日韓交流展が始まってもう何回韓国に行ったのだろう。公州だけでも3回は行っている。光州にも2回は行っているが、公州の作家たちとは大いに仲良くなっている。それは、彼らを京都でお迎えしてしっかりお世話をした見返りかもしれない。やはり交流している時間が長いほど仲良くなるものだ。今回の旅行も前会長の金明泰さんや李浩信さんを始め多くの方にお世話になった。李さんには作品の材料を手配してもらい、申さんにその加工を頼んだ。僕の彫刻の作品は運ぶのに高い運賃がかかるので今回は現地制作をしたからだ。こんな無理も仲良くなったから頼めるのだ。
公州の観光は何度も行っているので同じ所をまわる。そんなに広い街ではないので見学するところも限られている。古墳公園も2回目だったがそこで百済中興四代王追慕祭をしていて、朝鮮の民族衣装に着飾った人たちが恭しく儀式を行っていたのが印象的だった。音楽も日本の雅楽のような音楽で、日本の音の原型もまた当然ではあるが朝鮮半島を経て日本に渡ってきたのだなと思った。巫女さんらしい若い女の子がたくさん鎮座していて、みんな美人だったのにまた別の意味で感心していた。鶏龍山甲寺も2回目で1.5キロくらいの山道をのぼった。韓国のお寺は山の中にあることが多い。お寺につくまで歩くことが大仕事だ。以前に李さんの車で申さんと3人で韓国の人気のお寺に行ったことがある。そのお寺も長い山道を何キロも登らなければならないお寺だった。そのとき僕は丸坊主で作業衣だったので、李さんが日本から偉い坊さんが来たと麓の駐車係りに告げてフリーパスで寺院の間近まで車で登ったことがある。お寺への背信行為のようにも覚えたが山登りの労苦を天秤にかけたら「ま~よいか」とあっさり妥協してしまった。鶏龍山甲寺の仁王門には四天王像が立っている。日本の運慶や快慶の仁王とは全くちがっていて、イメージ的には日本のそれとは対峙した像で、カラフルでユーモラスな像である。四体ともでっぷりしていて腹が出ている。顔は怖そうで愛嬌がある。お腹に描かれている獅子のような顔の絵もかわいいキャラクターである。四天王はみんな髭をはやしており、よくよく見ると体型からすべて自分に似ているのじゃないかと思ってしまった。こんなところにたたずんでいたら誰かに「五天王や」といわれそうなので早々に通り過ごした。
今回、僕が初めていった場所は扶余(プヨ)である。妻の早苗さんは僕が公州に来なかったときに来たそうだ。ここもちょっとした山登りで、雪駄ばきはミスマッチだったかな。大きな河があり船に乗って扶余の山の麓に行き、そこから山に登った。山から見る景色はのどかな景色で日本の奥深い田舎に来たようである。でも日本よりせせこましくなく茫洋としている。ピンク色のきれいな花がたくさんあつまって咲いている場所があってのどかな山村風景に美しい色あいを添えていた。
今年は金さん、李さん、申さんは僕の住む京都西山高原アトリエ村にやって来るという。毎年5月の3日,4日に開催している京都西山高原アトリエ村展に作品を持って参加してくれる。いまその打ち合わせの最中である。日韓の交流が日本美術会だけでなく外に大いに広がっていくことがこの交流会の本意であろう。ちょうど5月2日までアンデパンダン京都展が開催されている。多くの人がアンデパンダン京都展と共に3日、4日に開催される京都西山高原アトリエ村展に参加されて多様な交流をされることを期待しています。
(きしかすけ・彫刻家)
私が10数年前初めて訪れた時、韓国はまだ「近くて遠い国」と言われていました。その時の旅は、近年の韓日の歴史を学ぶためのものでした。日本がお隣の国である、韓国の人々に対して行った侵略の事実を知り、とても衝撃を受けました。
昨年、幸運にも交流展の旅に参加させていただきました。4月の旅に引き続き3度目の訪韓となりました。公州では美術家の皆様が暖かく迎えて下さり、心のこもったものでした。通訳ボランティアの学生の方達にも、とてもお世話になりました。韓国の美術家の方々との交流、そして展覧会ととても充実した素晴らしい旅でした。
百済の都、王陵、博物館等も巡り、改めて韓国と日本との深い繋がりに驚きました。また、素晴らしい文化にも触れることができました。途中、博物館を日本語で案内して下さった先生の言葉に、胸が熱くなりました。
市場や街を周る機会も有り、少し日常生活を見ることができました。日本には無い、韓国特有の街や人々のエネルギー、儒教の教えが人々の生活に息づいている事も垣間見ました。
今回の旅を通して、芸術や文化での国際交流の大切さを、とても感じました。これからも韓国と良い関係になっていくことを、願わずにはいられません。最後に、今回の旅では日本美術会の皆様に、大変お世話になりました。ありがとうございました。 (たきぐちみやこ・美術家)
昨年、日本で開催された第7回の交流展を観にいった。その日はお別れ夕食会との事で、「若い人もいたほうがいいから」と誘われるまま夕食会に飛び入り参加となった。片言の英語でなんとか交流し、お土産の小皿までいただいてしまった。
今年は10月に韓国で第8回の交流展を「百済祭り」の観光を兼ねて企画すると聞いた。
韓国には4月に旅行したばかりで、家族の目も冷ややかではあったが、良い旅になりそうな直感に従い、第8回の交流展に参加した。
4名で1日早くソウル入りし、翌日はタクシーを貸切りソウル市内を観光した。
ソウルは現代的なビルや日本でもおなじみのチェーン店があり、少し路地に入り込むと古い町並み、
飲食店の軒下には野菜が積んであり、急激に現代化した雑多とした町並みに、昭和と平成を同時に眺めているような懐かしい感じがした。
公州ではたくさんの文化施設を見学するたびに、歴史的に日本と韓国との交流が深かった事を実感した。外国に行くと、ついつい違いを発見して驚いたり、感動したりするけれど、今回の旅は似てるところに焦点が合ってしまった気がする。個人的に歴史的な事はまだまだ勉強不足であるが、日本と韓国は本来はもっといい関係を築けるはずではないかと感じた。そしてお互いの国で美術交流展を何度も開催し築かれた関係性の中で、参加させていただいた事はとてもありがたい事だと思った。
(しんたにかおり・美術家)
公州での韓日美術交流展を中心とした交流行事が10月7日から5日間行なわれ、それに参加してきた。今回の参加者は首藤教之代表以下総勢26名。若手女性数名が含まれ、多彩な顔ぶれであった。私自身、公州を訪ねるのは2回目だが、京都・東京に迎えた時にもお会いしていて、多くの人と顔なじみになっており、しかも前回のように交流の折衝の任務を帯びていない気軽さもあって、この日を心待ちにしていた。
初日、成田と関空からインチョン空港に向かい、前泊4人組と合流。チャーターバスで公州に向かった。到着地で当地の会長兪淳植氏、前会長金明泰氏らの出迎えを受けともに夕食。その後、宿舎前で持参の交流展出品作品を手渡し、この日の日程を終えた。この後も酒豪の金氏ら3人と日美男子5人は、通訳無しながら、12時過ぎまで飲み、語り合った。
2日目、百済最後の都、扶余へ。落城の際、女官たちが次々と川に身を投げたという百済滅亡を象徴する場所―百花亭・落花岩・皐蘭寺を訪ね、美しい景観の中での悲しい物語にしばし感傷に浸る。次に国宝の巨大な石造五重塔が聳える定林寺址とその博物館を見学、韓国最初の人工池―宮南池の周辺でスケッチを行なう。その後、林立美術館で開催中の工芸展見学、更に副会長金氏主催の錦江アートセンターで皿の絵付けを実習、最後はその前庭での屋外ディナーパーティー。冴え渡った星空の下、迎えてくれた10名の当地会員と歓談し、時の立つのを忘れた。この日、日本では台風で被害も出る悪天候だったが。
3日目、武寧王陵墓前にて行なわれた百済中興の以下四王の追慕祭を見学。取材の規制もなく、華麗な対象に公私のカメラが向けられていた。午後、市場と公山城散策に向かったが、私は単独行動で、凱旋門スケッチをした。その際、傍の店の人がコーヒーを差し入れてくれ、お礼も受け取らず、その親切が身に沁みた。合流後、古刹・甲寺へ向かった。そこで日本美術会名で瓦1枚を寄進、下山後門前の食堂で夕食。そのさなか、ソウル在住10年の林さんが合流、通訳も兼ねての参加に、この後の交流に一層幅ができた。
四日目、当地の創作集団「野投」の山中設置作品を寸見した後、国立公州博物館に到着し、まず講堂で黄圭馨氏による流暢な日本語でのミニ講演を聴く。それは百済と大和の関わりから現在の姿に及び、熱のこもったものであった。その後、館内諸展示を見学、歴史への思いを深くした。昼食後、「『東学農民運動』終焉の碑」に立ち寄った。1894年李氏朝鮮政府に対する民衆の大闘争鎮圧に清・日両軍が介入、日清戦争の発端となったと言われるこの事件に、かねて関心を抱いていただけに、碑の存在を知ってからの2年間の宿願が果たせ、感無量であった。この後、この旅最大のイベント、韓日美術交流展オープニングセレモニーの会場・公州大學に向かった。それに先立ち、日本美術会セミナー(スライドショー)が遠矢国際部長の解説、林さん通訳で行なわれた。
式では双方会長挨拶と来賓の市長祝辞の後、遠藤・オザキ両氏の作品贈呈が行なわれ、その後、作品を前にしての交歓を繰り広げられた。さらに会場を構内高層階のレストランに移し、城跡や橋に懸かるイルミネーションの美しい公州の街を見下ろしながらのディナーパーティーとなった。皆が楽しく歓談する中、会長同士の話し合いで、次回交流美術展の予定(来年夏、川越市で)の合意が成立、宴の終わりに兪会長より発表された。
公州最後の日とあって、この夜も金氏ら4名が宿まで同行、日美10名と宿の1室で夜更けまで語り合った。連日通訳を務めてくれた公州大4年の?氏も「異例なこと」と言いながら参加、お互いに実りある交流ができたことを喜び合った。
5日目は早朝6時、会長ら4氏の見送りを受け、インチョンに向け出発。同空港から首藤夫妻ら8名は成田へ。残り17名はソウル観光組として残留、市内のホテルに荷を預け、朝からの空腹を満たして後、そろって市立美術館でのソウル・東京?アジアメディア・アート展を鑑賞。その後2組に別れて行動、私は国立中央博物館参観組に入り、常設・特陳をじっくり見た。金銅弥勒菩薩半跏像や公州ではレプリカだった武寧王の金製冠飾の実物などには、特に目を引かれた。夜、ソウルの造形作家Y氏と作曲家Z氏を木村さんから紹介され、私の部屋で相田さんも交え歓談した。
6日目は1日自由行動。私は一人、インサドン等をまわり道した後、北村韓屋村にむかい、そこで特有な屋根の反りと個別の構えをもつ家並みを水彩スケッチした。「冬ソナ」ロケ地という中央高校も近く、旅行者が絶えなかった。着彩中、建築関係雑誌の記者とカメラマンから取材を受け、片言の英語で応対した。夜、約半数の人が一室に集まり、旅の印象などを話し合った。
最終日、朝、清涼里駅前発長距離バスでインチョン空港に向かい、11時15分発のKE機に搭乗。予定通り成田に到着し、喫茶室でくつろいだ後、各自家路についた。
期間中、体調不良や怪我などの人も出、私自身集合時間を聞き違えて皆を待たせるなどの迷惑を掛けることがあったが、最終的に大過なく終了し、、皆が貴重な体験を得ることができたいい旅だったと思う。
国際部長の遠矢さん、前部長の木村さんのお骨折りに深く感謝しい。 (ねぎしきみお・美術家)
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