ワシオ・トシヒコ(美術評論家)
「鯨」と「井」と「洪」。なんともスケールの大きなイメージを喚起させる漢文字の連なりではないか。思わずウーンと唸って、ルーツを掘り起こしてみたくなる。事実その名のように、近年はスケール感溢れるシリーズ大作を矢継ぎ早やに発表し、それなりに波紋を拡げて観客を釘づけにしている。
私が伝聞する限りにおいてはしかし、彼の体質はどうも、至って慎重である反面、時にはいくらか性急でもあるような気がしてならない。画面へのタッチから、それがどことなく想像できる。
鯨井洪は戦後、一貫して日本美術会に所属。以来、井上長三郎、上原二郎などといった周辺画家たちに感化されながら、「日本アンデパンダン展」を中心に、反戦平和を掲げる各種展覧会の主要出品者として精力的に活動して来た。これまでテーマとしてきたのがヒロシマ、ミナマタ、アウシュヴィッツ、ベトナム、オキナワ、中国戦線、イラク、フクシマなど。いわば現代の負の歴史遺産を次々と白日下に晒し出し問題を提起するといった態のものである。とりわけ鯨井洪を鯨井洪たらしめる作風を確立させるに至ったのが、1990年代へ入った頃からではなかったろうか。
いうまでもなく絵を描くという営為は、眼前の現象や脳裏に映ったイメージを実際の平面のキャンバスや紙面に再現すること。それこそが一般的に、バックとしての<地>と現象としての<図>とのほどよいバランス関係を成り立たせることなのだ。ところが鯨井洪の油彩画の場合、ほとんど例外的なのである。バック、つまり背景、すなわち<地>らしい<地>が少なすぎる。ほとんど全面が、生々しい図像の塊と化して覆われている。いや正確にいえば、<地>が消えて無いのではない。<図>に吸収されていると評する方が、より近いのかもしれない。背景が、無いのではない。余りにも<図>のインパクトが強烈で刺激的すぎ、あるべき<地>がそこへ呑みこまれ、すっかり<図>に同化してしまっているのだ。われわれ展観する者が<図>に接するというのは、つまり、同時に時代背景としての<地>をも瞬時に目撃するということに尽きるのである。まことに稀有な作品構造、といわなければならないだろう。こうした緊迫感あってこそのアウシュヴィッツであり、ヒロシマであり、オキナワなどに肉薄する作品構造である、というわけなのだ。
描出されているのが、凄惨な蛮行や理不尽ばかりではない。現在へ至るまで密かに底流する時代のバックグラウンドであることもまたわれわれは、忘却の彼方へと追いやってはならないだろう。何としても語り継ぐべき現代の、いや人類の負の歴史遺産絵巻としなければならないのではなかろうか。この作品集、視線をそむけず多くの各世代各層の人々の手によって開かれることを望みたい。
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