「オペラひとりっ切り」シリーズが目指すもの


竹田恵子 (歌手)

 

「モノ・オペラ」から離れて
 「オペラひとりっ切り」は、私が始めた「ひとりオペラ」シリーズの名前である。代表を務めていたオペラシアターこんにゃく座を退座し、その翌年から活動を開始。オペラを一人で切ってみせるとは、少し勇まし過ぎるけれど。
 第1回公演は、2005年、加藤直演出の『賢かった三人』(宮澤賢治/原作 林光/台本・作曲 港大尋/編曲)と『めをとうし』(小熊秀雄/原作 高橋悠治/台本・作曲)。間に樋口一葉の原作の言葉をそのまま台本化し、バイオリン1挺で作曲した『にごりえ』(吉川和夫/台本・作曲 恵川智美/演出)等を経て、今年7月上演の『キャバレー「パダン・パダン――私とあたし」』で7作品目となる。
 「ひとりオペラ」は、一般的に「モノ・オペラ」といわれる。よく知られているのがプーランク作曲の『(人間の)声』。愛する男に別れを告げられた女のモノローグ。電話を片手に、強がりと哀願が入り混じった見えない相手とのせつない会話が繰り広げられ、その先に死が予感される。ジャン・コクトー台本によるこの一幕オペラは、たぶんプーランクの音楽が目指しているものとは違って、特に日本の上演では、女の内面のみが強調され、ほとんど電話線の向こう側にいる「もうひとりの人間」の存在を感じさせることがない。このような一人称の、感情過多の演奏のされ方に、私は長年疑問を感じ、おかげでそれ以来「モノ・オペラ」という言葉に拒否反応ができてしまった。音楽が、主人公の感情や心理からもっと自立し、オペラにおけるうたが、聴いているひとの情景と叙事的に結びついて、ひとりの歌い手の身体のなかに、登場人物のさまざまな声となって「物語る」ことができないか。あるいは、その物語に「さらされる」ことはできないか。それが私の「オペラひとりっ切り」シリーズの目指すべきコンセプトとなった。

大きかったこんにゃく座での経験
 私がオペラシアターこんにゃく座に在籍したのは、アルバイトも含めると1972年からの32年。その経験はとても大きなものだった。こんにゃく座は、「新しい日本のオペラの創造と普及」を目的に掲げ、1971年に創立。母体となったのは、東京芸術大学内で活動が続いた学生たちのサークル「こんにゃく体操クラブ」。故・宮川睦子氏(元東京芸術大学名誉教授)指導のもとに、身体訓練と演技の基礎訓練が行われ、このクラブの出身者たちにより、自国語のオペラ作品をレパートリーとし、恒常的にオペラを上演する専門のオペラ劇団として、オペラシアター(当初はオペラ小劇場)こんにゃく座は設立された。キャンピング・カーに寝泊まりし、炊事を行い、体育館で食事をしながら、全国巡回公演を開始。日本にオペラが紹介されてから今日に至るまで、日本では、ヨーロッパで通用するオペラ歌手の育成に多くの力が注がれてきた。その結果、日本語を歌う技術がなおざりにされ、観客は聞き取れない日本語の歌を聞かされ続けていた。そのなかで、こんにゃく座のオペラは、内容を伝える歌唱表現を獲得することを創立当初からの目的としていたため、全国の学校を中心とした公演活動を通じて、高く評価されてきた。当時「日本のオペラ」といえば「民話オペラ」。新たな創作活動を通じて、私たちの日本のオペラは変革されると考えられた。
 しかしその後、音楽監督として座に参加した林光によって、思いがけずブレヒトの『白墨の輪』と遭遇することになる。その衝撃。作品の内容にも絡むことだが、「日本語」は「日本」に属するものという内向きの発想から解かれることで、新たな地平から、日本オペラの可能性が開かれることとなった。そして日本語が、日本というくびきから解かれ、逆に、日本語を外側からみつめる目をもつことで、宮澤賢治の原作をそのまま丸ごとオペラ化してみようという発想も可能になった。モーツアルトの作品が、当たり前のように私たちの前に姿を現してくる。そして日本文学としての夏目漱石や尾崎紅葉や芥川龍之介が、外国文学としてのシェークスピアやカフカやチェーホフやセルバンテスやゴーゴリ(こんにゃく座9月の最新作は『ゴーゴリのハナ』)が、同じ土俵で、同じ「日本語」作品として成立することになる。
 ということで、このこんにゃく座での体験が、私の「ひとりオペラ」を考える原点となった。現在座とは、外部の顧問としてしか関わっていないが、こんにゃく座はいま、40周年を迎え、林光を芸術監督、萩京子を代表兼音楽監督とし、さらに規模を拡大し、約35名の歌手を擁し、年間およそ250公演の上演活動を続けている。

舞台におけるアンサンブル
 さて、「オペラひとりっ切り」シリーズの話に戻ろう。
 この「美術運動」という雑誌との関わりから、ふと考えたことを書いてみる。
 美術家にとって「私」とは、作品の中でどのように感じられるものなのだろうか。
集団創作という形があるとはいえ、ほとんどの場合、美術家は個人の作業が中心となる。白いキャンバス、あるいは粘土や版木など、対象となる素材との一対一の関係が基本だ。音楽の場合は、一人でうたう歌であっても、ピアノなどの伴奏者との協演がほとんどで、一人ということはあまりない。だがそこに「楽譜」という「物」を置いてみると、歌い手と楽譜との関係は、その楽譜から空間を意識し、音楽を描き出すという意味で、どこか美術家と素材との関係に似たものがあるような気もする。
 さらにこのシリーズで気づいたこと。
 舞台では、多くの役者(歌い手)とのアンサンブルによってオペラが生み出されていく。しかし「オペラひとりっ切り」は、歌い手ひとり。通常のオペラと違って、役者(歌い手)同士のアンサンブルはない。だがシリーズを続けてきて強く感じたのは、舞台における「アンサンブル」の意味だった。
 たとえば、シリーズでも取り組んだブレヒトの『白墨の輪』。多くの人物が登場する。それをひとりで歌い、演じ分ける。象徴的にいえば、アツダク(政変の一瞬の合間に人々によってまつり上げられた飲んだくれの裁判官/元書記)、子供を守ろうとするグルシェ(置き去りにされた領主の子供を戦火から連れ去り育てた娘)、そしてその子供を置き去りにして逃げた領主の奥方(子供の母親)。この3人を通じて、誰がその子供の親であるべきかをめぐる「白墨の輪の裁判」を通し、私は彼らを同時に経験することで、かつての集団による舞台では気づかなかった多くことを感じることができた。それはすごく大事な経験だった。「個」としての私のなかに、「幾つも」の存在がある。それが乱反射し、関わり合うなかで、実は私が「私」として存在しているということ。「アンサンブル」とはその関係であり、おそらくその「出来事」こそが、芝居やオペラのほんとうの面白さなのではないかと思えるようになった。だから役者(歌い手)がその出来事を、一人ひとりが自分のなかで感じてはじめて、集団によるアンサンブルも成立するのだという気がいまはする。

『キャバレー「パダン・パダン」――私とあたし』について
 私はなぜ歌うのだろう? 私は誰にむかって歌いたいのだろう? 幾人もの「あたし」が、そこにいる? ピアフの物語と曲を中心に、もうひとつのシャンソンであるブレヒト・ソングやフェリーニの女道化師に寄り道しながら、新しい表現としての「うた」を探す旅へ。
 これは「オペラひとりっ切り」シリーズの最新舞台『キャバレー「パダン・パダン――私とあたし」』(加藤直/台本・演出)のチラシに書かれた宣伝文句である。
 エディット・ピアフのシャンソンを中心に、クルト・ワイルの曲を挟みながら、オペラが本来接しているはずの外の世界、オペラとは無縁の人々の暮らしのなかへさらに踏み出し、そのことでオペラそのものの概念を拡張し、何か見たことのない新しい作品にしたいという思いから企画し、制作された作品である。
 ピアフを聴いて思うのは、決して感情移入された「自分」を抱きしめる物語ではないということ。ピアフのうたは、そんな「自分」とは最も遠いところで、真っ直ぐに心に響いてくる。悲しみや絶望にあっても、それが個人の感情の枠に収まらない凄さ。おかげで舞台は大変好評で、ぜひ再演をとの声が多く寄せられた。そのため、業者に依頼し当日録画した私家版ライブDVDを、今回特別に「限定販売」することとなった。販売価格3,000円。興味のある方は、竹田宛メール、あるいはFAX(045-902-9205)にて、ご住所、お名前、電話番号を記載の上、ぜひお申し込みください。