金田卓也 / 村田訓吉
「アートで世界を救えるか」
パリのシャルリー・エブド社襲撃事件、シリア空爆の続く中、本誌に金田が『アートで世界を救えるか キッズゲルニカの20年』を寄稿したのは2016 年である。そうした問いを抱きながらキッズゲルニカ (www.kids-guernica.org) の活動を継続してきたが、ロシアのウクライナ侵攻、ハマスの人質事件、イスラエルのガザ地区攻撃と最近の世界情勢は混迷を深めている。
米国でのキッズゲルニカに関わったことのあるパレスチナ出身のフロリダの小学校の美術教師が故郷のガザに帰郷したとき、イスラエル軍の空爆が始まり、出国できなくなってしまった。連絡の滞る中、彼女の安否が気遣われたが、エジプトとの国境が開いたとき間一髪出国することができた。同じくパレスチナ出身の夫と子どもたちと共に生活の拠点である米国に無事帰国することはできたが、ガザの親戚の何人かは空爆の犠牲となり、彼女の状況はきわめて複雑である。
スペイン市民戦争の中、1937 年のドイツ軍のバスク地方のゲルニカ空爆に対して描かれたのがピカソの『ゲルニカ』の作品であるが、「アートで世界を救えるか」という問いは重くのしかかる。
P3578 アートプロジェクト
エルサレムでの詩の朗読などのパフォーマンスを行い、アートを通しての平和な世界の実現を願うコンセプチュアル・アーティストである村田はキッズゲルニカの活動にも積極的に関わってきた。
2017 年に金田と村田で共に始めたP3578 アートプロジェクトは7 年目を迎えた。2024 年は2+0+2+4=8 でシンボリックな年でもある。この7 年の間、P3578 は着実に発展してきた。コロナ禍の最中も含めて、毎年、新国立美術館でのアンデパンダン展にインスタレーションの作品を展示するだけではなく、芸術劇場でのコンヒューズ展、丸木美術館、小田原文化芸術協会、古河街角美術館でもP3578 に関連した作品発表を行ってきた。
P3578 が依拠する< 数> というものは社会的・文化的文脈を超えて存在する普遍的なコンセプトである。P3578 が<数> という普遍的なコンセプトに基づいている背景には、社会的・文化的差異を超えたところにアートの価値を見出したいという思いがある。
社会関与型アート
P3578 はその出発点から美術館やギャラリーという場に留まらないアートプロジェクトである。ニューヨーク近代美術館のパブロ・エルゲラは「社会関与型アート」(SociallyEngaged Art) という概念を提唱したが、アートというものは本来的に社会と関わる中に存在するものであり、社会と関与しないアートというもの自体が存在しないともいえるであろう。一方、< 美術= アート> は異なる社会や文化を超えた世界共通語であるという見方もあるが、美術と関わっている私たちが当たり前だと思っていることの通じない世界があることも理解しておく必要がある。
P3578 は美術館やギャラリーというものが存在しない、つまり、< 美術= アート> という概念がないところでの活動を試みてきた。それは「アートとは何か」という本質的な問いの追求でもある。そのひとつがネパールのムラバリという村での活動である。
ネパールでのアートプロジェクト
ムラバリのような村落地域では美術館や展覧会に行ったことのある人は皆無であり、村の人たちにとっては< 美術=アート> という概念それ自体と無縁だと言ってもよいであろう。アートがネパールのような発展途上国の村では意味を持たないのであれば,アートは先進国にしか存在しえないものとなる。近年、ネパールではカトマンドゥ・トリエンナーレが開催されるなど現代美術に対しての動きが見られるものの首都カトマンドゥにおいてさえ美術に関心のある層というのはきわめて限られている。ムラバリ村でのP3578 プロジェクトは、「アートとは何か」といった本質的な問いの追求でもある。
2015 年のネパール大地震の震源に近かったムラバリ村は大きな被害を受け、家屋の多くが損傷した。金田が地震に対しての緊急支援を始めたことが契機となり、この村でのアートプロジェクトが本格的に始まった。最初のP3578 プロジェクトとして大地震で壊れた水汲み場に新たな水源から水を貯めるためのタンクの小屋組みを3・5・7・8 の数にちなんだデザインで作ることにした。
次に試みたのが、P3578 のアイデアに基づく持続可能な素材である竹を用いた集会所である。秋になり茅葺きの屋根を作り、村の子どもたちの描いたキッズゲルニカの絵を飾った。正面の壁にはP3578 をシンボライズした三角形の文様が施された。
コロナ禍の中でP3578 に新たに加わったのは生命を宿した胎児をイメージさせる勾玉型をしたシンボルである。コロナ禍の中、村と通信のできるMessenger を通してこのイメージを伝え、集会所の内壁に原初的生命体のシンボルが描かれた。さらに村人の手によって村田が継続して描いてきた平成唐草文様が加えられた。ミトコンドリア内部のDNA のような螺旋状の平成唐草文様は原初的生命体のシンボルと一体化したものになった。
個人の自己表現の追及とは異なり、村田の平成唐草文様はムラバリ村の村人との共同作業によって新たなイメージに発展していったのである。このイメージをインスタレーションの一部として2021 年のアンデパンダン展に出品した。
ムラバリ村では、P3578 が契機となり、栽培されているウコンを活用した村の女性たちの手による染色も始まっている。そのウコン染めの布も2022 年のアンデパンダン展へ出品した作品の一部になっている。
アボカド植樹プロジェクト
ムラバリ村でのP3578 のもうひとつの展開はアボカド植樹プロジェクトである。ドイツの現代美術家ヨーゼフ・ボイスは1982 年のカッセル市での展覧会ドクメンタ7 に『7000 本の樫の木』という題で実際に木を植えたことで知られている。それから約40 年経過した現在、カッセル市の樫の木は大きく成長し、市民に豊かな緑の木陰を提供している。アボカド植樹プロジェクトはボイスの活動に触発されたものでもある。アボカドの苗を3 本、5 本、7 本、8 本と植樹したことに始まる。コロナ禍の前に飢えたアボカドの苗は大きく成長し、美味しい実をつけるまでになった。コロナの前に植えた木は確実に成長し、実をつけ始めている。近い将来、ドローンで撮影すれば、ハート型のアボカド果樹園は美しいランドアートになる。
和の三叉の鉾
新しく製作された3 個の原初生命体のシンボルのついた鉄製のオブジェはムラバリ村に運ばれ、ヒマラヤ山脈を見渡す丘の上に設置された。このオブジェは村で信仰されているシヴァ神の持つ三叉の鉾の先端部分が大地から突き出たイメージである。三叉の鉾はギリシャ神話においても海を守るポセイドンの持つものとしても知られ、DC コミックスのアクアマンの武器でもある。ウクライナの国章にもなっている邪悪な敵と戦うための武器であるが、オブジェの先端には3 つの勾玉型の原初生命体のシンボルがつけられ、両脇にはハートを加え愛の武器となるイメージを加えた。
鉄の部分の製作は知り合いの鉄工所にイメージ画を渡して依頼したが、こちらの製作意図をすぐに理解してくれ、想像していた以上に美しいフォルムに仕上げてくれた。現地では伝統的な技術を受け継ぐ鍛冶職人が新たな鉄のオブジェを作ることになっている。古今東西の美術の歴史を振り返ってみると、宗教画や宗教彫刻のほとんどは、個人の表現というより集団での共同製作から生まれたものである。その意味でも、鉄のオブジェは個人の作品というより、日本の鉄工所と村の鍛冶職人たちとのコラボレーションであることはいうまでもない。
この鉄のオブジェからヒマラヤ山脈を見渡すとき、ちょうど胸の位置にハートの形が来る。ムラバリのような村であっても、村人たちはスマホを持ちすぐに写真や動画を撮ってFacebook やTikTok にアップしようとする。この丘を訪れた人たちが日本観光地によくある顔出しパネルのようにこの愛の三叉の鉾と一緒に写真を撮って欲しいと考えている。
ムラバリ・アートビレッジ計画
コロナ感染が終息を迎えた2023 年4 月にこの村を訪れたとき、村田はムラバリ村の民家の壁に『宇宙エネルギーの流れ』と題した絵を描いた。赤い色の点はP3578 のコンセプトを示している。美術館や展覧会とは無縁な村人の一人がこの壁画をじっと見ていて、その感想をアーナンダ (aananda) という言葉で語っていた。サンスクリットに起源を持つアーナンダは「歓喜」と訳されるが、単なる喜びの感情というより、歓喜を通しての至福の状態、心の安らぎとでもいった方がよいかもしれない。釈迦の十大弟子の一人、阿難陀の名前の由来もそこにある。今では村田の描いた壁画はムラバリ村の風景の一部となっている。
アンデパンダン展は展覧会を拠点に始まった美術運動であるが、P3578 は美術館という場を離れて活動するとともに再び美術館に帰還するという美術館の内と外とを往還するアートプロジェクトである。そして、現在、P3578 をさらに発展させた形で、美術館から遠く離れたところに位置するムラバリ村そのものをひとつの美術館=ミュージアムにするムラバリ・アートビレッジ計画が進められている。「アートとは何か」という問いに対する答えはその往還運動の中に見出すことができるかもしれない。
「アートで世界を平和にすることができるのか」
P3578 の頭にあるP はProject 3578 の意味を持つが、Pで始まる英単語には Passion ( 情熱)、Prosperity ( 繁栄)、Progressive ( 進歩的な)、Productive ( 生産的)、Pure ( 純粋な) といったPositive ( ポジティヴ) な意味を持つものが多いが、金田と村田にとっての最大の関心事はアートを通してのPeaceful ( ピースフル) な世界の実現である。
古代インドの叙事詩『マハーバーラタ』は一族の戦争の物語であり、戦争は一度始まると収拾がつかなくなり、現代の核兵器を髣髴される最終兵器の使用の描写があることで知られている。そして、この物語は戦争の愚かさと共に戦争は関わる人々一人一人の内なる心の中にシャンティ (shanti) がなければ、解決できないことを伝えている。シャンティとはサンスクリットで世界の平和と共に心の平和を意味する言葉である。アートが人間の内面世界に関わると共に、同時に外的世界とどう関わるか、つまり、社会とどう関わるかということはP3578にとっての課題でもある。 ランドアートとなるアボカドの樹は村人に栄養価の高い美味しい果実を提供し、女性たちの作るウコン染めのショールと共に貧しい村に現金収入の道をもたらす。このアートビレッジを訪れた人たちは村人たちと共にさまざまなアートプロジェクトと出会うことになる。ほんの少しであっても世界を変えることができるのではないか、そんな思いから始まったムラバリ・アートビレッジ計画である。
金田卓也 かねだたくや
栃木県生まれ。
東京藝術大学大学院で学術博士号を取得。
アーティスト・絵本作家・大妻女子大学教授・キッズゲルニカ国際子ども平和壁画プロジェクト代表。ネパールの村でアートプロジェクトを進めている。
村田訓吉 むらたくによし
日本美術会会員。
コンセプチュアル・アーティストとして多様な表現メディアで活動をしている。P3578 プロジェクトを金田と始める。
2023 年にはネパール・カトマンドゥとインド・コルカタでパフォーマンスも含めた作品発表。
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