ソ・ユナ(徐潤雅)
2018年9月21日、日本美術会の木村勝明氏、十滝歌喜氏、布目勲氏、そしてソウル在住の稲葉真以氏とともに仁寺洞のナム・アートで開催中のチョ・ジンホ氏の版画展を訪れた。光州事件を版画で表現した点において、木村氏とチョ・ジンホ氏はは共通項がある。その後、學古齋ギャラリーでのユン・ソクナム氏の個展も駆け足でまわった(以下、敬称略)。ユン・ソクナムとチョ・ジンホは1980年代頃から韓国の現代美術史上、重要な仕事をこなしてきた。これまで両作家が一緒に紹介されたことはなかったと思うが、二人の作品はともに木材が用いられている。以下では両作家の幅広い作品群の中でも木材を使った作品に焦点を当てて紹介したい。
●ユン・ソクナムー木に描く
木目は触るとガサガサするが、どこか暖かくて柔らかい。ユン・ソンナムはそれを老いた女性の肌のようだと思った。
ユン・ソクナムは廃材の表面を加工せず、木の模様や節、傷をあえてそのまま使う。その上に書芸の筆で顔や身体を描き込む。捨てられた木材だけでない。洗濯板、螺鈿飾りのタンス、椅子など、日常的な物を組み合わせて作品を作る。そうやって生まれた作品は社会で周辺化されてきた存在、――例えば母、家庭に閉じ込められた専業主婦、才能があるがゆえに桎梏の人生を送らざるを得なかった歴史的な女性、捨て犬などに生まれ変わる。周辺化された存在が主人公になるわけだが、決して教条的ではなく、その表現力によって鑑賞者はその存在に心を突き動かされる。このような表現技法とテーマ性は、芸術の権威に対しても挑戦的である。
ユン・ソクナムの《999》(1997年)は、高さ30cmほどの薪のような木などに999人の無名の女性を描いたインスタレーションである。ここで999は無限数を意味する。1998年、ユン・ソクナムはナヌムの展示館の開館を記念して《999》の一部を寄贈し、作品の前には自ら制作した香炉を置いた。そのとき寄せた次のメッセージが、ユン・ソクナムの芸術観をよく表している。「この場所でハルモニの子孫である私たちは香炉に香を焚いて、あの方々の魂を慰め、私たち自身も慰める。また、至難な過去とその苦痛を克服し、生きているハルモニたちの今を、このような総体的な生を貫いているハルモニたちの素晴らしい生命力を、世の中に呼び出すことによって、現在、私たちの生の中に存在しているあらゆる不条理と邪悪に抵抗する力を得る」(ユン・ソクナム文)
壁に飾られている作品の前で、何かを感じとって手を合わせる人や、作品の周りにメッセージカードや折鶴を置いていく人もいる。そのような行為は犠牲者の魂への祈りだけでなく、現在を生きる訪問者(筆者)にとっても慰めになった。
ユン・ソクナムは、家族のために働く自分の母を描いた初期(80年代)の平面作品から廃材を使ったインスタレーションによる空間構成(90~2000年代)を経て、2010年代に入ってからは韓紙にポートレートを描くようになってきた。
日本美術会のメンバーと訪れた展示場に飾られていたのは、画家としての自己を描いた近年の自画像である。40歳に画業を始め、今年40年目となるユン・ソクナムが、長いトンネルを抜け出したかのような清々しさが画面から伝わってくるようだった。
*ユン・ソクナム(尹錫男): 1939年旧満洲生まれ。美術の正規教育を受けず40歳に画業を始めたが、現在は韓国のフェミニスト・アートを代表する存在である。1983年にプラット・インスティテュートなどで版画などを学ぶ。テート・ギャラリーなど国内外に作品が所蔵されている。代表作《999》《1025》《ピンク・ルーム》など。作家HP http://yunsuknam.com/* 詳細は『アジアをつなぐ? 境界を生きる女たち1984-2012』展図録(福岡アジア美術館他、2012年)、徐京植『越境美術』(論創社、2015年)など参照
●チョ・ジンホ-木を掘る
ナム・アートの「韓国現代木版画発掘プロジェクト」が最初に取り上げるのは、チョ・ジンホの作品である。
チョ・ジンホは、最近まで(2018年6月)光州市立美術館長を務め、韓国の西南部である全南地域の文化事業の発展に寄与した人物である。だが、チョ・ジンホが版画を制作したことはこれまであまり知られてこなかった。ナム・アートの版画研究者キム・ジンハによって38年ぶりに光を当てられたのである。
そのような版画の原点は、光州事件(1980年5月、全斗煥新軍部が政権簒奪のために起こした多段階クーデター、国家暴力事件)だったとチョは述べる。
光州事件を目撃するまでチョ・ジンホは社会の動きに関心のない美大生だったが、軍人が市民に対して惨い暴力を振るう光州事件を目の当たりにして極めて大きい衝撃を受けた。そして「歴史の渦巻きのなかで自分は誰なのか」と自問したチョは、遺体安置所で見た光景を光州事件から約2週間後に制作した。それが《五月の音1980 Ⅱ 》である。黒い棺の中から顔が浮かび、正面を見ている。しかしその顔は何かを恐れ、口をつぐんで目で訴えているようだ。そのような彼らに対して画面の中央下から差し伸べられている手は、生き残ったチョ・ジンホ自身の手だという。
もともと洋画を専攻したチョ・ジンホだが、見たこと、感じたことを直接表現することで手いっぱいだった当時は早く作品にすることができ、「伝える」力をも持っている版画を選んだ。このように光州事件をきっかけに始まった版画制作はその後も約10年余りつづき、ベニア板の木目を生かした繊細な版画で全南地域の風景や農民、庶民をリアルに表現するなど技法的な変化も表れた。しかし「道端美術祭」や「労働美術祭」などの運動に参加する際には丸くて太い線で作風を変えたことも特徴的である。
1990年代に軍事政権が幕をおろした後は、自身の内面と向き合いながら水彩画を描くようになったが、今回の展覧会をきっかけにチョ・ジンホは再び原点である版画に戻りたいと述べている。
*チョ・ジンホ(趙眞湖):1952年韓国光陽生まれ。朝鮮大学校師範大学美術教育学科卒。光州全南美術人共同体初代会長、光州市立美術館長、光州ビエンナーレ理事などを歴任。地域に愛着を持って光州を基盤に活動している。
*詳細は『趙眞湖・無有等等』図録(韓国現代木版画発掘プロジェクト①、ナムアート、2018)、韓国の新聞記事参照(『ハンギョレ』2018年9月18日、『ソウル文化トゥデー』2018年9月18日)参照
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