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「《クォ・ヴァディス》の秘密 ~シュールレアリズム画家北脇昇の戦争」にみる北脇昇と草創期の日本美術会

小西勲夫(日本美術会資料部)

2023 年7 月2 日、NHK-E テレ「日曜美術館」で「《クォ・ヴァディス》の秘密~シュールレアリズム画家北脇昇の戦争」が放映されました。ご覧になった方も多いと思います。
 北脇昇氏は日本美術会の創立会員で、1947 年に京都支部ができた時には支部長もされていた方です。ご病気で1948年に支部長を退き、1949 年に「クォ・ヴァディス」を発表し、1951 年に亡くなられています。   そのような関係から番組の制作過程で「日本美術会」に戦後の北脇昇に関する資料の協力要請があり「日美会史資料」をもとに日美資料部が全面的に協力して資料提供してきました。提供した資料をもとに番組作りが進められ、6 月12日に「資料」の撮影と、資料中に出てくる北脇昇と草創期の日本美術会の活動についてのインタビュー撮影がありました。

 インタビュー撮影には会の歴史に詳しい木村勝明さんに出演して頂きました。撮影は制作者側から「日本美術会と北脇昇に関する幾つかの質問」が用意され、それに答える形で進められましたが、北脇昇に焦点をあてながらも、当時の時代背景や草創期の日本美術会の活動を語る貴重なものとなりました。会としてはインタビュー全体を貴重な記録としてまとめておくこととしました。
 番組中に「日美会史資料」のうちの「綱領」「戦争責任アンケート」「北脇昇(京都支部)から永井潔(中央委員会)への書簡」等の3 種の資料が撮影され、映像として放送されました。「会史資料」は資料部が10 年以上の年月をかけ電子化を進めてきたものですが、その資料が初めて全国に放送された記念すべき番組になりました。


インタビューを受けた私の本音を少々

そこで私の語ったこと、

言いたかったことは何か。  

木村勝明 (美術運動編集)

 7 月2 日の放映後、多くの方から感想をお聞かせいただきました。7 月10 日に日本美術会第3 回委員会がありまして、視聴された委員の方は会創立時の意義が鮮明になったドキュメンタリーとして、評価が高かったです。研究者の方々からも「美術家の戦争責任問題アンケート」の存在を知り、それへの関心の大きさもききました。しかし私のインタビューで話した多くはカットされていましたので、「あんなに長くお答えしたのに!」ってNHK-EDU のディレクターの方にも文句を言いました。放映のあった次の日、「どうでしたか?」という電話をいただきましたので、「内容はとても良かったです」とお応えしたのですが・・・。


 さて、この映像には他にも専門家(研究者)が数人インタビューを受けています。資料部には放映された録画DVD が届いていますので、見ようと希望すれば再見可能です。
 そこで私のお話したことは、戦争中の戦争画とその絵画展が組織され、思想統制に利用されたわけですが、そこに参加しないと絵の具や画材の配給も受けられませんから、そこから自由になる方法がなかったので、積極的・消極的にかかわらず、みな何らかのかかわりを持つことになりました。
 日本美術会の会報4 号のアンケート調査も返答が20 数通で大変少なかった。しかし北脇昇や松本竣介さんの返答は、非常に厳しい内容になっているわけです。戦争中の負い目・傷が比較的少なかったのだろうと思います。戦争中の思想統制の中で、そこから自由になることは無かったと思いますが、シュールレアリズムの前にプロレタリア文化運動があって、そこに参加した若き美術家は特高警察の監視下におかれ、地方の実家のある人間関係の中で息をひそめるか、満州に出て隠れて仕事見つけるか、海外に脱出する。(アメリカへ八島太郎・新井光子)。八路軍に投降した小野沢亘さんなど、色々なケースがあります(黒澤明など都会の貧民窟に潜伏して、その後映画界に行く)。
(アンケートの用紙をつけたのは第4号追加(1946.8.10)です。締切は9 月20 日となっています)

北脇昇の「クォ・ヴァディス」は何故名作か?
 このタイトルは戦前のポーランド文学の作家シェンケウィッチの小説から来ていて、「主よ!何処へ行きたもう?」というペテロの主イエスに問うセリフから来ています。時はローマ帝国、暴君ネロによって弾圧されるキリスト教徒がローマから脱出しようと丘まで来たとき、幻のイエスが現れて、ペテロが問いかけると、「ローマに行って虐げられた人々と共に・・・」ペテロはその啓示を受けてローマに引き返すという場面。この小説は戦前の左翼学生に読まれ大ヒット、北脇昇も読んだに違いありません。ちょうどハリウッドでも映画化されています。北脇昇の「クォ・ヴァディス」の絵画世界がこの小説のテーマの暗喩であり、カタツムリが下に在るが、そこからの抜け出した自分を象徴しているわけです。それはシュールレアリズム絵画を止揚したという寓意もあるのではないか? 行く手には嵐かデモ隊か、厳しい試練が待っているが、知識人である主人公は確かにそちらに向かって立っている。この作品は北脇昇の代表作であり、日本美術会草創期の傑作ではないかと思います。


日本の社会と現在に続く問題
 永井さんの「あの頃のこと、今のこと」で書かれていますが、北脇さんは京都支部長で、頑張っていたという事、しかし「クォ・ヴァディス」を描かれて1951 年に亡くなられた。当時は日本美術会も支部制をとっていた。保守的で、封建的な社会環境が残った時代でした。美術界においてはなお更な感は否めなかったでしょう。労働者美術サークルへの指導なども熱心だったらしい。当時の書記局だった永井潔あての北脇さんの手紙などが残っていて、その生真面目な報告を見ると、なお更、「クォ・ヴァディス」の後ろ姿のインテリ青年は、当時の北脇さん自身と重なって見えるのです。(書記長は内田厳。京都支部の立上げで永井潔がオルグに行っているので京都支部から見ると中央委員会の代表格になっていたようです)
 戦中の藤田嗣治など戦争画のトップスターとなり、翼賛統制文化の中、大衆も先導したものですから自分もわからなくなってしまう。ミイラ取りがミイラになっちゃう時代だったのですが、ドイツのレニ・リーフェンシュタール(女流映画監督)などもそうですが、権力はその才能を利用していきますよね!
 能力ある人はそれを逆に利用して、名作を作ろうと思う、そこに落とし穴があります。そういう時代を見てきた北脇さんとか松本竣介さんなど、非常に厳しいアンケートを書いてきます。
 最近の東京オリンピック映画などもそういう問題が続いています。ウクライナ・ガザなど戦争が続きますが、依然として、こういった扇動と記録の狭間に芸術と戦争の責任問題は終わっていないという感想を持ちます。
 今回のインタビューでは2、30 分はお話した内容が、ほとんど使われていませんので、その会話部分を要約し、短くまとめてみました。