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「表現の不自由展」―〈平和の少女像〉はどこからきたのか?

古川美佳 (ふるかわ・みか)

 国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の一つ「表現の不自由展・その後」(以下、「不自由展」)が、脅迫やテロ予告を含む抗議(電凸)によって開催3日目で中止となるも、66日ぶりに全面再開し、昨年10月14日会期を終えた記憶はいまだ生々しい。年が明けた現在もそれは日本の文化芸術界に刺さった棘のように、不快な余韻を残したまま浮遊している。人びとがこの事件を思い出す際、おそらく脳裏にすぐさま浮かべるのは〈平和の少女像〉(以下、〈少女像〉)ではないだろうか?この〈少女像〉が日本のメディアであまりにも前面に押し出され語られていくうちに、「不自由展」全体が〈少女像〉の印象に染まってしまった観は否めない。それは本来の展示の意図を歪めるものであるが、しかし同時にこの事件のある種、単純な本質を露呈してもいた。

■〈少女像〉と〈天皇〉、被害と加害の表象

 たしかに、「不自由展」を中止に追い込んだ批判や脅迫の標的となったのは、日本軍「慰安婦」問題を表した〈少女像〉と大浦信行の映像作品〈遠近を抱えて PartⅡ〉(「昭和天皇の肖像を燃やした」としてSNS上で作者の意図とはかけ離れて独り歩きした)だ。ところが日本で〈少女像〉は、植民者日本の国家的性犯罪を覆う格好の言葉・「反日」を代弁する表象に様変わりしてメディアに露出した。もう一方の大浦作品は、「天皇タブー」のこの国(ましてや令和の代替わりを控えた時期)では当然のごとくメディアから忌避された。現代日本に沈潜したままの近隣アジア諸国との「被害」/「加害」の構図が、「不自由展」、そしてトリエンナーレ全体を背後で呪縛し、「表現の自由」を空回りさせていた。本来多様であるはずの芸術がこうした構図に絡めとられようとするなか、アーティストたちは専ら「表現の自由」を掲げ抵抗した。だが、残念ながら今回、表現の自由を脅かした「検閲」の背後にあるのは、迂回したいところのまさに核心、天皇や日本軍「慰安婦」、徴用工や沖縄米軍基地等をめぐる歴史認識、女性蔑視、民族差別問題だったのではないか。文化庁の補助金不交付こそ、これらの問題に対する政府公権力の政治的イデオロギーのあらわれであった。

 しかし〈少女像〉は、果たして日本社会で普及しているそうした構図通りに存在しているのだろうか?〈少女像〉はもともと、もっと豊かな、しかし痛恨を伴う「韓国の自画像」なのであり、それは同時に「日本のもう一つの自画像」ではないのか。

■〈少女像〉というものがたり

 〈少女像〉の制作者キム・ソギョン、キム・ウンソン夫妻は、1970~80年代韓国の民主化運動と呼応して生まれた民衆美術の作家だ。植民地、南北分断、独裁政権と続く激動の歴史にあって、80年光州事件を機に民主化運動が本格化した。民衆美術家たちは報道が規制されるなか、木版画やコルゲ・クリム(垂れ幕絵)などの表現で社会変革を試み、弾圧された。キム夫妻もまさにこの民主化運動全盛期に美術大学に通い、「デモと美術がともにある」世代を生き、活動した。

 その彼らが制作した〈少女像〉は、元慰安婦の女性たちの支援団体が、ソウルの日本大使館前で毎週水曜日に行ってきたデモが1千回目を迎えるのを記念して2011年にその場所に設置されたものだ。作者によると、人びとと意思疎通でき、被害者を癒すことができるようなモニュメントをつくりたかったのだという。

 〈少女像〉の細部、例えば少女の手が握られているのは、「日本政府から謝罪を受け取り、問題を解決するという約束を果たす」という意味が込められており、かかとが少し浮いているのは、故郷に戻っても受け入れられず、長く被害を語ることができなかった日本のみならず韓国社会への問いかけもこめられている。

 さらに2015年日韓「合意」により、日本政府が「公館の安寧・秩序」を乱すとして撤去・移転を主張すればするほど、〈少女像〉を守る動きが高まり、さまざまなバリエーションの像を建てる動きが国を越えて生じている。

 夫妻によると、2019年春の時点で少女像は韓国を中心に米国などあわせて100体以上あり、それらは各地の市民が寄付を集めて夫妻に依頼して設置されたものだという。

 こうして公共空間における〈少女像〉のものがたりは、歴史の過去清算、国家暴力と人権蹂躙という生々しい進行中の記憶運動として政治的シンボル性を帯びざるをえない。それは共同体の記憶形成のための記念碑という造形物であるがゆえ、ナショナリズム、プロパガンダとの親和性を有している。だが〈少女像〉は、ポスト植民地社会としての韓国を映し出し、単なる民族主義だけでは解釈できない表象となっている。それだけに韓国でも、とくに市民と美術専門家たちの批評空間のあいだには「芸術性」をめぐるギャップも存在している。とはいえ、若い世代は元慰安婦の女性たちをMeToo運動の先駆けとして受け止め、アクセサリーやシールを作りつつ、「私であり、あなたである少女像」という、新たなものがたりを生産しはじめている。

 

■〈少女像〉を解き放つ

 そんな〈少女像〉を政治的にヒステリックに扱っているのは、むしろ日本政府側であり、「反日」思考は電凸と表裏一体である。たとえば、キム夫妻は、ベトナム戦争中に韓国軍がベトナムで行った民間人虐殺を反省し悼む像も作っていて、「反日」や「ナショナリズム」で動いているわけではない。 つまり〈少女像〉は、大文字の歴史と個の歴史を横断する「美術と政治がともにある姿」なのであって、受け手によっていかようにも見える、マージナルな(境界にある)メディア、普遍的な人権の尊さを象徴する時代のアイコンなのである。それは朝鮮半島の過酷な歴史過程で、弾圧に打ち勝ちながら表現者たちが芸術の概念を自らの力で書き換えてきた闘争の歴史の蓄積からでた表現のひとつなのである。

 ただ、今回の「不自由展」という試みには、危うさもあったことを忘れてはならない。そこに展示された作品は、「検閲される」対象として見られ、「政治的なもの」という枠組みに置かれてしまう。それは結局、国家という装置に搾取され続ける〈少女像〉を量産してしまいかねない。とくに日本では、「反日」という「慰安婦」当事者不在の記憶化に〈少女像〉が包摂されてしまう危うさがある。だからこそ、〈少女像〉を見る者が、その枠組み、先入観を払い、「出会い直す」必要がある。また発信する側も同様、想像力によって国家を超えられるかどうかが試される。人権をふみにじられた女性たちを表した像が、「検閲」され、さらに「検閲されたもの」として見られることになれば、それは二重三重の蹂躙を孕むことになる。実はこの事件を経たいまこそ、「不自由展」からも〈少女像〉を解き放ち、「自由」にしてあげるべきではないだろうか。


古川美佳 (ふるかわ・みか) 

 

専門は朝鮮美術文化。1993~96年に在韓日本大使館専門調査員。

著書に『韓国の民衆美術(ミン・ジュン・アート)抵抗の美学と思想』(岩波書店、2018年)、共同編集に『アート・検閲、そして天皇』、『東アジアのヤスクニズム』など多数。煎茶道の茶道家でもある。