木村勝明
「夢二繚乱」展(東京ステーションギャラリー)
大正モダーンズ-大正イマジュリィと東京モダンデザイン(日比谷図書文化館特別展)
「夢二繚乱」展:東京ステーションギャラリー/大正モダーンズ-大正イマジュリィと東京モダンデザイン:日比谷図書文化館特別展、と2018年5月から8月にかけて続けての展覧会は、日比谷区に寄贈された龍星閣コレクションの膨大な竹久夢二を中心とした大正期の印刷物をもとに企画展示された。
びっくりするようなその明るく軽い華やぎは、その時代の気分を象徴していた。江戸期の浮世絵のようなその輝き、他と比べようがない独特な世界が展開されていた。
ヨーロッパに浮世絵が渡り、ジャポニスムという流行現象が生まれ、琳派や日本の工芸などの関心が高まり、やがて、アールヌーボーの様式がヨーロッパで生みだされる。それが今度は日本の文化に逆輸入される。それが大正モダーンの特徴とでもいえるのだろうか?
代表的な竹久夢二の人気の高さは、上野の東京府美術館の文展、同時期開催のデパートでやった竹久夢二の展覧会の、観客が同じくらいだったというから、大変な人気で、絵葉書やいろいろなグッズ用品は人気の的になったらしい。そういう美意識の流行と、大正デモクラシーという明るさは、封建的な暗い思想からの脱出を意味していたように感じる。
この二つの展覧会の大正時代の美術は、龍星閣という印刷屋さんの大コレクションが千代田区という公の元に寄贈されたことによって、解禁というのか、公開された事は、素晴らしいイメージをその観客に与えたに違いない。
竹久夢二のすばらしさも今回再認識されたと思う。彼はドイツのバウハウス関係のワークショップにも講師として参加した、国際的な文化交流もしている。その活躍や素晴らしい東京のデザインや印刷技術が、関東大震災によって大きなダメージ受けたことが認識された。夢二は京都に逃れたし、その大正の文化は消滅したのだと思う。その後の復興では、その明るさや軽さは戻ってこなかった。昭和のまた違った文化が復興されるのだと思う。 柳瀬正夢や村山知義の「マヴォ」が発足し、その後にはプロレタリア文化運動のような社会派の文化が勃興する。あのナイーブな夢二の青春や初恋は、卒業するしか道が無くなったといえるのかもしれなかった。
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