武居利史(たけいとしふみ) 美術評論家
絵画表現に「労働」というテーマの熱い時代があった――昨年、神戸市立小磯記念美術館で開かれた、小磯良平生誕120 年特別展「働く人びと 働くってなんだ?日本戦後/現代の人間主義(ヒューマニズム)」は、そんなことを考えさせる展覧会であった。
小磯良平といえば、ドレスや着物を身にまとった華やかな女性像を思い浮かべる人も多いだろう。およそ「労働」というテーマには似つかわしくない作家と思う向きも少なくないかもしれない。
しかし、意外にも戦後の一時期、「働く人」の姿を描くことに注力した時期があった。戦後の代表作ともいえる小磯の《働く人びと》(1953)は、神戸銀行本店の新館落成にあわせて壁画として描かれた油彩で、約半世紀にわたり地元の人々に親しまれてきた。漁業や農業、建設に勤しむ人々とともに母子像が横並びに描かれており、戦後の平和と復興を象徴したモニュメンタルな絵画で、現在は美術館の寄託作品となっている。今回の展覧会は、この大作を中心に小磯の労働にまつわる油彩や素描などを展示することで、小磯の知られざる一面をたどるとともに、同時代の「労働」を描いた他の作家の作品を多数並べて展示することで、「労働」をめぐる社会の移り変わりを見つめる。
興味深いのは、冒頭から戦後間もない時期の日本アンデパンダン展などに出品された社会主義的なリアリズム絵画が並んでいることだ。東宝争議を描いた内田巌《歌声よ起これ(文化を守る人々)》(1948)、国労の組合員を描く新海覚雄《構内デモ》(1955)のような労働運動を主題にした作品のほか、ダム建設に従事する労働者を描く桂川寛《小河内村》(1952)、基地拡張反対闘争を描く中村宏《砂川五番》(1955)といった社会問題に取材する当時の若手のルポルタージュ絵画も展示される。小磯の《働く人びと》は、こうした具体的な事件を描いたり、政治的な主張を伝えたりする作品ではないものの、同じ部屋で展示されることで、1950
年代の日本社会に立場を超えて広く共有されていたはずの民主化の息吹が伝わってくる。労働組合の結成が広がり、普通の人々の「労働」こそが社会の幸福を生み出す原動力だと考えられるようになり、「労働者」が輝いていた時代だ。それが絵画表現に結びついたのは、「労働」というものを、人間の姿を通して描くことができたからでもある。
人間の描き方をしっかりと身に着けた画家こそ、身体的イメージを通して「労働」を説得力もって描くことができる。その点で小磯のエスキースに示される人体の的確な描写力には感嘆せざるをえない。日本美術会の初代書記長にもなった内田巌は、小磯と同様に、東京美術学校に学び、パリへ留学、新制作派協会の結成をともにした画家仲間であった。彼らのような戦争の時代を中堅画家として生き延びた世代にとって、多かれ少なかれ手を染めた戦争画を描いた体験は背負う重い十字架でもあった。平和への希求として「労働」を描く行為には、少なからず贖罪の意識もあったのではないだろうか。あらためて小磯の《働く人びと》を眺めてみると、労働者や農漁民のほかにも、幼子を抱く女性が3人も描かれ、むしろ主役のように描かれていることも注目される。母子像は、愛と平和、明るい未来の象徴であるのはもちろんだが、子どもを育てることもまた「労働」に含めて捉えていたのではないかと気づく。展覧会では、「働く人と家族」の章も設けて、戦後の画家たちが好んで描いた母子像の意味について考えようとする。
さて、このように「労働」が希望だった時代に始まる展覧会も、歴史を下るに従ってむしろ人間疎外を生み出す「労働」のもつ負の側面を浮かび上がらせる。特に「現代の働く人びと」という章では、4
人の作品が取り上げられる。相笠昌義の孤独な群衆を描く油彩《夜の駅》(1975)、やなぎみわの百貨店や駅のホームにエレベーターガールたちを合成した写真の《案内嬢の部屋》(1997)、澤田知子のリクルートスーツで別人のように変装して写り込む証明写真の連作《Recruit》(2006)、会田誠の無数のサラリーマンの屍がゴミ山のように描かれる《灰色の山》(2009-2011)である。いずれも事務仕事やサービス業などに従事する今日のありふれた労働者像であって、かつての「労働」イメージの主役であった工場や建設現場の労働者ではない。企業に飲み込まれ、画一性を求められ、個性を失いかけた労働者の姿ともいえる。働く肉体は失われ、あたかも人を示す記号でしかない。「労働」が輝いて見えた戦後の時代にも、辛く苦しい「労働」の不合理さはあったはずだが、そこには未来への希望があったということだろうか。
展覧会は、美術教師であると同時にアニメの少女の顔を描いた壺を作る乙うたろう/前光太郎という神戸の若い作家の作品と活動の紹介で終わる。美術家にとっての「労働」とは何かと問いかける。美術家にとって作品の制作は「労働」でもある。豊かな人間性を生かすのが真の労働だとするならば、芸術の歴史に名を残すような画家たち自身が、何よりも本当の意味での「働く人びと」でもあったということに思い至るのだ。
写真提供:神戸市立小磯記念美術館
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