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「彫刻刀が刻む戦後日本 2つの民衆版画運動」展と追加調査の報告-1950年前後の日本におけるアメリカ左派美術家グループ・アフリカ系アメリカ人1 芸術家の紹介

町村悠香(まちむらはるか)町田市立国際版画美術館学芸員

「彫刻刀が刻む戦後日本」展を企画して
 筆者は昨年「彫刻刀が刻む戦後日本 2つの民衆版画運動」展(町田市立国際版画美術館、2022 年4 月23 日-7 月3 日)を企画した。中国木刻運動のインパクトから始まった「日本版画運動協会」と「日本教育版画協会」の活動を軸に、前者による戦後版画運動、後者による教育版画運動を紹介。「日本で多くの人が学校で体験した版画作りからは実はリアリズム美術の系譜を見出すことでき、その奥には社会運動・平和運動の軌跡がある。さらには魯迅の中国木刻運動に遡ることができる」という、既存の美術史で脇に置かれてきた流れを提示した。
 準備として2018 年夏から戦後版画運動の機関紙を読む研究会を始めた。『美術運動』復刻版の解題を執筆した池上善彦氏、鳥羽耕史氏、白凛氏はこの会の参加者でもある。池上氏とは2021年夏に一緒に『美術運動』創刊号から1960 年代初め頃までを精読した。これにより『美術運動』誌上で戦後版画運動に言及した記事を、展覧会図録の参考文献一覧に加えることができた。

追加調査の報告
 本展では詳細な調査に至っていない段階の作品・関連資料も展示し、今後の課題として共有した。4章「4-2 海外との交流」で示そうとした左派の国際連帯は、特にそういった部分だったが、そのうちアメリカ左派美術家グループ・アフリカ系アメリカ人芸術家を紹介する作品・文献の追加調査を行った。

・「アメリカの新興人民美術紙上展」『美術運動』7 号

 〈戦後アメリカ美術に力づよいくさびを打ちこんだワークショップ・オブ・グラフィック・アートは、われわれの最もたのもしい味方として、これからの世界民主主義美術革命の一翼を推進しようとしている。ここには同団体が最近発表した連作版画『黒人の歴史』中の一部分を紹介しよう。多くは虐げられた黒人の過去の日を描いているがそのあらけずりな表現の底に人種解放への逞しい情熱がたぎるのを感じる。〉

 『美術運動』7 号(1949 年11 月25 日、pp.2-3)には、「ア メリカの新興人民美術紙上展」と題した以下の記事が掲載さ れていた【図1】。
 『美術運動』7 号(1949 年11 月25 日、pp.2-3)には、「ア メリカの新興人民美術紙上展」と題した以下の記事が掲載さ れていた【図1】。

 これについて展覧会図録(p.103) で筆者は「サンフランシスコの版画工房『 グラフィック・アート・ワークショップ』に所属する作家が人種差別を訴える作品が掲載されている。」と解説した。記事の団体名に誤記があり、サンフランシスコに今もある左派色が強い版画工房「グラフィック・アート・ワークショップ(Graphic Arts Workshop)2」を指すと考えたからだ。しかしアメリカ議会図書館のデータベースを検索したところ、記事の表記は正しく、ニューヨークで1940 年代末に活動した左派美術家グループ「ワークショップ・オブ・グラフィック・アート(Workshop of Graphic Art)」であることが分かった。

 「連作版画『黒人の歴史』」とは、同団体のNegro: U.S.A.:A Graphic History of the Negro People in America というポートフォリオを指す。1949 年2 月の黒人歴史週間(Negro History Week3)参加のために発行され、版画を中心とした26 作の複製印刷が収められている。表紙4 を手がけたのはアフリカ系アメリカ人画家で、米国における黒人の歴史と差別解消のための戦いを描き続けたチャールズ・ホワイト(Charles White) だ。

 

【図2】
【図2】

 『美術運動』7 号掲載作はその内の4 点で、アントニオ・フラスコニ(Antonio Frasconi、1919-2013)《奴隷船5》、《農場労働6》、レオナルド・バスキン(LeonardBaskin、1922-2000、誌上ではナレオード・バスキンと誤植)、ジム・シュレッカー(Jim Schlecker)《最初の犠牲者》だ。

 

 『美術運動』で紹介された経緯は不明だが、日系人の左派文化団体「2 世プログレッシブ」メンバーで画家のルイス・スズキは、1949 年に来日した際に日本人のリアリズム系の画家と交流し、チャールズ・ホワイトの画集を紹介したという7。スズキはホワイトと親しく、日本版画運動協会の作品を1952 年にニューヨークで展示する際も重要な役割を果たしており、こうした日米の繋がりが考えられる。

・村上暁人《米国黒人ラングストン・ヒューズの詩》

 もう1点は展覧会で展示した村上暁人の木版画作品《米国黒人ラングストン・ヒューズの詩》(1952 年、当館蔵・鈴木賢二旧蔵)についてである【図2】。村上暁人(本名・芳夫)は兵庫県明石市で活動した木版画家だ。日本アンデパンダン展に出品し、1953年に大阪市立美術館で開催された「第2 回平和を守る美術展( 大阪平和展)」では、日本版画運動協会の作品を取りまとめて紹介する役割も担った。

 本作にはハーレム・ルネサンスで活躍し、人種差別撤廃を訴えたアフリカ系アメリカ人詩人のラングストン・ヒューズ(Langston Hughes)の横顔とヒューズの詩「夜明け曙とともにあゆむもの 太陽曙とともにあゆむもの われらは夜をおそれない」が刻まれている。追加調査で詩に関しては、ラングストン・ヒューズ編・木島始訳『ことごとくの声あげて歌え :アメリカ黒人詩集8』(未来社、1952 年)を参照したと分かった9。本書に寄せた木島の解説「『ことごとくの聲あげて歌え』におさめられた黒人詩について」に引かれたヒューズの詩「曙とともに歩むもの(Walkers with the Dawn)10」の引用と文言が一致するからだ。

 同書には、「ラングストン・ヒューズの近影」として横顔の写真、チャールズ・ホワイトの版画作品3 点、ストリックランド(EdStrickland) のドローイング1 点、シポーリンのドローイング1 点が掲載されている。村上が「黒人」を描く機会はほとんどなかったと思われ、本作に描かれたヒューズの横顔は、この写真と、ホワイトの版画に見られる「黒人」の描き方を参照にしたと考えられる。

 

 村上はなぜヒューズとこの詩を主題にしたのだろうか。ひとつには詩が照らす希望が、九死に一生を得て復員した後に名乗った「暁人」という号と響き合うからかもしれない。さらに注目したいのは、この時期村上は米軍基地反対闘争の作品も制作していることだ。村上だけでなくアメリカから独立する前後の日本人がアメリカに対して抱いた「民族意識11」が、ヒューズに代表されるアフリカ系アメリカ人文学といかに共鳴し、戦後版画運動の作品に現れているのか。次なる課題として検討していきたい。

 


  1. 本稿で扱う時代は「黒人」の語が使われているが、文章中では基本的に「アフリカ系アメリカ人」の語を用いる。
  2. https://graphicartsworkshop.org/ で工房の歴史も紹介されている。
  3. 1976 年からBlack History Monthとなる。
  4. https://www.loc.gov/pictures/item/2020630050/ で表紙を紹介。
  5. https://www.loc.gov/pictures/item/2020630059/ で元作品の画像を紹介。
  6. https://www.loc.gov/pictures/item/2020630057/ で元作品の画像を紹介。
  7. 吉見かおる「ある日系アメリカ人帰米二世画家の口述生活史―戦時下に生きたルイス・スズキの反戦思想の展開を中心に―」『 名古屋外国語大学現代国際学部紀要』5 号、2009 年 3月、pp.412-417
  8. 国立国会図書館利用者ログイン後、https://dl.ndl.go.jp/pid/1659762/1/1 から全文を閲覧可能。
  9. 調査にあたって吉國元氏に示唆をいただいた。
  10. 後に刊行された木島始訳『ラングストン・ヒューズ詩集』(ユリイカ、1959 年)に全文が掲載されたが、訳は異なる。
  11. 日米講和条約調印に合わせて発行された『光をはこぶもの : 変革期の詩人たち』(安東次男ほか、月曜書房、1951 年)に、木島始は「民族の解放を歌うもの―植民地・被壓迫民族における詩の發展」を寄せた。ここではヒューズらの詩を紹介しつつ、「黒人詩において民族意識のかたちづくられる過程を簡単にたどってみた」と述べている。