記録によると、第1回新潟アンデパンダン展は、1996年6月22日(土)~6月30日(日)新潟県民会館1階展示ホールで開催され、出品種目は油絵、日本画、版画、水彩画、デッサン、切り絵、はり絵他となっている。参加を呼びかけるビラには、「私たちは絵を描くことを軽く趣味として片付けてしまうことには抵抗を感じます。このように感ずるのは、それぞれの人がそれまでに注ぎ込んできた長い失敗の制作の過程や、使い捨てた多額の絵の具代や、無残に積まれたキャンバスの堆積等からくる負け惜しみばかりでは無いように思います。絵を描くことは善かれ悪しかれ、人の生きざまにかかわっているように思えてなりません。現代の欺瞞、不安の中でせめて見せ掛けでない、曲がりなりにも納得づくで生きようとする、一人ひとりの願望とどこかで繋がっているように見えます。絵を描くことは自分の感覚や感性を表現することで、見る人がいて初めて成り立つにもかかわらず、審査を経て展示作品が決まるコンクールで落とされ、その機会を得られない人は少なくない。それなら無審査の共同展をと、9人の元美術教員らが実行委員会を結成した。」とあります。当時の実行委員の熱い思いが伝わってくる様に思います。
第1回という事もあり会期中にシンポジュームが開催されました。その記録を見ると現代に通じる興味深い示唆の発言があります。パネラーの一人の大倉宏さん(美術評論家)は、発言の中で「アンデパンダン展も展覧会なわけですが、これは審査という制度に対して徹底的な批判から生まれたものだと考えます。審査というのは必要なこともあるのですが、例えば二科展というのがあって二科展をリードしてきたような絵描きさんの作品に似たようなものが選ばれて、その雰囲気が出来ていく。そこで似たような絵が並んで何となくつまらなくなってくる。審査というものは個々の作家の力量を引きさげると同時に作家の持っている独自のものを殺してしまうという面もある。情実審査なども生まれてくるかもしれない。偉い先生には少し届けものをするとかなどの話も聞くことはある。これに対する批判を徹底しようとすればアンデパンダン展という非審査になる。アンデパンダンはフランス語で、インデペンデント=独立を意味します。あらゆる審査の権威から独立したという意味です。」このシンポジュームで述べられた事は、現在も変わらず大きな問題であり、益々ひどくなっていると感じるのは私だけでしょうか。
この実行委員の中に、現在日本美術会会員の3人のメンバーの中で、第1回展からの参加メンバーが小林春規さんで、第3回展からの参加が中川セツ子さん、私が第5回展より参加しました。新潟アンデパンダン展は今年で第13回展を迎えましたが、現在まで毎年1回のペースで開催されてきました。現在は運営委員会と名称を変え、11名で行っています。13回展までを振り返って見ますと、決して平坦な道のりではありませんでした。特に、財政の問題が大きかった様に思います。出品料を安くして多くの人に参加を促すのは良い事ですが、マスコミに登場する事も少なく展覧会自体があまり知られる事が少ない情況では先細りが目に見えていました。第1回展より3回展までは出品者80人台でしたが、4回展以降は40人から50人台の出品者で推移し、第12回展(2008年)は44名でした。この情況で今年を迎え、何か新しい事を行わなければと考え、マスコミに出来るだけ取り上げてもらえる様働きかけを行い、その結果、地元紙「新潟日報」が文化欄に大きく取り上げてくれて、出品者が12名増え、また、初めて展覧会会場でミニライブも行ない多くの観衆を集めて成功しました。「新潟日報」に記事を書いてくれる人に会ったとき、忘れられない言葉に、「12回も新潟アンデパンダン展が開催されていたなんて知りませんでした。」との事でした。あらゆる方法でPRして行かなければと改めて感じました。
新潟県では「大地の芸術祭」が十日町、津南町の山里を舞台に2000年のスタート以来、3年ごとに開催され、今年第4回がスタートしています。この展覧会で特筆すべき事は、地元の方々が多く参加し、芸術という垣根を取り払い、堅くるしい事ではなくアートとは何かを改めて問いかけるみんなの出会いの場になった事ではないでしょうか。
現在、新潟市において7月18日より12月27日まで「水と土の芸術祭」が開催されています。市議会で億単位の予算を使って本当に開催する価値があるのか、「大地の芸術祭」の二番煎じではないかなどの批判が聞かれます。問題点は既存の地元の美術団体などに働きかけをしないで一方的に決めた事であり、既存の美術展に対する補助があまりに少ないと憤慨している関係者が多くいる事です。
(ほしの きんじ・画家 日本美術会会員)
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