「美術運動を読む会」シンポジウム報告


宮田徹也(日本近代美術思想史研究)

東京都現代美術館「MOTコレクション クロニクル1947-1963|アンデパンダンの時代」展(2011年2月26日(土)-5月8日(日))の関連事業として東京都現代美術館が主催となり、シンポジウム「『美術運動』から読むアンデパンダンの時代」が実現した。学芸員の藤井亜紀氏に感謝を申し上げる。
〈美術運動を読む会〉は当時日本に滞在していたアメリカの美術研究者ジャスティン・ジャスティが中心となって2008年9月に発足、月一度の割合で初号から地道に読み進め、丁度目標の1950年代を終えたところであった。このシンポジウムの開催に当たって、自由参加のメンバーの内、有志6名が発表することとなった。ワシントン州立大学の非常勤講師であるジャスティン・ジャスティ氏を配慮し、日本美術会と美学校が協力を申し出てくれたことにも感謝の辞を記さなければならない。
ところが直前になってジャスティン氏が難病に犯され、渡航不可能となってしまった。東日本大震災により福島原発から放射能が漏洩し、被曝を恐れた為ではなかった。ジャスティンが、その後直ぐに回復した事実のほうが奇跡と言える。
 有志は当日、ジャスティン来日中止に対して臆すことなく発表した。ジャスティンの「日本アンデパンダンと日本美術会のアイデンティティーの変化」は、原稿として配布された。そこには日本美術会が持つ多様性、アンデパンダン展のあり方、展示空間だけではなく美術家が存在する「スペース」について言及されていた。
基調講演は、雑誌「現代思想」の編集長から思想史研究家へ転じた池上善彦の「50年代の意味―絵画的対抗と挫折」である。池上は「美術運動」に掲載された桂川寛の文章から思想を抽出し丹念に考察した上で、作品でどのように実現しているのかを端的に指摘した。様式論に執着する美術史ではなく、思想史からの視点には研ぎ澄まされた刃があった。
続いて四本の報告が為された。日本学術振興会特別研究員PDであり、各美術大学の非常勤講師を務める足立元は「大塚睦:予見者・反逆者・哲学者」と題し、大塚の生涯を追いつつも作品に対して詳細に言及した。偉大な作家は時代を予兆するとよく言われるが、現在、陽の目をみない大塚に対して、その研究の可能性を示唆した。
府中市美術館学芸員である武居利史の「『民主主義美術』の行方」は図版を用いず日本美術会の初期綱領の資料を用いながら、そこに立ち現れる発想の変遷を緻密に辿っていった。日本美術会が様々な試行錯誤を行い、降り掛かる困難に向かって立ち向かっていったことが示された。犀利な報告であり、再びこの時期へ目を向ける必要性を教えてくれた。
在日朝鮮人美術研究を続け、現在東京大学大学院生である白凛の「日本アンデパンダン展と在日朝鮮人美術家」は、まず「在日朝鮮人」を定義し、続いて『在日朝鮮美術家画集』をスクリーンに投影し、そして第14回日本アンデパンダン展に出品した朝鮮人美術家との関わりについて論じた。精密な研究はこれから幾らでも展開するであろう。
私は「日本美術会と青年美術家連合について」としながらも、当時から現在に至るまでフリーで活躍する池田龍雄の動向に目を向けた。池田は日本美術会に接近するものの、1962年2月に発覚した「ソ連における日本現代美術展」の作品選定が民主的でないとして、29名提案署名者の一人として離脱していく。読売アンデパンダン展中止の一年前に起こった出来事を提示した。
基調講演者1名、報告者4名に東京都現代美術館学芸員でこの展覧会を担当した藤井氏を加えて、シンポジウムが行なわれた。主だった話題は日本におけるリアリズムとモダニズムの問題であった。この議論を更に突き詰めていかなければ、日本の美術に未来はないと感じた。
基調講演、報告、シンポジウムを終えた展望といえば、戦後美術を研究する上で最も重要であるにも限らずこれまで明らかにされていなかった雑誌「美術運動」の意義が浮上した点にある。桂川、大塚の再評価、日本美術会の詳細、在日挑戦人画家とソ連における日本現代美術展の発見は、これからの戦後美術研究だけではなく、戦後文化研究の領域にまで広がる可能性がある。
勿論、背負った課題も多い。まず、なぜ今「美術運動」なのかといった定義が曖昧であった。そのため、日本美術会と「美術運動」を歴史の俎上に乗せることにも失敗している。何よりもメンバーの知識の浅さと読み込みの甘さのゆえに、「美術運動」の一元しか光を当てることができていなかった。
〈美術運動を読む会〉はこれからも続く。美術、歴史、思想、文化に携わるあらゆる方々の力を借りて、これからも共に研究を続けていきたいと、私は感じた。

美術運動を読む会シンポジウム
美術運動を読む会シンポジウム