ひび割れた大地と牛の叫びの向こうにあるもの

~百瀬邦孝日本画展を観る~
杉山まさし

三年振の個展である。前回展を見逃してしまった私には、まとまった形のしては、これが初見である。何よりも、震災と原発事故を挟んで、この三年の百瀬の仕事が、凝縮されている今回展は意味深い。なぜならば大きな意味で環境(自然)破壊をテーマとする百瀬の作品が、原発事故の、取り返しのつかぬ環境・生活・生命現実(現在進行形の)を経て、如何に深化したかが確認できるからだ。

百瀬のモチーフの一つに「牛」の群像作品がある。原発事故以前から描かれているが、今回展の「牛の叫び」は、以前に比べて明らかに動的で痛々しい。放射能に晒され、汚染された大地に取り残された牛の悲痛な姿を描いている、とするだけではすまされないものがある。「ひび割れる田」の縦横に深く刻み込められたひびは、何を象徴しているのか。
日々手入れを怠れば田畑(山林もそうだが)は荒れ果て、土壌力が弱ってしまう。縦横に深く刻み込まれたひびは、生産者の日々にの営みが失われた姿を意識させる。元来、農家や酪農家、漁師は土地に定着し自然と気候と水を相手に生きる。今回の原発事故はそのすべてを奪い去った。抗議のために自らの命を断った生産者もいる。「牛の叫び」も、そういった生産者の憤りと苦悩の姿をも想像させる。作品を観て、鑑賞者の一人が「絵のなかに人の顔があちこちに見える」と言ったのは正しい。百瀬の意識は、破壊されてゆく自然の表層(現象)のみにあるのではない。政治や社会政策の失政により、環境や自然とともに国民の生命や生活も破壊されてきた。百瀬の現実批判の目は、圧倒的大多数を占める我々犠牲者である生きている人間にもきっちりと向けられている。「ひび割れる田」や「牛の叫び」にも、そこで苦しむ人間の姿が、しっかりと描かれている。だからこそ鑑賞者の私たちは、その存在を意識できるのある。


 そういった中で「麦踏みの夕暮れ」と「大地の唄」は直裁的な表現かもしれない。ここに描かれている老農夫の姿には、かつてゴッホが敬愛したミレーの「種蒔く人」のように大地を踏み締めている姿に誇りは感じられない。麦踏む老農夫の背に、堆肥をまく老農夫婦の佇まいに、減反や関税・規制緩和の自由貿易、輸出重視の極端な経済活動の犠牲になり、明日をも見えぬ状態になりつつある日本の農政の現実が反映されているからだ。それでいて、重たいテーマを背負いながらも、この二つの作品に心引かれるのはなぜか。それは、農夫が、厳しい現実に直面しながらも、ひたむきに生きようとしている姿が描かれているからである。


では、今までのもモチーフに比べて異色と思える一連の「センダン草」の作品は、一体、百瀬の中でどのような位置付けがなされているのか。「センダン草」はごく普通にみられるキク科の雑草で、いわゆる「ひっつき虫」である。ブログの中で百瀬は「生命の連鎖は長い年月を経て微妙なバランスを創り上げたが、持ち込まれたアンバランスは又この先長い輪廻と絶滅をもたらすであろう」と語っている。戦後しばらくまで農業大国だった日本は、永い年月のあいだ土地に根差した生活を営んできた。それが崩れ始めた高度経済成長期でも技術や伝統は先輩から後輩へと受け継がれてきた。しかし今や、富は一部の者に集中し、大多数の国民は疲弊し、物づくりの技術も途絶えて来ている。経済成長のつけにされた農水畜産業は後継者という大きな岐路にも立たされている。毎年、三万人余りの自殺者と二百万人にも上る人が生活保護を受ける日本。百瀬が言うように、行過ぎた経済中心による環境・生活破壊が「輪廻と絶命をもたらし」つつある。一代種の「センダン草」はタネを動物などにくっつけて運ばせ種の保存をはかってきた。そこに生命の逞しさが感じられる。人間が当たり前のように自然とともに歩み、親から子へ、子から孫と生命を繋いでゆく大切さを、生きてゆくということは闘いであるということを、百瀬は「センダン草」の内に見いだし、その思いを人間の叡智に託しているのである。百瀬にとって「センダン草」を描く行為はいくつものモチーフの根幹を結ぶものであり、自然・生命・人間を考え、表現してゆくうえで欠かすことのできないモチーフの一つなのである。
小品ながらネギやトウガラシの生産物を描いた作品にも、「センダン草」に通じる生命への賛歌が感じられる。そこには確かに百瀬の愛情が存在している。本来あるべき労働とは、自身の仕事と、そこから生み出されたモノに、誇りと自身と愛着を持つものなのだと思う。
小品には百瀬の理想とする人間の営みの姿が込められている。将来、そういった誇り高き人物が百瀬の手によって描かれることがあるのか。それは現実の問題だが、そんな希望に満ちた農夫像(作品)も見てみたいと思うのは、おそらく私だけではあるまい。


百瀬邦孝 個展