらも色合いによる清々しさを優先させている。遠山元子《生きたしるし(三番瀬)》(日本画/M60号)は死を予感させるものではなく生命の未来を予感させ、《命はぐくむ(三番瀬)》(日本画/S10号)は浜辺における貝殻拾いを記憶の奥底へ封じ込めている。星功《アウシュヴィッツ・叫び》(油彩/F60号)は胸にユダヤのマークをつけた少年たちが有刺鉄線越しに、こちらに向けて視線だけを漂わせている。牧中子《カイノース(新しい)》(油彩/組F30号×4)は、木枠を貼らずに画面中の抽象的な垂直性と色合いの感触を見せた。真住高嶺の《アルルの広場》(油彩/F120号)には人物の表情が、《マルセーユの休日》(油彩/F15号)は海の光が心に残る、落ち着いた風景画だ。
宮下泉の《ランチ・タイム》(アクリル/M100号)はポップアート的な手法を用いても強大に描かれた弁当箱の中身は「食い尽くそう」という予感に、《かん・缶・カン》(アクリル/S15号)は「飲み干される」という結果に生命力が帯びている。宮野美《追想》(墨・紙/83×150cm)の画面一杯に描かれた二つの塊は、墨で描かれたとは思えない程の重さを見せてくれる。村永泰《手をのばして》(油彩/S60号)の深い赤に手を伸ばす人物に、悲惨な時代に希望を読み取ることが出来る。百瀬邦孝《稲株の唄―赤い影》(インスタレーション・ワラ/200×200cm)はアメリカの国旗に藁の赤い影が伸びる。我々に欠かせないものとアメリカの関係を風刺している。李宣周《めぐみ》(ミクストメディア/S20号)、《Blue
Bird of
Egg》(ミクストメディア/F20号)は赤と青の対比が美しく、ここに描かれている葉のような矩形が持つ躍動感が見事だ。渡辺皓司《生きものたちの記録》(油彩/90×180cm)は細い線と滲みが創り上げる空間に、異形の生物が逞しく生き残っている。渡辺学《記憶―Ⅰ》(油彩/F80号)は黒い帯に対して垂直に流れる赤、白、青、黄が具象化されない抽象的な出来事を表し、《記憶―Ⅱ》(油彩/F20号)は山と滝か、緑と白の抽象化されない具体的な場面を表している。
顧みると、総ての作品が現状に対して立ち向かい、明るい未来を願う気持ちが託されている。このような展覧会は稀であろう。これまでとこれからの活動こそ、その果てよりも途中に、希望の灯火を分け与えていくことになるだろう。(宮田徹也)
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