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―コロナパンデミック前夜のインドでの作品発表と制作の日々―ムンバイでの「衝撃の4人展」・アンバラ第2回国際石彫シンポジウム

冨田 憲二(彫刻家・日本美術会代表)

 インドで最も興味深い博物館と呼ばれるチャトラパティ・シバジ・マハラジ・バストゥ・サングラハラヤ(旧プリンス・オブ・ウェールズ博物館)は、1911年英国王の訪問を記念して建てられた。インドサラセン様式の荘厳な建物で、主要なセクションが美術、考古学、自然史の3つに分かれ、インド各地のミニアチュール(細密画)やエレファンタ島の出土品等、その数は膨大。国内はもとより海外からの観光客でチケット売り場はいつもごった返している。

ビラ―ス・シンデ「無題」92×92 ㎝「衝撃の4 人展」
ビラ―ス・シンデ「無題」92×92 ㎝「衝撃の4 人展」

「衝撃の4人展」
 その博物館の中にある大小2つのフロアをつないだ、あっけにとられるほどの広い展示ホールが「衝撃4人展」の会場だ。画家ビラース・シンデ、造形作家ジンスック・シンデ、そして彫刻の山本明良と私。ムンバイ近代美術館のチェアーマンも兼ねるビラース氏の大壁面は、キャンバスにアクリル絵の具。タッチは驚くほど繊細、タイトルは全て「無題」、静寂そのもの。ホールの入口に彼の好きな自然界の映像とBGMが流れる。ビラース氏の夫人でパリ留学時代の同級生だったジンスック・シンデ氏は韓国の出身。赤青黄緑を基調に淡く滲んだ筆跡に、折りと刻みを加えた造形表現は圧巻、真っ白な台紙の上を紙片がかすかに揺れ、月や太陽のやさしい光を奏でる。白大理石、黒大理石、インド砂岩、素焼き、布、合金等を素材にする我々の彫刻作品、その制作現場と経緯は後で述べることにする。
 コロナの話題がまだはるか遠くの存在だった2020年1月27日、展覧会はスタートした。企画、マネジメントすべてを管轄するギャラリーアート&ソウルのスタッフは、前日の打ち合わせ通り、トラック満載の作品、展示台、備品等を次々に運び込み、いつもながら手際が良い。70点余りが並び、広い空間に衝撃が走る。何か東方の海から吹く風を肌で感じ、安堵と緊張に包まれる。
 だいぶ涼しくなった夕刻6時、オープニングパーティーに多彩なアーチストが集まる。画商、知人、ジャーナリスト等で館内がひしめく。若い作家たちの早口の質問とおしゃべりには疲労も2倍。9時過ぎて木立に囲まれた館の外へ。斜め向かいに近代美術館、歩いてすぐのインド門、アラビア海に沿ってタージマハールホテル。インド最大の国際商業都市ムンバイは宗教、民族も様々、昼も夜も眠ることがない。

移動
 2月3日から29日まで郊外のアート&ソウルギャラリーで第2ラウンド開始。その間グジャラート州のバローダでのシンポジウムに参加予定だったのが急遽変更。デリーよりさらに北、アンバラでの第2回国際石彫シンポジウムに合流することになった。ギャラリーのオーナー、スタッフ、ビラースさん等に展示その他を任せて2月1日午後、夜行列車に飛び乗りアンバラへ向かう。10時頃バローダ駅のホームでアシスタントの石工さんに預けてあった石彫道具を受け取り、24時間経ってデリー駅を通過、夜7時半目的地アンバラカント駅に到着した。

アンバラ第2回国際石彫シンポジウム
 2月3日朝、ホテルからシンポジウム会場「mind tree  school」へ。この国で上流階級と言われる学生が通う学校らしく、広大な敷地に瀟洒な校舎がそびえる。2年前の第1回シンポジウムで制作、設置された彫刻が芝生の上に点在する。隣接する会場ではテントの下、すでに6名の作家の仕事が始まっていた。イラン、中国、韓国、インド各地から3名、皆若い。山本と私の黒大理石は数100キロ離れた石切場からまだ届いていない。会期終了まであと18日間、少し焦る。2日後クレーンで吊り降ろされた石材の寸法、材質を確認。ここで初めて作品のテーマが決まる。良くも悪くも携えてきたマケットや頭で描いていた構想は、たいがい吹っ飛んでしまう。石を撫でながらまた産みの苦しみが始まる。
 手入れされた芝生の上で完成した大理石と設置点とのバランスを見届け、2月24日アシスタントを勤めた職人10数名と高速バスで彼等の故郷ラージャスタン州へ向かう。

出品の石彫制作はインドでする
 翌朝ピンク色の城壁に囲まれた州都ジャイプルに着く。そこからさらに西へ。高速道路をひた走り約4時間、幾層にも連なる採掘場と多くの顔見知りが住む石の街、マクラナに降りた。インドでの石彫シンポジウムに招待されるようになっておよそ15年が経つ。ほぼ毎年この街の石工さん達とインド各地で仕事をしてきた。ムンバイでの2ヶ所の展覧会に出品した石彫作品は、すべてこのマクラナの工房での制作。日本の八ヶ岳山麓で石を彫り、梱包し大金を払って空輸するより、旧知の親方が経営するこの工房での制作の方がはるかに効率が良い。展覧会前年の2019年、1月と5月の2度の滞在で20点近い作品を仕上げることができた。雨季に入る前、5月から6月にかけてのマクラナは、さすがに気温が上がり日中40℃を超える。朝5時から11時半までひと仕事、ホテルへ帰って昼寝、ペットボトル何杯もの水を傍らに夕刻から再び仕事。頻繁な停電でホテルのエアコンが切れた日はたまらない。それでも美しい模様の白や黒の大理石、赤や黄色の砂岩、日本では手にすることができない珍しい石材に囲まれながら、時たま出入りする職人さん達との世間話、こんな贅沢な仕事場はない。いつ来ても仕事ができるように工房に石彫道具を預け、一路ムンバイへ。

インドで創作をし続ける、若いアーチストとの交流
 3月2日、ひと月ぶりのムンバイはさらに暑さが増す。ギャラリー保管の作品と1年後の近代美術館出品作を仕分け、ビラージンスック・シンデ「日の出」103×124 ㎝「衝撃の4 人展」スさんのアトリエに寄る。「近所にとても面白いグループが居るから」と案内された工房。そこで待っていたのがオープニングパーティーで出会った、あの若いアーチスト達。油彩、オブジェ、版画、ドローイング等、エネルギッシュな作品が次々に出てくる。壁に巻かれたスクリーンを引っぱり、それぞれの作家のプレゼンテーションが始まる。短編ドラマのような巧みな演出。いつのまに奥の部屋から、道路の向かいからも若者で溢れ、10人程の輪に膨らんだ。あいかわらずの早口な英語が飛び交う。久しぶりのコーヒーが美味い。「創作をし続けるために、その厳しさを仲間と共有し、まっすぐに生きている」あの顔々が忘れられない。