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日本の文化芸術政策の質的転換を示す 文化庁補助金問題

あいちトリエンナーレ出品作家が主導するプロジェクト 「ReFreedum_Aichi」が呼びかけた抗議署名は、2 週間余で 10 万筆を超えた。(change.org サイト)
あいちトリエンナーレ出品作家が主導するプロジェクト 「ReFreedum_Aichi」が呼びかけた抗議署名は、2 週間余で 10 万筆を超えた。(change.org サイト)

武居利史(たけいとしふみ)

 あいちトリエンナーレ「表現の不自由展・その後」が中止になった事件は、たんに美術界の問題にとどまらず、日本社会に大きな問いを突きつけた。この事件の中心は、展覧会の開幕とともに脅迫的な電話やメールが殺到したことで、安全性と円滑な運営の確保を理由に、たった3日間で展示が中止に追い込まれた出来事にある。平和的な文化事業が、暴力の前に屈した瞬間だった。トリエンナーレ実行委員会による中止という措置をめぐっても「検閲」か否かという問題が存在するが、それ以上に公然と展示の中止を要求した河村名古屋市長や一部の政治家の言動は、津田芸術監督のキュレーションの自律性を脅かし、表現の不自由展の実行委員会と出品作家に対する侮辱にほかならなかった。だれもが作品について自分の意見をいう自由はあるが、発表している作家や他の鑑賞者の自由まで奪う権利はない。実際に逮捕者まで出ているように、無法な妨害行為を扇動した社会的責任は大きい。展示再開までの道は平坦ではなかったけれども、広がる抗議の声と世論の高まりに支えられて、最後の一週間だけでも再開できたことは、日本の良識の勝利といえるだろう。

 

 しかし、愛知県の検証委員会が展示再開を促す中間報告をまとめた翌日、もう一つ重大な問題が発生した。文化庁が補助金約7800万円を全額不交付と発表したのだ。県が会場の安全確保や運営を脅かす事実を認識していながら、それを申告しなかったことなどが「申請手続きにおいて不適当な行為」だったため、補助金適正化法にもとづいて決定したという。国による新たな「検閲」ではないかとの懸念が広がり、大村県知事はすぐさま国と争う姿勢を表明した。宮田文化庁長官は国会答弁で、このような補助金を採択後に不交付にした前例のないこと、検討にあたっては、現場視察もせず、外部審査員の意見も聞かず、審議官の専決処分で決定したことを明らかにした。萩生田文科大臣は自分の指示ではないといい、長官も報告を受けただけという。しかし、このような重大な判断を一官僚ができるとは思えない。菅内閣官房長官が開幕直後の混乱時すでに文化庁補助金は「事実関係を確認、精査した上で対応」と述べていた経緯もあり、不交付決定が政権の意向に沿うものであることをうかがわせる。

 

 この文化庁の不交付決定は、自主的であるべき国民の芸術活動に対する国の介入であり、愛知県という自治体の文化行政への介入にほかならない。政府の意向に沿うものだけが補助金の交付対象となり、刃向かうものには不交付も辞さないという露骨な干渉の姿勢を示したものといえる。文化行政の大前提は、表現の自由や自主性の尊重である。文化芸術基本法も、前文で「文化芸術の振興を図るためには、文化芸術の礎たる表現の自由の重要性を深く認識し、文化芸術活動を行う者の自主性を尊重することを旨」とすると述べている。文化庁自身がこの原則に背くならば、文化行政は広く国民に奉仕するものではなく、国家支配の道具となる危険性をはらんでいる。トリエンナーレが暴力の脅威にさらされ、「表現の自由」が危ぶまれているときに、さらなる抑圧を加える文化庁は、もはや文化行政の基本から逸脱している。インターネット上で広がった署名運動「文化庁は文化を殺すな」のスローガンは本質をつくものだった。

 ところで、あいちトリエンナーレに交付される予定だった文化庁補助金とは、いかなるものだったか。その名称は、「日本博を契機とする文化資源コンテンツ創成事業(文化資源活用推進事業)」といい、目的は「『日本博』の開催を契機として、各地域が誇る様々な文化観光資源を体系的に創成・展開するとともに、国内外への戦略的広報を推進し、文化による『国家ブランディング』の強化、『観光インバウンド』の飛躍的・持続的拡充を図る」ことだという。文化庁の補助金と聞けば、多くの人は文化振興のためと思いがちだが、実態はそうではない。説明を素直に読むなら、地域住民のためでも、出品作家のためでもなく、「日本よいとこ」という国内外に向けた情報発信、観光の振興が主たる目的なのである。いつのまにか文化庁は、日本観光のプロモーターのような役割を担わされるようになっているのだ。

 

 そう考えると、不交付決定もあながち不合理ではないことがわかる。つまり日本観光の振興に役立たないものは、芸術として意義があったとしても、国にとって意味はないからである。国家的プロモーションの目標に合致したものだけが補助金交付の対象になる。このような恐るべき文化芸術政策の質的な転換が進んでいるのだ。「日本博」自体は、東京オリンピック・パラリンピックの時期にあわせて、文化庁が中心に関係省庁と連携して行っているが、日本博総合推進会議議長は安倍内閣総理大臣である。国の文化政策にも官邸主導の構造が持ち込まれている。国が行う文化事業は、政府から一定の距離をおいた専門家に委ねるべきとする、イギリス発祥の「アームズ・レングズの原理」が重要であるとよく語られる。しかしながら、近年の日本の文化行政で強化されてきたのは、専門家も含めて権力にへつらう「忖度(そんたく)の原理」である。文化立国をめざし戦後大きく発展してきた日本の文化政策が大きな曲がり角に立っている。文化の自主性や自律性がいまほど問われているときはない。


武居利史(たけいとしふみ)

美術評論家、府中市美術館学芸員、府中市職員労働組合役員、多摩南部地区平和運動センター役員。専門は、現代美術、近代美術史、美術教育、文化政策、社会主義文化論。