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ウィリアム・モリスが中世に託したもの ー 社会主義・霊性・自然共生

アライ=ヒロユキ(美術・文化社会批評)

 現代社会の弊害は「効率」と「経済価値」が強く尊ばれ、人権および生存権、社会的紐帯が荒廃している点にある。その原因とは資本主義だろうか?19世紀にイギリスの芸術、思想、宗教を揺り動かした「時代の波」をいま振り返ることは大きな収穫があると思う。これは先年のイギリスへの取材旅行をもとに雑記としてまとめたものだ。

文化遺産と自然保護のパイオニア、モリス

 19世紀の時代の波を体現するキーパーソンにウィリアム・モリスをあげたい。デザイナー、編集者、詩人、文化プロデューサー、社会活動家など、彼は数多くの顔を持つ。多面的なその足跡を手軽に知るにうってつけの場所がある。ロンドンの北東郊外のウィリアム・モリス・ギャラリー(WilliamMorris Gallery)だ。彼の人となり、デザイン作品、モリス・マーシャル・フォークナー商会(後にモリス商会に改組)の事業、編集・出版事業、社会主義活動、アイスランドへの旅行などがコンパクトにまとめられている。

 モリスの社会活動には自らの商会によるデザイン事業と社会主義者としての政治活動がある。当時のイギリスでもっとも先鋭的な反帝国主義者でもあった彼は経済の国家管理でなく、結社や協同組合の拡大で人間解放をめざすユートピア社会主義を奉じた。彼は古建築および自然の保存活動のパイオニアでもあるが、これは後に述べるように彼の社会主義と大きな関わりがある。1877 年に彼は古建築物保護協会(SPAB)を設立し、保全活動を行った。大気汚染、エピングの森やテームズ川流域の保全のための抗議、住環境保護団体との広告抑制の連携なども行った。

 古建築保存においては、ゴシック・リヴァイヴァルの教会ブームで乱暴な改修が横行した状況を批判した。「アンティ・スクレイプ」(漆喰をひっかいて剥がさないこと)に代表されるオリジナル保存のガイドラインを作った功績は大きい。

ラスキンが導いた中世の社会主義的再評価

 ラファエル前派第二世代の代表作家である、モリスと生涯の親友のエドワード・バーン=ジョーンズはオックスフォード大学時代、中世の物語、教会を熱愛し、聖職者を一時めざしたという。これは進歩の時代に背を向けた行為に映る。ふたりの資質を強く刺激し、大きく導いたのがジョン・ラスキンだ。

 「本当のことを言えば、分割されたのは労働ではなく、人間なのだ。人間は単なる切れ端に分けられた。生命は、小さな断片と屑とに粉々に砕かれたのだ」(『ヴェネツィアの石』)。

 ここには資本主義の賃労働における疎外が的確に表されている。ラスキンは賃労働をピラミッド建設の奴隷労働と同じと断じ、ゴシック教会の建築には職人の自発性と創造性があったと述べる。モリスはラスキンの論を総括敷衍して「芸術による労働の聖化」と形容した。古い時代の労働のあり方に資本主義へのアンチテーゼを見る姿勢は、モリスに決定的な影響を与えた。

英国国教会が支配する社会に訪れた変革

 いまある歴史遺産は往々にして保存と継承のための格闘の賜物だ。イギリスの地方に驚くほど残る中世の教会はその証言者だ。イギリス現存最古英国国教会が支配する社会に訪れた変革 いまある歴史遺産は往々にして保存と継承のための格闘の賜物だ。イギ いまある歴史遺産は往々にして保存と継承のための格闘の賜物だ。イギリスの地方に驚くほど残る中世の教会はその証言者だ。イギリス現存最古の壁画はグロスターシャー州ディアハーストにある聖マリア教会の10 世紀の壁画だが、うっすら痕跡が残る程度。絵画の全体をとどめた最古級はウェスト・サセックス州のハーダムにある聖ボトルフ教会(St Botolph's Church)の12 世紀早期の壁画だ。《誘惑》(アダムとイヴ)が有名で、素朴だが当時の描画スタイルの肉(つまり罪)の誇張が印象に残る。同州クレイトンにある聖ジョン・ザ・バプテスト教会(St John the Baptist Church)の壁画は1080 年から12 世紀初めの制作と推測され、これも最古級だ。三面の壁にわたる《最後の審判》は見ごたえがある。双方とも中世壁画では画工が特定される珍しい例で、拠点地名を取りルイス集団と呼ばれる。

 このふたつは塗り込められた壁の下層から19 世紀末に発見された。こうしたヴァンダリズム(芸術破壊)は16 世紀のヘンリ8世から始まった宗教改革によるものだ。ローマ・カトリックから分離した英国国教会(現在の聖公会)は聖書を信仰の礎とし、イエスと使徒の共同体を継承する教会文化に否定的で、多くの修道院や宗教文化が破壊された。

 しかし19 世紀に変化が訪れる。原因のひとつは産業革命以降、社会と人心の荒廃を招いた悪名高いイギリスの資本主義への忌避感だ。資本主義は功利主義、合理主義、物質主義、理性偏重に支えられ、発展した。そこに潜む社会矛盾を嫌った人が希求したのが、中世の社会的紐帯と秩序を理想化した中世主義だ。中世主義は反近代のロマン主義のいわば派生だが、英国国教会の中にその影響でオックスフォード運動が生まれる。これはジョン・H・ニューマンらオックスフォード大学の関係者による信仰改革運動で、個人の判断と主体性を重んじるリベラル信仰でなく、宗教改革以前の教会の伝統再興を訴えた。その性質上、国王が宗教上の首長でもある英国社会ではタブーであったカトリックへの接近も意味した。

 深刻な貧困問題へのアンチテーゼとして、中世の教会が尽力した弱者救済活動も再評価された。キリスト教社会主義はそうした動向の影響下にあり、代表例がラスキンだ。貧民街でのキリスト教の社会福祉活動であるセツルメント運動も同様だ。ラスキンはセント・ジョージ・ギルドという工芸と持続可能な農業のコミューンも作った。これは現在も啓発団体として存続。モリスもまた大きな影響を受けた。

アーツ・アンド・クラフツの教会建築

 モリスが抱くアソシエーション(結社)を核としたユートピア社会主義は、中世の職人のギルドを理想形とした。その具現化の手段が彼の商会だった。利益の分配、権限の平等性など、制度面の実現は難しかったが、文明観が投影された事業活動に大きな収穫があった。

 「製作する人にも、使用する人にも幸福なものとして、民衆により、民衆のために作られるべき芸術の種をまくに際して、この二つの徳は絶対に必要であると信ずる。それは誠実と簡素な生活とである」(「民衆の芸術」)。

 アーツ・アンド・クラフツ運動(A&C)は、1861 年に設立のモリスの商会が先鞭をつけたが、その後裾野が広がり、1884 年にアート・ワーカーズ・ギルド(AWG)、美術展示を含めた上位団体アーツ・アンド・クラフツ展示協会が1887 年に誕生。世界各地に伝播した。

 A&Cは浄土思想に傾倒した柳宗悦の民藝ともよく比較されるが、宗教建築の実践が異なる。日本の民藝が宗教建築に縁がなかったのは、天皇制支配下の宗教に公共性が希薄だったためか。A&Cは貧者救済のセツルメント運動、平和と平等を信仰でうたうクエーカー教の施設なども手がけた。これらを線で結ぶことで、A&Cがめざしたものが見えてくる。

 アレック・ハミルトンは『Arts & Crafts Churches』でA&Cの教会の様式上の共通点はないと述べる。むしろゴシック・リヴァイヴァルの桎梏から離れた、デザイナーの自由な発想の開花が特徴という。一般に機能性の高い教会建築が代表例で取りあげられるがそれがすべてではない。

 ロンドンの建築例の筆頭はスローンストリートのホーリー・トリニティ教会(Holy Trinity Church)だろう。AWG のジョン・D・セディングが手がけた建物はゴシック・リヴァイヴァル様式だが、各所の調度品にA&Cらしいモダンさがある。白眉はモリスとバーン=ジョーンズの手がけたステンドグラスだ。聖人や天使など61 もの図像から構成された巨大なもので、バリエーションに富んだ造形的想像力が楽しめる。バーン=ジョーンズのステンドグラスは赤と緑の重点配色が特徴で、絵画の単なる引き写しを超えたコンポジションの秀逸さがある。

 同じくケンジントンのロシア正教会(Russian Orthodox Cathedral)もその例で元々は国教会所属。AWG のヘイウッド・サムナーによるティンパヌム(扉の上の装飾や彫刻)、身廊左右両脇上部のズグラッフィート壁画が見所だ。壁画はラファエル前派とアール・ヌーヴォーの影響が見られる。アールズコートの聖カスバート教会(St Cuthbert’s Church)の建物もゴシック調。聖書台はAWGのベインブリッジ・レイノルズ作で、軽快で躍動感のあるフォルムがモダンだ。

アーツ・アンド・クラフツとケルト・リヴァイヴァル

 A&Cで異色を放つのが、ロンドン郊外のコンプトンにあるワッツ・ギャラリー・アーティスツ・ヴィレッジ(Watts Gallery Artists’Village)のワッツ共同墓地礼拝堂(Watts Cemetery Chapel)だ。中に入ると東洋的な印象を与える天使が蝟集するレリーフ的絵画に驚かされる。内と外壁レリーフには曲線文様が施されている。古代のケルト文様を復興したケルト・リヴァイヴァルの傑作とも言われるが、ケルト様式だけでなくアール・ヌーヴォー、ビザンチン美術が混合した複雑なもので、文様にはキリスト教のシンボリズムも込められている。

 実は現代の考古学では、大陸のケルトとされる人々のブリテンとアイルランドに集団移住はなかったというのがほぼ定説だ(日本では広まらない)。「ケルト」は当時の言語学分類に基づく粗い定義だが、ロマン主義、アイルランドの民族主義(独立運動)によって政治・文化的に確固たる概念になった。

 制作者のメアリー・F・ワッツは、ラファエル前派の画家ジョージ・F・ワッツの妻。サフラジェット運動(打ち壊しを伴った婦人参政権運動)の地区リーダーでもあった。ここを拠点に陶芸による地域の雇用創出を図った。A&Cがめざした社会と霊性(信仰)の架け橋の代表例だ。

モリスが神話に夢見た理想社会

 ウィリアム・モリスは1381 年の民衆反乱、ワット・タイラーの乱が主題の小説『ジョン・ボールの夢』を書いている。そこには産業革命以降喪われた、革命の熱を秘めた民衆の紐帯への憧憬がある。ロマン主義的な中世、各地の神話への憧憬もモリスのなかで共存する。生涯魅了されたトマス・マロリーの『アーサー王の死』について延べ、アイスランドのサガ(神話や伝説をまとめた散文詩)への愛を語った後、「宗教において私は異教信者だ」(1892 年)と彼は述懐したという。幾つか上梓したゲルマン/北欧伝説物語の翻訳本からも熱情が窺える。モリスはキリスト教に傾倒もしたが、多分に社会的紐帯の効用の便宜性もあったろう。シャーロット・H・オバーグは『A Pagan Prophet William Morris』の中で、特定の信仰というよりミルチャ・エリアーデのいう諸宗教の基層にある自然の聖性への信仰、「宇宙的宗教」を抱いていたのではと推測している。

 モリスによる神話紹介はファンタジーの文学や映像作品の大きな礎となり、『指輪物語』のJ・R・R・トールキン、『ナルニア国物語』のC・S・ルイスに影響を与えた。そこにロマン主義だけでなく、反近代の清貧と自然共生への想いが根底にあると言っていいだろう。

ケルト霊性とモリス

 モリスのこうした独特の世界観は、当時勃興した「ケルト霊性」(CelticSpirituiality)と共鳴するものがある。ケルト霊性のひとつがケルト・キリスト教で、厳しい清貧の修行による「緑の殉教」を特長としたアイルランドの中世キリスト教の復興運動だ。409 年のローマ帝国の撤退後、異教に再び支配されたブリテン島に対し、アイルランドから聖コルンバがスコットランドのアイオナに、同じく聖エイダンは北部イングランド・ノーサンブリアのリンディスファーンに修道院を創設し、再布教した。この復興運動が19 世紀中盤に起こった。先のふたつは聖地、パワースポットになっている。特に1938 年に創設のアイオナ・コミュニティは反戦平和、LGBTQ+尊重の多文化主義が特色だ。

 もうひとつは「ケルト」の神々を崇拝する古代の異教、ドルイド教の復興だが、歴史的厳密性はなく、再創造とも形容される。これはネオ・ペイガニズムの一種で、北欧神話信仰など世界各地に実践例がある。これらは自然崇拝を核とするため「地球中心主義信仰」と呼ばれる。 モリスは宇宙的宗教の夢想を抱きながらも、民主主義への想いは忘れなかった。彼が愛したアイスランドで目にしたのはシング(民会)という千年以上続く直接民主主義の伝統であり、つつましく労働に生きる人々の姿だった。「どんなに貧しくても階級社会よりはましだ」は彼の強い想いだったと思う。

 「モリスは過去に没頭しているように見えても、常に関心があるのは未来だった」(「タイムズ文芸付録」1912 年8 月8 日)。

 気候危機と戦争により環境と社会が疲弊どころか存亡の瀬戸際に立たされているいま。「振り返ること」にこだわった19 世紀の試みに学ぶものは多いと思う。


アライ=ヒロユキ(美術・文化社会批評)