岩城和哉(いわき・かずや)
01_ 旅
建築を生業にしているので、学生時代から時間があれば建築巡礼の旅に出かけます。グーグルマップ上で訪れたことのある街に印をつけ、さて次はどこ行こうかと思案します。訪れる国や街の選び方に決まりはありません。「なんでそこなの?」とよく聞かれますが、多くの場合、「見たい建築があるから」と答えます。
建築は土地にくっついています。アートの展覧会のように向こうからやって来ることはありません。美術館という制度が確立する前は、アートも同じだったのでしょう。サイトスペシフィックアートは特別なもののように扱われがちですが、それが本来のアートの姿かもしれません。
メディアやインターネットの発達はいろいろなものを疑似体験できる便利な機会を生み出しました。グーグルマップのストリートビューを使うと、見知らぬ土地の駅から目的の建物までの道順をあらかじめ予習できます。そういう意味で疑似体験は便利です。しかし、実体験でないとわからないこともたくさんあります。
02_ 歩く
有名な建築はネット上にたくさん写真や動画があふれており、それらを見て予習します。でも、現地を訪れると感じ方が全然、違います。現地で空間に身を置き、全身でそれを感じます。その場所を訪れ、空気を吸い、街を歩き、食べて飲んで、人と言葉を交わします。その実体験は建築の理解にとって不可欠です。
窮屈な飛行機はいまだに苦手で、あの時間をやり過ごす方法をいろいろと考えます。最近のお気に入りは、ノイズキャンセリング機能のついたイヤホンです。四六時中聞こえる飛行機特有の騒音をかき消してくれます。音は無意識に人にストレスを与えます。地味だけど吸音は大切ですとどこかで習ったのを思い出しました。確かにノイズが軽減されると快適さが格段に増します。
行きたい場所がマニアックなのでツアーで旅をすることはありません。現地に着くと、道を調べてよく歩きます。歩くと街のことがよくわかります。たまに現地の知り合いに車で案内してもらうと、街のことがうまくつかめなくなります。以前は地図を片手に街のつくりを確認しながら歩きました。最近はスマートフォン片手にマップの位置情報を見ながら歩きます。
03_ 本
さすがに歳を重ねると、いつまでこんな旅ができるだろうと軽い焦りを感じます。行きたい街、見たい建築は世界中にまだまだたくさんあります。そんなことを考えていた頃、突如、コロナ禍で丸々3 年間、足止めをくらいました。このステイホーム期間に本を出版する機会を得ます。大学時代の研究室の恩師や先輩同輩4 人とリモート研究会を重ね、共著『建築/かたちことば』を上梓しました。
この本では古今東西104 の建築事例を取り上げ、見開きページの右に簡潔な文章、左にカラー写真を掲載しました。事例はすべて執筆者が訪れたことのある建築や都市で、掲載した写真の大半は執筆者本人が撮影したものです。旅先で撮りためたたくさんの写真を見返し、記憶を辿りながら、その時、その場所で感じた感覚を言葉で記します。家にこもって、そんな作業に没頭しました。
04_ スリランカとデンマークとメキシコ
ようやくコロナ禍が沈静化したので、2023 年は春にスリランカ、夏にコペンハーゲン、年末年始にメキシコシティと一気に3カ国を旅しました。お目当ては、ジェフリー・バワ(1919、スリランカ)、ヨーン・ウツソン(1918、コペンハーゲン)、ルイス・バラガン(1902、メキシコシティ)です。彼らは、20
世紀の三大巨匠であるライト(1867)、ミース(1886)、コルビュジエ(1887)に続く世代で、日本の丹下健三(1913)と同世代です(数字は生年)。
1932 年、ニューヨーク近代美術館で「近代建築展」が開催されます。それに合わせてヒッチコックとジョンソンによる『インターナショナル・スタイル:1922 年以降の建築』という本が出版されます。建築デザインにおける場所の固有性が薄らぎ、世界中の建築が同質化=インターナショナル・スタイルに向かいます。20
世紀前半、インターナショナル・スタイル確立のための様々な試みが欧米を中心に同時多発的に起こります。
20 世紀後半、それが欧米の外に拡散し、各地でその受容と変形が進みます。バワ、ウツソン、バラガンはこの時期に属します。いずれもインターナショナル・スタイルの語法を基本としつつ、そこに場所の特性と建築家の個性が絡みつき、化学反応を起こして、独自の建築へと昇華しています。スリランカでバワの10 作品(うち4作品に宿泊)、コペンハーゲンでウツソンの3
作品、メキシコシティでバラガンの5作品を訪れました。
05_ ジェフリー・バワ
バワの建築のおもしろいところは、曖昧さです。1年じゅう温暖なスリランカには断熱や気密という概念がありません。それゆえ、バワの建築ではしばしば内と外がふつうに繋がります。窓があるのにガラスがなく、室内に設けられた池の上はそのまま空です。彼の自邸に宿泊した際にたまたま雨が降り、池に落ちる雨音を聞きました。外の自然と繋がる、心地よい体験でした。
バワの建築では新しいものと古いものの境界も曖昧です。新築部分と改修部分が何の違和感もなく繋がります。新旧の建物が何の違和感もなくひとつの敷地に並び建ちます。彼はそこに骨董や工芸やアートを、これまた何の違和感もなく組み込みます。ランドスケープデザインにも造詣が深く、彼が生涯をかけて手を加え続けた別荘地ルヌガンガでは、すべての建物がランドスケープと同化しています。
06_ ヨーン・ウツソン
ウツソンはシドニー・オペラハウスの設計者として有名です。彼の建築のおもしろさは、ひとつの建築の中に合理と非合理が共存しているところです。今回訪れたキンゴー・ハウス、フレデンスボー・ハウス、バウスベア教会でもそれは同じです。彼の建築の合理の部分は、規則や反復や幾何学を用いて徹底されます。キンゴーとフレデンスボーでは、L
字住居と中庭を組み合わせた正方形の住戸ユニットが反復され、住居集合体が形成されます。バウスベア教会では、均等な柱の間隔とそこにはめ込まれるセメント板の寸法を基本単位とし、その整数倍として全体の形が半ば機械的に決められます。
徹底した合理の追求の一方で、キンゴーやフレデンスボーでは正方形の住戸ユニットが1つずつ微妙にずれながら接合されます。地形や周辺環境や眺望や隣接する住戸どうしの関係に応じて、ひとつずつ慎重にその位置が決められます。非合理な部分に手間暇かけるために、その他の部分を合理化しているように見えます。バウスベア教会では合理的につくられた柱や壁に対して、天井は複雑な曲面のコンクリートで作られます。配筋、型枠、コンクリート打設と手間暇かかる非合理な天井はしかし、美しい光を室内へと導き入れ、唯一無二の素晴らしい空間を生み出します。
07_ ルイス・バラガン
バラガンの建築のおもしろいところは、空間の奥行き感です。西洋の透視図法的な奥行きではなく、日本の浮世絵に見られるような近景、中景、遠景による奥行きです。近景、中景、遠景が一望できる視点を各所に散りばめ、奥を暗示させます。奥の感覚に誘われるように空間を進むと、まるで回遊式庭園を歩いているかのように、次々と新たな光景が姿を現します。
この奥の感覚によって、空間の中に常にこちらとあちらという対比が生み出されます。そこに寸法の対比、光と影の対比、そして色彩の対比が重ねられます。現地を訪れて感心したのは、光と色の同調性です。淡い光の空間では壁や天井を面ごとに淡い色で微妙に塗り分け、陰影にかすかな表情を与えます。強い光が射す空間では鮮やかな色で空間全体を染め上げます。
08_ 旅
こんな具合で、現地を訪れると建築が語りかけてきます。その言葉に耳をすますと、その建築の本質が何となく見えてきます。メキシコの余韻がまだ冷めやりませんが、次の旅のことを考えはじめています。
岩城和哉(いわき・かずや)
建築家、東京電機大学教授
1967 鹿児島生まれ
1996 東京大学大学院工学系研究科博士課程修了、博士(工学)
1996 東京大学大学院工学系研究科助手
2003 有限会社岩城アトリエ設立
2003 東京電機大学理工学部助教授
2012 東京電機大学理工学部教授
展覧会実績
大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ/六甲ミーツ・アート/国際野外の表現展/中之条ビエンナーレ/農村舞台アートプロジェクト/ Geumgang Nature Art Biennale
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