司会:今日はお忙しいところありがとうございます。一年前、「3.11」がありまし
て、アンデパンダン展も展示したものの会期の半分しか開けない状態でした。そしてこの一年間は、それぞれの方達みんなが「3.11」について考え続けてきたという意味できわめて特徴的な特別な一年だったと思います。共通していることは、さまざまなメディアを通しての情報量の膨大さで、かつてなかったことだったように思います。そうした一年間の蓄積された体験の中でみなさんも思考し、作品に取り組まれてきたと思います。そうした経過とさまざまな思いが作品とどう関係したのか、またアンデパンダン展での発表を通して感じられたことなどおありだと思います。そうしたことを通して我々はいったい何を思い、何をしたのか、これから何をしようとしているのかを考えていけたらと思います。
十滝:「きり絵協会」から頼まれた文章の中で、「絵画に内在する精神とは何か」という文章を書きましたが、自分の今に至るまでの時間経過の中で何があったのかという、自分以外の外的要因から揺り動かされ、引き出されたもの(心因)があるだろうと思います。表現者である我々はそうした心因をどう造形化していくのかが一番大きな問題だと思います。つまり、内在する精神を引き出した結果が造形化であろうと。今回の作品「3.11(未完)」は現在の引き出されたもの、映し出された形として絵画で表したものと言えます。
内田:私たちのSY プロジェクトというグループは、普段は別々に活動しているアーティストが集まっている集団で、今まで一つのことをやるというのはなかったんですが、この「0 ベクレルTシャツプロジェクト」ということで初めて一緒にやったわけです。それはやはり3.11 と原発の事故があったからです。みんなで何をやろうかと話しているうちに、「0 ベクレルの世界」を夢見てもいいのではないかと。地球上に0 ベクレルはありえないけれど、0.1 ベクレルならいいというのではなく、0 を夢見てもいいのではないかと。夢だったら虹色ということで、今回のT シャツに落ち着いたわけです。アンデパンダン展では被災地に行って撮った写真と都内のにぎやかなところを撮った写真を展示しました。全く同じ時期なんですが、被災地では一年たっても瓦礫がそのままという・・・。T シャツの背中の0 は、背中につけることで被災地に立っている人と同じ風景を見ている体験をしてもらえるのではないかということです。
藤井:前回から一年いろいろ考える時間がありましたね。私は東北出身でして、娘も孫もいわきで被害を受けた当事者ですが、私は今東京に住んでいるわけですが、東京に住んでいる不甲斐なさを感じました。じっとしていられない、何か訴えなければと。「鎮魂」という作品を出品しましたが、どれだけの鎮魂を抱えていたのか格闘しながら。災害と原発という人工的災害に巻き込まれた
娘や孫のことを考えると、普段の自分のテーマだけを追いかけていられない気持ちがあり、何か描かなきゃということが一つのきっかけになっています。内容的には時間的なことを意識しました。現場サイドと私の距離感を時間で示したいなということでこういう構図になってきたということです。自然災害と原発は同じ
ではなく、そういうものを許してきた我々にも責任があるという思いで表現したものです。
早川:昨年の夏ぐらいからいろいろ作っていたんですが、はじめ3.11 以降の放射線の汚染について気付いていなかったんですよ。夏になってはたと気づいて、だいたい0.2
から0.25μ㏜の空間線量で私の住んでいる群馬県の山間部一帯が汚染されていました。最初これを作り始める時は福島のことだけ考えていたんですが、住んでいる所が汚染されているとわかってくると、空間線量って何なんだろうと考えまして。原発事故だけではなく、特に60 年代の核実験は大気圏内でやっているから相当な汚染がいまだに続いている。
そういうことも考える必要がある。そういう汚染の歴史がある。それともう一つ
気になったのは、空間線量が0.2 だったら野菜いらないという声が都市の消費者からあった。僕は食べてますが実際そういうことが出てくるんです。そうなるとどう考えたらいいのか。今考えているのは地球全体がみんな被爆者だ、という視点に立ったところからそれぞれがそれぞれの事情に沿って線を引いていく。一律ではなく、子供がいるとかいないとかいろいろ。地球全体がすでに汚
染されている。そのことを考えて今回の作品を作ってみました。
司会:渡辺皓司さんがアンデパンダン展の全体批評を書こうとした時に、震災・
原発に関する作品はいくつ位あるか題名と作品を見ながら数えたら、百数十点あったそうです。こんなことは長い間アンデパンダン展やっていて、ベトナム戦争やいろんなテーマで絵をかいていたこともあったけど、比べ物にならない位すごく多いんだ、と言っていました。私の印象ではストレートに核や震災の現場を描いた作品は少なくて、作家一人一人が自分の内に引き寄せて自身の「創作」ということの模索の中で描いている人が多いんだなと思いました。逆に言うと原発を直接視覚的に描いた作品として山下さんの作品を見せていただきましたが。
山下:地震の時、津波の時は仰天したんですけど、一番怖かったのは原発が爆発した時です。血の気が引いていく位。その時にこんなに長い間平和のこととか言ってきたのに、私ってなんて原発のことに疎かったのだろうって、猛烈な気持ちがあったんですよ。前回展で唯一人チェルノブイリを出品した神田元紀さんも大変なショック状態になったとか。まさか福島で起こると思わなかったと。聞くことによりますと被団協も原爆には反対してきたけど原発のことは特に反対運動の中に掲げてこなかったと言うのを知ったんです。なんてことだろうと。辛くて四か月ほど絵が描けなかったんです。秋にいわきまでボランティア行ったんです、私でも出来ることがあるかと。いわきでは原発から逃れてきた人たちの仮設住宅の聞き取りもしたんですが、何か困っていることはありませんかと。放射線量が残っている浜にも行ったんですがすごい怖かったです。たったそれだけの経験でしたが、あとどうしたらいいんだろう、と思ったんですよね。作家として。去年あの大災害の直後アンデパンダン展の作品を見て、自分とコンタクト出来ない世界があったんです。自分たちが絵を描いていることでどんな力が出来たんだろうと。果たして60 何回もの間やってきたことが、これで勝負できるんだろうかという気持ちも持ちました。でもやっぱり絵を描かなければ生きていけない人間なので。今回の状態はチェルノブイリのことも核実験のことも私たち、知っていたんだけれども、より身近に来てしまって、全く意識の変革を迫られているような、異質な空間世界に生きているんだという自覚を持たなければいけないということで、じゃあ絵はどうするんだと、造形的にどうなのかは後におくとして、自分の人生とかも含めてずいぶん考えさせられました。
司会:今までの意識を変革して別次元の発想をやる必要があるということは、造形そのものよりもっと違うところでの別次元の転換ということですか。
山下:造形の転換というのは思っても出来るようなものでないものが動かしているところがあるような気がするんです。だから、ピタッとあてはまる造形でやっ
てみたいと思うんだけれど、そこは凡人なのでそう簡単に変革できないんじゃな
いかっていうのもあって。
吉田:私の基本的な創作の方向というのは現代の生活を描くというところにあります。明日に生きる希望みたいなものを創作のテーマにしていますが、現代に生きているわけですからその都度そうした負の問題も取り上げてきました。数はそう多くないですが。原発の爆発と震災の衝撃を彫刻としてどう表現したらいいのかもすぐ頭に浮かんだわけですが、彫刻に内面化して、彫刻としての魅力を持ちながら表現するというのは、時間がかかるわけですよね。それで、その前に版画にしてみたんです。とりあえず新聞の切り抜きを全部集めて地震の問題と原発の問題を作品にしたんです。こういうのは今までも阪神大震災の時も外国の戦争の時も戦後50年の記念の時にも作っています。すぐ直接的に表現がし易いので。彫刻にもどうにかそう考えたいというので、去年のアンデパンダン展には、人が大事にされない世の中のことを「激情」という作品にしたんです。同じようなことがまた起きてしまったもので、ずっと1 年間考えてきて今回は子供を中心にしてこういう作品を作ったんです。丁度割れたようなケヤキの木もあったのでそれを使い、クスの木で子供を彫り。衝撃を受けると何か自分の表現に内面化して表現したいと駆られるわけです。やはり内面化しないと形なって出てこないんで、彫刻の場合時間がかかりますね。
司会:とても興味を持ったのは彫刻と同時に写真をコラージュして創作されてい
ることです。アンデパンダン展にはこうした震災のテーマだけでない作品も圧倒
的に多いわけですが、そうした作品を描くときであっても3.11 の問題を意識しな
い人はおそらくいなかったんだろうと思います。そうした人達が自分の気持ちと
表現という間をどうしたんだろうということで、岩崎さんにその辺のところを語っていただきたいと思います。
岩崎:私は9.11
にしても、その事件よりその後の人間の動き方のほうがうんと気になるんですよね。芸術の世界というのはそういうものに関わるほかないんじゃないかという考えなんです。つまり、一つの事象に対しての解決手段というようなものは創作作品ではなくて、それは人間が、私自身が一人の市民として活動すべきことなんではないか。絵で出来ることはそんなに大仰に考えていないんです。繰り返し私がやっていることは、人間の尊厳さ、自然の尊厳さしかないんです。そういうことからやがてはいい世の中が出来ていくんじゃないかと。つまり、芸術というのはそういう根源的なものに関わっているのではないか。それだってそんなに簡単にわかるようなものではないですから、くり返しくり返しや
る中で自分自身も新しいものを築いて表現に加えていくものではないかと思い
ます。いろんな事件が起きてもそれを図柄で表そうという気にならないんです。それは一市民として行動でやろうと思うわけです。一人の人間が、作家としての岩崎、教師としての岩崎、市民としての岩崎、この三つがあり、それぞれがやっぱりプロでなきゃいけないんだろうと思ってましたね。いろいろな事柄が起きると、私の場合絵に置き換えていきます。昇華ですね。作品を作るのには
それが必要だろうと思います。ですから言葉で表せるものは出来るだけ避けるということをやっているんです。
司会:岩崎さんの言われたことはみんな多かれ少なかれあると思います。さまざまな生き方の中で創造活動をしているわけで、山下さんが言われた表現の変換あるいは深まりということは、その人がどう生きているかとの関わりで変わるべくして変わり、作品が強くなるのかなとも思いますね。今回のアンデパンダン展で他に注目した作品がありましたら。
山下:金井武さんの作品。宮城でお家が全壊された方ですよね。緊張感ある作品ですよね。被災されたもう一人の深谷滉さんの作品。いろいろな作品を見る場合も去年と比べて私自身の意識が変わったんだろうと思いますね。小原寛さんのカオス的な状態の中で震災の状況を彷彿とさせる作品も目にとまりました。高瀬慎一さん、芳賀猛夫さん、萩原隆明さんの作品も。
藤井:星島澤子さんの作品は小さい作品ですが共鳴するものがありました。
岩崎:私がいいと思ったのは新聞紙で作った田中優子さんの作品。やがて朽ちていくであろうものの表現でしょうか。一枚一枚が人間のようでもあるし、大きなフォルムに動きがあって。
司会:彫刻の中ではどうですか。
吉田:岩に涙のようなものを入れた山本明良さんの作品。高橋行則さんの作品は、事実は事実ですがもう少し内面化がほしかったですね。
司会:原発建屋の中で蠢く物でしょうか、ちょっと茶化し、逆手にとられたような
貴志カスケさんの作品も独創的です。
山下:京都での「3.11 ミニアチュール展」の貴志さんの作品は四角い箱がばらばらになる「おさまらない角」という作品でした。
司会:表現と体験についてもう少し話を進めてもらいましょう。
藤井:1 年間アンデパンダン展の持つ力を感じながら、3.11 を意識した作品を追いかけて、7 月の九条美術展では「風評とたたかう」という絵を出しました。社会と関わる形で叫ばねばという思いがつよくありまして。
岩崎:山下さんの作品を見て思うのですが、むこうの原発建屋を見なくても絵全
体が胸騒ぎするような表現につくってある、それがさっき言った「置き換える」
ということではないかと思います。山田洋次監督が顔で演技をするなと言いまし
たが、我々にも顔で演技をしすぎる傾向がないかと思います。どうしても説明し
たくなることを抑えて置き換えること、普遍化することが大切だと思います。
十滝:置き換えるという話とか、人間の尊厳の繰り返しとかいう話がありました
が、もともとが具体的な形の材料でないものをどういう風に造形化していったら
いいのか、どう形を決めていくのかということです。描いていく作品も時間がた
つとどんどん形が変わっていくんです。震災後三つの作品を作ったんですが、何
を表わすのかというところがいずれもはっきり決まっていかない。そういうはっ
きりしていないものが大きな事件があって動いている状態ですね。だから作品を作っていくのに終わりがないということもあったりして題名も未完となってしま
っているわけですが。
岩崎:みんな決まってない。だからみんなああでもない、こうでもないと探して
いくんですよ。
吉田:震災は自然のものですけど原発は大変恐ろしいことで、それを内面化し
て彫刻としてどう表現するかということはいつもずうっと頭に入っているんですが、それが煮詰まってこないといけないですね。彫刻の場合なかなかや
りかえしがきかないもので、デッサンとか小さものいろいろ作って、それから粘
土でこんな形なら自分のやりたいことが出るというふうにしてエスキースを創り
上げ、それから木で彫ったり石で彫ったりしていくのでうんと時間がかかるので
すが、その問題をこれから自分の作品として作っていきたいですね、
司会:早川さんの作品はどうでしょうか。今回の作品は大きさとか数とかまだ控えめな感じでしたが。
早川:見やすく展示されてありがたかったです。でもあれだけ大きな会場になるとちょっとちんまりしてるかなとも思いました。もう少し力とかエネルギーが伝わる形で、出来るならこのフロアー全体に並べて、大小混ぜて展示出来たらおもしろいと。
司会:こういう作品はどう展示されるかで随分違ってきますから、新しい可能性
を感じますね。それに素材も素焼のもつ危うさというのも感じますね。いかにも
壊れると怖いという不安な感じ。
早川:きれいにというより、素朴な感じが出るように作りました。土の耐火度の
違いで溶ける部分と焼き締まる部分との組み合わせで作ってあります。
十滝:地球の記憶とか、時間を意識しての作品ですね。○○年、○○年と書いて。
早川:そうですね。原発事故と核実験の日付です。
司会:時間の意識というのは、平面であろうが立体であろうが、現実の過ぎていく時間との関わりで表現を考えていくことですね。
内田:インパクトがありましたね。この年にこの実験があって、この年にこの事
件があって、福島が一番壊れている。だよなーって。ここまではっきり形にして
目の前にされると。
山下:地球といったら青いイメージですが、これはもう燃え尽きて・・・。
早川:そう。渦巻き状の横の線が大気の流れのイメージで、大気のある地球でこういうことが行われているという感じですね。
藤井:たまたまそこにいたら、見ている人がはじめはよくやるよ、と笑っていた
んですが、54 個の数に圧倒されて、そのうちこれ原爆だよ、って言ってまた見直して、笑ってられないよ、って。
山下:緊張しないで見に入って、問題抱えて出る、みたいな。
司会:見せ方の新鮮さという点では、内田さん達の作品も引き込まれ方が違うのですが。いらっしゃい、いらっしゃいって。
内田:T シャツが展示してあってその前で宮沢賢治を朗読したわけですが、アンデパンダン展の場合は他の人の絵を見にきた人が通っちゃったらつかまっちゃう感じ。ただ、ちょっとでも興味を持っていただいたら作品そのものの説明とはちょっと違うところで宮沢賢治の言葉とかイメージとか人間・自然・尊厳とか、「あぁ、宮沢賢治って新しいな」と思ってもらえる場ですね。0
ベクレルを夢見ることも共通のイメージで、何かしらそれぞれの人の頭の中にあってわかるみたいなところに広がっていけたらいいですね。
司会:発想というのは、やってるうちにどんどん変わっていくことがよくありますが、そういう表現の仕方の新鮮さ、平面作家の方ではどうでしょうか。
山下:そこまで歩幅がひろくなくても、変わっていかなければいいものが出来な
い。
岩崎:絵の鑑賞で、ただ「○○的だ」とか「いかにも○○だ」というその「いか
にも」というのがいかにも危険だと思います。絵描きそのものも「いかにも」を
期待している面がないだろうかと。山下さんの絵を時間かけて見ました。まんな
かに続く黒いものが遠近感を出さないで表現されていて効果的です。これが遠近感が出てしまうと俗っぽく「いかにも」になってしまいます。下の白い所と黒い所の境も水が作ったフォルムみたいになっていて単なる情景描写に終わっていない。その左の白い形もそのままを描かずに見る人に任せるところが効果的です。そういうことがうんと大事なんではないかと思います。イタリアの彫刻家クロチェティの「地震」という作品は1919
年の大地震を取材して幼児二人を背負って逃げる作品ですが、「作品に置き換える」というのはこういうことなのではないか。ややもすると「いかにも」で私たちは満足しがちな傾向があるんではないかと思いますね。
司会:物を作る場合にそういう直接的な表現では表現しきれないという思いがあって、そこからいかに転換するかということですが。出来事と視覚的表現をつなげつつも単純な説明ではないところにいった作品というのは少ないですね。具象的形の持つ強さをどう造形化するか。「いかにも」でなく人の心の奥深く入っていくことは並大抵ではないです。
藤井:私は岩崎さんの絵も3.11 を意識したものと見ましたが。一つの裏表と言うか、本質的なものを感じます。知ってるもの知らないもの、背を向けているもの
と前進する形など、ある意味私たちが追いかけているものの一つではないかと思います。人間の宿題と言いますか、ものの考え方の中にある矛盾、すれちがい、といった本質的なものです。この絵に描かれているひとの背中から時代の流れを感じて、やっぱ絵にするとこういうふうになるのかなと。
司会:私たち作家は社会の現実の中で何を考え、どう表現するのかという課題をいつも抱え、言葉にならないものを形にする難しさと面白さがありますが、自分の内在する精神の形を出したいと言われた十滝さんはどうですか。
十滝:先ほど出来事そのものよりその後の方が気になるということが話されましたが、私はどうしても出来事そのものを意識してしまいます。
根源的な問いかけは当然ですが、出来事の片鱗は見えなくていいのか。予感する内容や暗示する形は何らかの形象化で迫りたいものです。そこで、自分はああいった形になってしまう。それと、美術に何が出来るかという問題があります。大きな出来事の中でせいぜい自分の形を作っているわけで、それでいいのだろうかと。とても災害や原発の事態に対抗できる力を持っているとは思えない。美術とか絵の他にも演劇とか歌とかもっと大きくまとまっていくことがないとこの事態を乗り越えられない。
岩崎:言葉は強い。それに比べると絵に何が出来るのかという思いはあります。私も一時期道端の労働者を描いたことがありますが、やはり一番身近で日常深く関り大切に思うものごとを描くことの方が強さがあります。たしかに、みんなで一緒に何かをやろうということからすると絵ははがゆいですが。
吉田:彫刻作品は残ります。100 年後でも魅力あるものを作らなければいけない。そして悲しみがあった時にそれ見て励まされたり、そういうふうに役に立てばと思いますね。負の面も表現しなければとは思いますが、いろんな人が見てしっかり生きなければいけないかと思ってもらえることがあれば私が作った役割があるのではないかと。日航機事故の像を作った時に遺族の人が「励まされた」と言ってくれたことがありますが、うれしかったですね。
山下:難しいですね。わたし自分の絵で人を励ますっていうのは考えられないので。自分が受け取ったものを絵に描くときには、一緒に泣いているとか、苦しんでいるとか、楽しい絵だったら一緒に楽しむみたいな感じです。いろんな表現方法の違いがあり、みんなが3.11 に強烈なインパクトを受けていて、自分の表現方法とそれぞれがぶつかったんじゃないかと思います。これでいいのか、受けている気持ちをこれで表現できるかって。直接3.11 を描かない人でも必ず考えた問題があると思うので、それぞれが違う表現方法でどんどんやっていける時点に来ているんじゃないかと思います。それは今までに無かった歴史的時点ではないかと。一つの方法論によらない造形革命が生まれてもいいようなところにあるんではないかと思っています。
藤井:表現するときの自分の個性は何かということをみんなしょっているんじゃ
ないかと思いますね。自分一人では生きられないのが100 パーセントわかっていても、それでも自分の個性を追いかけていくジレンマと喜怒哀楽がこういうところに参加する意味ですかね。
司会:人間のいとなみの愚かさ、悲しさ、逆にその存在の重さ、貴重さ、そのかけがえのないものへの思いというようなものが、第65
回日本アンデパンダン展にはあったと思いますし、今日の座談会にもありました。そして、ほんとうの「形」になるのはこれからである。しかし、その核心になる「大きな精神」のようなものが、何か見えて来たのかも知れません。どうもありがとうございました。これで今日の座談会は終わらせていただきます。
編集:百瀬邦孝
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