続・東北ボランテイア日記


中川 隆

2011年 9月6日 曇りのち雨

 大槌町、花壇整備。分かりやすいボラである瓦礫撤去が大人気のため、安全策を取り花壇整備に。というのも、希望のボラにせっかく並んで抽選にもれると、することがなくなる可能性が。せっかく岩手まで来て、何もせず帰るわけにはいかない。よって、花壇整備に。
 若いアメリカ人女性含め、5人で、花摘みや草むしりをした。ゼッケンをつけたボラは、何だか住民と距離がある感じが・・・。しかし、文句は言えない。やらねば!

2011年 9月7日 曇りのち雨

 被災地であるが、あるカメラマンが、大槌町でヒマワリの世話をする20歳くらいの女学生をしきりに追いかけているのを見る。彼は上手に連絡先を聞いていた。私も、男なので気持ちは分かる。しかし、1500人弱が命を落とした場所で、自分の本能に正直になることはなかなか難しいことだ。
 通りすがりの住民との会話。
『どこからきたんだい?』
『埼玉です。』
『大変だね~。』
『好きでやっているだけですから。』
と笑顔で返す。少しの会話も、宝物の思い出になる。その後は、公共の花壇だけでなく、対象外の、個人の荒れ果てた花壇まで、むきになって、整備した。とにかく、ガラスや瓦礫で荒れ放題の大槌町。

 

2011年 97日 曇りのち雨

 被災地であるが、あるカメラマンが、大槌町でヒマワリの世話をする20歳くらいの女学生をしきりに追いかけているのを見る。彼は上手に連絡先を聞いていた。私も、男なので気持ちは分かる。しかし、1500人弱が命を落とした場所で、自分の本能に正直になることはなかなか難しいことだ。
 通りすがりの住民との会話。
『どこからきたんだい?』
『埼玉です。』
『大変だね~。』
『好きでやっているだけですから。』
と笑顔で返す。少しの会話も、宝物の思い出になる。その後は、公共の花壇だけでなく、対象外の、個人の荒れ果てた花壇まで、むきになって、整備した。とにかく、ガラスや瓦礫で荒れ放題の大槌町。

2011年 11月12日 晴れ

 南三陸町の日の出は爽快。近くの仮設住宅に、我が家に眠っていた、石油ストーブ、掃除機、テーブル、時計などを届けた後、瓦礫撤去ボラに。新潟から来たお姉さんは、人か動物か不明の骨を発見。早速、警察が来て骨を持ち帰った。我々はこのようなことに対して全く動じないし、怖くも無い。自分達の行動に自信を持って進める。

2011年 11月13日 晴れ

 女川町の仮設商店街で買い物。30代のお母さんに、弁当を一つ買っただけで、丁寧にお礼を言われる。自然と、涙、溢れる。女川は、本当に、メチャクチャになった所、10人に1人は命を落とした所、4階?屋上に観光バスが放置されたままの所。
 石巻の港で、バイオリンを弾く。全く気が乗らない。自分のしていることの意味のなさ、自分のという存在の小ささに絶望。住民が聞いていたが、悪いが私は途中で止めてしまった。その足で、法音寺のバイオリンコンサートへ。プロ、著名な奏者が弾く。なぜか、ここでもその演奏から全く感動が得られない。日本を代表する『プロの、億円のバイオリン』その音でも、まるで自分の胸には響かない。

2011年 12月23日 晴れ

 石巻。道で遭った初老の男性の世話で、仮設商店街の復興祭へ特別出演。『いつも何度でも』『おぼろ月夜』『アベマリア(シューベルト)』の三曲を聞いていただく。挨拶を求められたが、かける言葉なんてあるわけが無い。励ませる訳がない。気持ちを込めて弾くだけ。その晩は、その初対面の方の家に泊まる。有名人でないが民泊させてもらう。何とその次の朝、陸前高田市まで送っていただいた。

2011年 12月24日 晴れ

 陸前高田市・仮設住宅などで、ワイン配り。住民に喜ばれる。津波体験を聞く。飴をもらう。ホルモン焼きを振舞われる。お酒を何度も勧められ、少しだけ飲んだが真っ赤になる。書ききれない程の珠玉の思い出。

2011年 12月25日 晴れ

 陸前高田。イベントで市やバザーが行われた。私は、バイオリン弾きまくり、至福の時間。なぜなら、聞いてくれている人が喜んでくれたから。おばあちゃんの手を触る。
『あまり、無理をするんじゃない』
と声をかけていただいた。また、近くにいた、子供に、バイオリンを貸し、弾くのを聞く。面白がっていた。
 億のストラディバリウスより、私の3万の楽器が、より美しく歌っていた瞬間ではと自己陶酔する?

 2011年 12月31日 晴れ

 陸前高田。1000発の鎮魂の花火。残された者の責任は、大きい。生き残った者は、その生き方で何をどう示して行くか、きびしく問われている。

2012年  1月1日 晴れ

 陸前高田。マラソンイベント。準備し、自分も走る。自然と、地元参加者と会話。一見、何の変哲も無い人たち。当たり前である。被災者であるが、何ら私たちと変わらない。弱者ではないし、劣っているわけでない。自然と、今まで自分が優位に立っていたような気がして反省。
 夜、石巻駅で、バイオリンを一時間ばかり弾く。中には千円札を置いて行く人も。とんでもない、すぐ返す。
 日本にとっては最悪の一年。しかし、私の人生の充実度としては、誤解を恐れずに言えば、最高の一年といっていいのでは。『本当にいいことをすると幸せになる』と岩手が生んだ私の尊敬している宮沢賢治が言った。実行するとその通りだった。



 

2011年 1223日 晴れ

 石巻。道で遭った初老の男性の世話で、仮設商店街の復興祭へ特別出演。『いつも何度でも』『おぼろ月夜』『アベマリア(シューベルト)』の三曲を聞いていただく。挨拶を求められたが、かける言葉なんてあるわけが無い。励ませる訳がない。気持ちを込めて弾くだけ。その晩は、その初対面の方の家に泊まる。有名人でないが民泊させてもらう。何とその次の朝、陸前高田市まで送っていただいた。

 2011年 1224日 晴れ

 陸前高田市・仮設住宅などで、ワイン配り。住民に喜ばれる。津波体験を聞く。飴をもらう。ホルモン焼きを振舞われる。お酒を何度も勧められ、少しだけ飲んだが真っ赤になる。書ききれない程の珠玉の思い出。

 2011年 1225日 晴れ

 陸前高田。イベントで市やバザーが行われた。私は、バイオリン弾きまくり、至福の時間。なぜなら、聞いてくれている人が喜んでくれたから。おばあちゃんの手を触る。
『あまり、無理をするんじゃない』
と声をかけていただいた。また、近くにいた、子供に、バイオリンを貸し、弾くのを聞く。面白がっていた。
 億のストラディバリウスより、私の3万の楽器が、より美しく歌っていた瞬間ではと自己陶酔する?

 2011年 1231日 晴れ

 陸前高田。1000発の鎮魂の花火。残された者の責任は、大きい。生き残った者は、その生き方で何をどう示して行くか、きびしく問われている。

 2012年  11日 晴れ

 陸前高田。マラソンイベント。準備し、自分も走る。自然と、地元参加者と会話。一見、何の変哲も無い人たち。当たり前である。被災者であるが、何ら私たちと変わらない。弱者ではないし、劣っているわけでない。自然と、今まで自分が優位に立っていたような気がして反省。
 夜、石巻駅で、バイオリンを一時間ばかり弾く。中には千円札を置いて行く人も。とんでもない、すぐ返す。
 日本にとっては最悪の一年。しかし、私の人生の充実度としては、誤解を恐れずに言えば、最高の一年といっていいのでは。『本当にいいことをすると幸せになる』と岩手が生んだ私の尊敬している宮沢賢治が言った。実行するとその通りだった。