森下泰輔
現代アートは「炭鉱のカナリア」、最初に最初に鳴くのをやめて危険を警告する予言者の立場もある。2019 年、あいちトリエンナーレにおける「表現の不自由展事件」の際、初代森美術館館長、デヴィッド・エリオットは、芸術の役割を炭鉱のカナリアの比喩として語った。
その意味ではヴェネチア・ビエンナーレはつねに予言的な役割を発信してきている。それだけ世界美術が時代性に密着している証拠だ。
新型コロナウイルスの影響で開催が1 年延期されていた第59 回ヴェネチア・ビエンナーレ企画部門、2022年は58 か国から200 人以上のアーティストが参加しており、そのうち180人以上のアーティストがこれまで国際美術展に参加した経験をもたない。また、ビエンナーレ129
年の歴史のなかで初めて、女性あるいはジェンダー・ノンコンフォーミング(性に関する旧来の固定観念に合致しない人=LGBTQ など)のアーティストが参加者の90% を占めることとなった。ロシアのウクライナ侵攻に対する抗議でキュレーターやアーティストが辞任したロシア館が参加中止となった。また関連企画に「This isUkraine : Defending
Freedom」展も開催、ゼレンスキー大統領自らも「われわれは自由を守るために戦っている」と国旗の上に書かれた作品を出品した。
それ以前、ウクライナ侵攻前の2019 年、第58 回ヴェネチア・ビエンナーレ、「May you live in interesting times 興味深い時代を生きられますように」テーマ時、ウクライナ館は世界最大の大型航空機「Antonov An-225 Mriya」をビエンナーレ会場に飛ばし、その影を鑑賞するといった《Shadow
ofDream》をアートの文脈として展開。だが、このアートの素材となった大型機は2022 年2 月ウクライナ侵攻時、真っ先にロシアが破壊している。2014、ロシアのクリミア侵攻時にもロシア館をウクライナのアートゲリラに意図的に乗っ取らせた。さようにヴェネチアのロシア館は反プーチン派が主導しているように映る。 58 回のテーマ「May you live in interesting
times」が第二次大戦の原因となった、1936
ナチのラインラント侵攻時の英国新聞記事をもじったもので大戦の予兆に満ちていた。元来戦争に向かうときに皮肉交じりにこういう。「興味深い時代」とは戦争・動乱の時代の逆説だ。しかしてロシア、ウクライナ侵攻初期に破壊された大型航空機を正式出品作品としていることも含め、ビエンナーレと時代の関係性は極めて示唆に富んでいることを物語る。また、同ビエンナーレにおいて過去、パレスチナ問題に関しては多くのアーティストが作品化し、ブルガリアのソラコフは、イラク戦争時、旧ソ連製のカラシニコフ銃のブルガリア製非合法コピー銃4
万丁が米国から親米新イラク軍に供与されたことをインスタレーションで告発していた(2007)。ソラコフは旧社会主義陣営と西側諸国が同型の銃で戦っていることの皮肉を込めた。こうした改造銃は2 億丁にのぼり、ウクライナ戦争やアラブゲリラにも多数流れている。
しかし、パレスチナ問題という時、美術シーンで突出しているのがバンクシーであり、ガザやパレスチナ自治区で壁画を展開してきているのは万人の知るところだ。ベツレヘムの「TheWalled Off Hotel: 世界一眺めの悪いホテル」には、シオニズム・トラブルの元凶、バルフォア宣言を皮肉った作品を設置、バルフォア宣言100 年の2017
年、パフォーマンスによるパレスチナへの謝罪も行った。バンクシーにおけるパレスチナ問題はアーティストとしての氏の根源的表現となっている。また、反戦の意図を継承する彼はさっそくウクライナにも出没。2022 年11
月にキーウ近郊の焼け跡に描いた。柔道でプーチンを投げ飛ばす図で揶揄したが、これがウクライナで正式に切手になっているのだ。ガザ爆撃でバンクシーの壁画アートの一部は破壊されている。ベツレヘムの「世界一眺めの悪いホテル」もガザ爆撃以来閉館しているという。
もうひとつの大問題は2022 年のドクメンタ15、インドネシアのアート・コレクティヴ「タリン・パディ」の民衆画的巨大垂れ幕《人民の正義》(2002)
が反ユダヤ主義的だというので検閲撤去。部分にユダヤ教徒のナチ親衛隊を思わす姿が描かれた。タリン・パディは同作を「インドネシアにおける権威主義からの解放の図」と説明したが、聞き入れられず総監督も辞任に追い込まれた。もともとドクメンタを含む現代美術の正当な流れは、リベラルによるナチの退廃芸術展批判から大戦後連綿と続いてきたもの。ここにきてユダヤ擁護の背景に関し疑義が生じている。
無慈悲なガザ侵攻は、2023 年10 月7 日にハマスがイスラエルを攻撃したことで始まった。この問題でもドクメンタ15などアートシーンでの表象および物議が先行しているのだ。
また2023 年に起こった「ストライキ・ドイツ」といわれる現象はドイツが反ユダヤ主義やユダヤ人批判、パレスチナ擁護の表現を支持しないという風潮に対し、各国の表現者から批判が起こりドイツでの発表をボイコットしようというもの。一方、反ユダヤ主義問題ではハーバード大学史上初の黒人で女性であるクローディン・ゲイ学長も反ユダヤ主義を容認したとして今年1 月、辞任に追い込まれている。
現代美術の上部にあるのは国連の思想である。国連は明らかに非人道的な戦争を止められず、国連中心の動きが反ユダヤ主義を俎上にのせられないとすれば、バンクシー型のアートテロリズムでしか、もはや世界の真実を告発できなくなってくる。実際、この10
年、世界の真実を告発してきたのはアートテロリズムであり、プーチン批判のパフォーマンスで逮捕されたプッシー・ライオットもきわめてアクティブだった。ソーシャリー・エンゲイジド・アートの文脈上では、アートテロリズム(メッセージ早い)、社会的協働(メッセージ遅い)と分類できる。
ここにおいて、国連の下部組織に見えてしまう官主導のグローバルアート界では、反ユダヤ主義をめぐって急ブレーキがかかった。総じて見えてきたもの、それはポリティカル・コレクトネス(政治的正義)を標ぼうする現代美術なる場の解決しがたい限界であった。
そこで堂々と正義を主張できるものでアート官僚がテーマに据えるのがエコロジー、SDGs 問題だ。
地球が崩壊し、人類滅亡の巨大テーマに反戦よりもエコロジーを世界の美術界は主軸にしてきている。極めてうがってみれば「反ユダヤ主義はアンタッチャブルなのでエコロジーなら」ともいえようか。むろんエコロジーは人類最大の課題であることはいうまでもないが、政治的大義名分としてこれ以上のものはなかろう。 日本でも長谷川祐子退任記念展「新しいエコロジーとアート」(2022
年東京藝術大学美術館ほか)に始まり(*長谷川祐子は金沢21 世紀美術館基本方針でもエコロジーをあげている)、2023、森美術館「私たちのエコロジー 地球という惑星を生きるために」展まで連続している。前回の展示壁を使いまわすことでサスティナブルを実行、「隗より始めよ」ではないが万事交換・交通量を減少させることが肝要だというわけだ。同展の展示部門、一章を設け戦後から1980
年代までの高度成長期の背後で起きた放射能汚染、環境汚染などの問題を主軸とした美術作品、たとえば桂ゆき、岡本太郎のビキニ環礁漁船被ばくをテーマにした作品や水俣には言及しているものの、あくまで80 年代までに限定しており、最近の福一の放射能事故と処理水海洋放出、辺野古のサンゴ礁をめぐる環境破壊は入っていない。むしろ目下の問題を語るべきかと思った。
森美20 周年記念レクチャーでも各国主要美術館館長を呼び、「美術館のサスティナビリティ」に関して語った(2023 年12 月6 日 アカデミーヒルズ)。MoMA のグレン・ラウリィ館長は、美術館がCO2 をいかに軽減させるか、エネルギー消費を押さえるZOOM
での展覧会構想までを語っていた。民営なのかテートのような国営なのかでやり方は変わってくる。テートモダン名誉館長のフランシス・モリスは美術館の未来を「展示だけではなく人々の交感の場を構築」と考え、デジタル化中心展開も否定していた。そこではエコロジーがますます重要化していく。テートモダン館長は、有名作家の大型展示、いわゆる「ブロックバスター展示」を半ば否定しながら、世界や社会に警鐘を鳴らし、美術・芸術を上位のイデア的存在の場として調整していく傾向にある。日本では、人々の思考を促しかつ新たな展開を示唆していくような社会参加型アートよりも、相変わらず大型展示に固執する傾向にあるが、さらに社会的な受けを狙うポピュリズム主眼の展示が増加しているようにも映る。
たとえば、2023 年7 月「凱旋!岡本太郎」展( 川崎市岡本太郎美術館) において、1970 年代に制作されてヒットした「タローマン」なる特撮テレビ番組を回顧し、同番組に登場した衣装やぬいぐるみ、太郎の作品のキャラクター化したオブジェ類、ポスターなどを展示しているのだが、実はこの「タローマン」なるものは番組もキャラクターも2022
年、藤井亮によって作られたフェイクであった。同美術館の展示においては事実であるかのようにわざと操作されていて、偽装されたフェイクだとは鑑賞している限りわからないようにされていた。しかもこの「タローマン」は、NHKBS
の広告塔のように使用されているもので、神聖かつ厳密であるべき美術史を岡本太郎美術館側が企業と手を組んで偽装、美術の美術たる純粋な根拠の追及を怠り、軽文化化、エンターテインメント化をなすもので、美術館機能の放棄であった。どうかと思う。そうでなくとも、現代の美術館運営は、作品成立の根拠や時代背景、人間世界の分析より人気と動員といったポピュリズムに魂を抜かれているようで本邦の美術なる場の行方に大きな不安を禁じざるを得ない。
森下泰輔/美術家・美術評論家
著作に「美術評論2001」( ギャラリーステーション)。「しんぶん赤旗」で美術批評を17年務める。
美術家として、「遷都1300 年祭」公式展示( 平城宮跡) やバーコードを用いた資本主義主題作品を制作。
銀座芸術研究所委員、アートラボ・グループ運営委員。
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