現代における「戦後版画運動」の訴求力-「彫刻刀で刻む社会と暮らし-戦後版画運動の広がり」を企画して

小林喜巳子《私たちの先生を返して―実践女子学園の斗い―》1964 年(個人蔵)
小林喜巳子《私たちの先生を返して―実践女子学園の斗い―》1964 年(個人蔵)

町村悠香(まちむらはるか) 町田市立国際版画美術館学芸員

1. 「彫刻刀で刻む社会と暮らしー戦後版画運動の広がり」展の概要

 2019年4月から6月にかけて、筆者は町田市立国際版画美術館で標題のミニ展示を企画した。「戦後版画運動」は1949年に発足した「日本版画運動協会」を中心に全国に広がった美術運動で、版画制作を通した社会運動と版画の普及を目指した。日本美術会で活動した作家が核となり、本展では当館収蔵品から上野誠、滝平二郎、鈴木賢二、新居広治らを紹介。さらに版画運動の文脈であまり紹介されてこなかった朝鮮半島出身者の参加と、日本美術会や美術家平和会議で活躍した女性作家・小林喜巳子を取りあげた。また全国への広がりとして長野県南佐久郡でアマチュア版画サークルに加わった方のインタビュー調査を行った成果や、教育版画への展開を示した※1

2. 展覧会の反響

 約30点の小企画にもかかわらず、反響は筆者の想像以上だった。ひとつには直前に開催された「闇に刻む光 アジアの木版画運動 1930sー2010s」展(福岡アジア美術館、アーツ前橋)が関心を掘り起こしたこともあろう。反響が大きかったのは、新居広治『水兵物語』や三井寿が描いた農夫。そして特に小林喜巳子が実践女子学園の学園民主化闘争を描いた《私たちの先生を返して─実践女子学園の斗い》だった。本作がきっかけで雑誌に展覧会評が掲載され、研究者からの反響もあった※2。一方で、朝鮮半島出身者を取りあげたことを問題視するアンケートが1枚ではあるが寄せられた。以下ではこの2点について述べたい。

3. 小林喜巳子《私たちの先生を返して─実践女子学園の斗い》の反響

 実践女子学園中学高等学校で1962年に起こった学園民主化闘争を描いた本作は、第18回日本アンデパンダン展(1965年)で発表され、経緯をまとめた書籍の表紙にも使われた。描かれた場面は、1962年9月1日の始業式の日と推定される。同校で教鞭を執った美術評論家・林文雄(小林喜巳子のパートナーでもある)を含め3教師が組合活動を問題視されて一学期に解雇。二学期の始まりに生徒が解雇教員を校内に入れるため、大勢で守りながら校門を突破し、始業式をボイコットして集会を開いている場面が選ばれている※3

 小林は群像画を好んで描いた。群像とは明治以来の西洋絵画受容過程で重視された歴史画に連なるジャンルだ。女子高生が男性教師を守るために立ち上がった運動を主題とし女性作家によって描かれた本作は、女性に向けられてきたまなざしや、描かれ方のステレオタイプを覆す現代的訴求力を持っていよう。

 会期中には小林氏本人に展示を見て頂く機会にも恵まれ、当館で収蔵していた《一日本人の生命》(第五福竜丸事件・久保山愛吉の死を描く)や木版画の師である上野誠の作品を前にして、感涙されたのが印象深かった。小林の作品は戦後日本の女性画家の足跡としても重要であり、更なる調査のため作品をお持ちの方はぜひ情報をいただけるとありがたい。

4. 1枚のアンケート

 本展では、朝鮮半島出身者で版画運動に加わった呉炳学(おびょんはく)と朴央林(ぱくさりむ)の作品を紹介した。展示では詳しい調査まで至れず、彼らの木版作品と呉の作品が掲載された機関紙を展示。版画運動参加時は朝鮮戦争と重なり、祖国への思いを込めた作品を制作したという、歴史的経緯の説明とともに作品を紹介した。 開催後まもなく、「在日朝鮮人が『国際』を名乗る美術館に展示されるのはふさわしくない」という趣旨のアンケートが投書された。無記名で返答の求めはなく、館としては通常のアンケートと同じように扱った。ただ、作品を展示しただけでこういった排除を求める反応があることに驚きと不安を抱いた。 本展終了後のあいちトリエンナーレでの「表現の不自由展」展示中断のニュースを聞いた際には、真っ先にこの件を思い出した。今後、政治的議論がある主題に触れる展示に関して美術館はこれまで以上に慎重になるだろう。だがマイノリティをはじめとする多様なコミュニティの存在を提示し続けることは、2019年のICOM(国際博物館会議)で博物館の定義の更新が提案された広い意味での「公共性」に資すると考える。個々の美術館の「勇気ある」企画者だけが担うのでなく、様々な専門家とともに政治的な作品を扱うノウハウを蓄積する仕組みを構築する必要があるだろう。

 


※1 詳細は筆者がWebマガジン「アートスケープ」に執筆した「戦後版画運動の地下水脈 女性、山村をめぐるケーススタディ」(https://artscape.jp/report/curator/ 10154641_1634.html)参照のこと。その後、筆者と研究会メンバーで、神戸朝鮮中学校で教育版画の指導をした青山武美氏と生徒の作品、長野県南佐久郡小海町で活動した油井正次氏、北海道北見市で活動した景川弘道氏の作品調査を行った。今後も調査を継続するため、作品に関する情報があればご提供いただけるとありがたい。

※2 白坂由里「再検証の機運高まる 『戦後版画運動』とは何か?」、『月刊アートコレクターズ』No.125(2019年8月)、北原恵「アート・アクティヴィズム90:『小林喜巳子の版画』-『彫刻刀で刻む社会と暮らし』展から」『季刊ピープルズ・プラン』No.85(2019年8月)。

※3 この場面は『毎日ニュース』No.405(1962年9月5日)で実際の現場映像が確認できる。また実践女子大学児島薫氏にご教授いただいた『読売新聞』1962年9月24日夕刊掲載写真が本作の元になったと考えられる。日付の特定は、新聞記事、書籍での前後関係とこの運動に加わった卒業生のインタビューを総合して推定した。