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原子力サブカルチャー8

日本美術会会員 村田訓吉(むらたくによし )

波瀾万丈な始まり

 2019年は一言でいえば波瀾万丈な年でした。令和と元号が変わり、新天皇は現憲法を守ると誓い! 総理が国民無視で改憲を叫び、世界が保護主義に染まりそうな状況で世界中の小さき命一つ一つの大切さの祈りと願いと共に元国連難民高等弁務官 緒方貞子氏が旅たち、ローマ法王が来日して核兵器廃絶と原子力発電の禁止を訴えアースキャラバンから受け継いだ「希望の火」を吹き消し、COP25ではグレタさんというスウェーデンの環境擁護活動の少女が怠惰な大人たちを叱りつけ、あの命の水の活動をアフガニスタンで続けてきた中村哲さんが凶弾に倒れる。悲しい1年であり始まりの1年でもあると感じます。

 こんな状況の中で原子力サブカルチャーはゴジラとも関係の深い映画「ひろしま」のNHK放映とそれに関係する今までの歩みを見てみます。

 

映画「ひろしま」

 「ひろしま」はゴジラが作られた翌年の昭和30年に公開されます。余談ですが自分は初代ゴジラを見る前に「ひろしま」を見ることをお勧めします。白黒であり同じばかりでなく音楽も同じ作曲家なので連続で見ると連作ものかと勘違いしてしまうの私だけでしょうか。先にできたのはゴジラなのですが。

 映画「ひろしま」は長田新が子ども達の書かれた原爆の記憶を編纂した文集を「原爆の子」が原作となり日教組プロが制作し、なんと9万人近くのエキストラがボランティアで参加した史上まれに見る映画です。CGがある現在においてはもう2度と作られない映画でしょう。当然公開当時はものすごい反響を国内外で起こします。第5回ベルリン国際映画祭長編映画賞を受賞します。しかし日本では日教組による思想コントロールで反米映画であるという事ですぐにお蔵入りしてしまいます。

諦めない人

 初めから波乱万丈な歩みを始めた映画「ひろしま」ですが、2019年は諦めない年でもあります。競泳の池江璃花子選手が白血病を克服しました。競泳の選手を目指すという力強いメッセージには感動しました。また刑事事件が途中で闇に葬られた伊藤詩織さんが民事で勝ち新たな流れを自ら勝ち取った年でもあります。この事件はなぜ刑事事件が途中で終わってしまったかの追及までしていく必要があります。

 それと同じように「ひろしま」の助監督小林大平の息子さんの小林一平さんもその諦めない一人でした。彼とは何度か会い、気が合いいろいろ話し込んだものでした。広島の後ゴジラを見るといいと言ったら喜んでいました。どちらも核兵器廃絶を願った映画だと、彼は父が助監督を務めた「ひろしま」自主上映と共に人生を送った本当に諦めないヒーローのような魂を持った人でした。デジタルカラー化や英語吹替も作りたいとか沢山の夢を輝ける未来に向けて語っていました。その彼が突然2015年の2月12日に亡くなったのです。しばらく「ひろしま」のその後を心配する日が続きます。

 そしてその日が来ました。2019年8月17日午前0時NHK教育テレビから放映されます。きっと後を継いだ息子さん小林開さんの熱い思いと活動が実を結んだことだと私は考えています。いつか息子さんの開さんに会う事ができればそのことを聞いてみたいと考えています。

原爆と民主主義

 NHK教育テレビの放映では映画「ひろしま」にまつわる周辺の特集もいくつかされています。原子力をめぐる活動の中にはアメリカとの関係がどうしても出てきます。原爆と原発は一字違い。どちらもアメリカから持たされたものです。日本国憲法前文もアメリカに占領されたおかげでできたものであります。ですがこの二つはまるで違うものです。

 日本国憲法前文はアメリカの反対を押し切って世界唯一の世界平和を祈った平和憲法になり、その後その精神はジョンレノンの「イマジン」となり想いは茨木のり子さんの「倚りかからず」にも受け伝わり、世界平和を願うためには権威や権力を信じてはいけないと日本国憲法前文の真の民主主権を目指す魂の遺伝子は想いや形が変わっても伝えられてきました。

 原爆は原発となり、現在でも日々日本人を放射能の恐怖におとしいれているのです。

 原子力サブカルチャーは単に原子力のサブカルチャーでなく実は民主主義を考えていく上で非常に必要なサブカルチャーであります。日本ではゴジラから始まった原子力サブカルチャーがアメリカにわたり、原爆は怪獣たちを抹殺するためにとまで内容を変えられ、世界が保護主義に走り、真の民主主義の理念のすべての人権を生きる権利を守る理念を捨てはじめています。今こそ原子力サブカルチャーを通して日本国憲法前文にも歌われている人類の原理原則に基づいた民主主権を改めて考えていくところに来ていると実感します。

原子力と民主主義は共存しえない

 芸術とマルチチュードや帝国の上下巻で世界的に著名な政治哲学者のアントニオネグリは2008年3月20日に来日の際に私に直接に会って質問した原子力と民主主義に関しての質問にこう簡潔に答えていました。「原子力と民主主義は共存し得ない」。あらゆる人権と命を守ることが民主主権の理想の懇願であれば不慮の事故だけでなく災害や戦争などで暴走し沢山の人の命を奪う原子力が民主主義国家にあることだけで実は民主主義が破綻しているのでしょう!原子力サブカルチャーを研究し叫んでいく事は真の民主主権を築くための民主主義への奇跡の歩みの軌跡なのです!


日本美術会会員 村田訓吉(むらたくによし )

1974年から何度か呼び方は変わりましたが、愛と平和と地球と子ども達の再生可能な未来と言うコンセプチュアルアート製作継続中。NUC IS OVER GO GO GO。