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「アジアにめざめたら」展と サン・チャイルド撤去問題に見る政治的立ち位置の違い。

森下泰輔(美術家/美術評論家)

ゼロ次元《いなばの白うさぎ(短縮版)》 1970-2012 撮影:筆者
ゼロ次元《いなばの白うさぎ(短縮版)》 1970-2012 撮影:筆者

東京国立近代美術館「アジアにめざめたら」展は様々な反響をもたらした。その感想はおおむね2つの事柄に分けられる。第一に1960年代の左翼運動的視点から同展を見て解釈する場合、第二には現在からみて日本の政治的アートの立ち遅れに関して指摘する場合である。 

 そもそも同展は、およそ10年の準備期間を経たシンガポール、韓国の国立美術館との共同企画なのだ。

 全体的に反政府運動、反資本主義の芸術を中心に展開しているが、日本一館だけの企画ならばこれほど政治的な作品展は難しかったのではないか?

 同美術展ではそれでも1960年代の日本の展開、ラディカルな作品を取り上げ、日本現代美術がアジア各国に比し進んでいたような印象を与えていた。果たして日本美術は本当に進んでいたのであろうか?

  日本の美術は「前衛」を受け入れてきたのか、といえば、否であろう。国家権力と美術界のありようは、官主導で百貨店美術部とつながったいわゆる「殖産興業癒着の日本画壇」が主導してきたではないか。にもかかわらず、いったんアジア現代美術からのカテゴライズとなった途端にあたかも日本前衛が全面認知された形として声高に主張されること自体が大いなる欺瞞であろう。

 それでは、本展をけん引するアジア前衛美術なる政治的変革性を大いに含んだ美術の文脈はどのようにして形成されたのか?

 「アジアは新しい美術をはじめなければならない。欧米主導のアートなるコンテクストも壊さなくてはならなかった」という主張が各地・各作家に散見される。ほぼ70年代から始まるマレーシア、タイ、フィリピン、インド、台湾、韓国などアジアの芸術が民族融和・解放と欧米芸術批判を含んでいたのはこのような事情による。主題は植民地主義や軍事独裁政権批判作品が多かった。たとえば光州抗争の80年以降「民衆美術運動」が隆盛した韓国はもちろん、「タイ統一美術家戦線」が70年代に組まれたタイでは、その後民主化の波が軍事政権とせめぎあいを繰り返した。こうした民主化に導いた美術を一種の道標とし、アジアの主要美術館はメインストリームとして容認している。

 翻ってわが国はどうか? 出品作家、中村宏や山下菊二らルポルタージュ絵画といわれた一派は当時の反米闘争に参加し、また、ゼロ次元にしても60年安保から70年に向かう政治闘争やとりわけ70年万博への反博パフォーマンスを組織していった。が、日本では戦後の政治体制が一貫して米国傀儡の保守体制にあるため、こうした前衛派は美術史の主流としては評価されてこなかったのである。

 実は世界美術シーンにおいても60年代からのカウンター文化の一端を担ってきたポップアートや概念芸術、フェミニズムアートやアクティヴィズム、最近のソーシャリー・エンゲイジドアートまで、民主的政治的正義を標榜する流れは欧米においても存在感を強めている。

 いままた政権が右旋回している時期、そもそも日本の美術館の本線は非政治的な網膜的・審美的な保守な眼をもって美術をとらえてきた。去る11月14日に開催された森美術館レクチャーにおいても美術評論家の高階秀爾や南條史生は審美的側面を強調したのに対しフランシス・モリス(テート・モダン館長)は美術の民主的政治性を強調した。

 まずアジア美術シーンにおいては大衆・民衆へのメッセージと受容が一致しているのだが、日本美術の場合はかい離しているといえるだろう。

 一例として、先般の福島におけるヤノベケンジ「サン・チャイルド撤去事件」でも、そのあたりの問題が噴き出した。サン・チャイルドという福島原発事故以降に作られた放射能禍からの再生メッセージを込めた像がある。その像を福島市のメニュメントにしようと児童文化施設前に設置したところ、地元民から「早く原発事故を忘れたいのに風評被害を助長する」とのクレームが入り、短期に撤去したというものだ。

 同作品は放射線防御服を着用、ヘルメットをはずして左手に持ち、右手には再生エネルギーの象徴となる太陽を持ち、大空を仰ぎ復興と再生をアレゴリーとしている。6.2mの巨像だが、問題は撤去に際してヤノベ自身が原発事故とその後の展開に関し明確な自分の意見を述べなかったことにある。ただ、「私の作品が一部の方々に不愉快な思いをさせてしまったことについて、大変申し訳なく思っています」と述べたのみであいまいに処理している。

 この態度を、「アジアにめざめたら」の作家たちの自らの政治的立ち位置の明確化ぶりと比すると、あきらかに釈然としないものがあった。 海外から「なぜ日本はあれだけの原発事故を起こし収拾もついていないのにまた再稼働に向かうのか?」との多くの意見が寄せられている。ヤノベは原発再稼働問題に関し作家としての意見を明確に述べるべきであった。社会的な芸術を試みる以前に市民社会そのものが、あるいはそれに準ずる芸術家の決意表明、制作態度が未成熟なままなのではないのか。

FX ハルソノ《もしこのクラッカーが本物の銃だったらどうする?》 1977-2018 撮影:筆者
FX ハルソノ《もしこのクラッカーが本物の銃だったらどうする?》 1977-2018 撮影:筆者

森下泰輔(美術家/美術評論家)

2010年平城宮跡で展示。IF Museum(NY)に作品所蔵。

しんぶん赤旗の美術評を12年続ける。