日韓美術交流の十年と今後の展望

猛暑の京都で十周年「日韓美術交流京都展」 韓国から11名の美術家が訪日する

京都の高瀬川沿いに在る元立誠小学校(文化財的な建物)で7月27日~31日まで展示された作品総数は84点(84名の出品)内訳は日本美術会とその関係者が47名、公州(韓国)の美術家20名、京都アートカウンシル16名だった。暑い京都で、冷房設備など無い古い元小学校に来てくれる観客は300名ほど、27日オープニングセレモニー、その夜のパーティーには57名が参加。会場は京都の風情を味わう集いとなった。
 ところでその出品作についてである。65回のアンデパンダン展が3・11東日本大震災後の社会状況の大きな変化の中でのアンデパンダン展であったように、ここでの古い建築物の中での展示は、環境の存在感に包まれた作品群は予想以上に落ち着きと、暖かな作者の想いが伝わるものだったと言える。日本アンデパンダン展が、敗戦とそのガレキの中から生まれた事を想像するなら、3・11以後のそれも原点に近い精神の再生を意味したのだし、立誠小学校もその空間自体が歴史の空気を醸し出していた。その中で作品は息を吹き返すような印象を持ったものだった。そういう意味で京都の準備をした貴志さんらの狙いはあたったと思う。
 十周年記念になった公州との交流は、韓国での5回は百済文化祭の時期、日本では京都3回、東京2回(川越も行った)の交流で、人的な交流と展覧会も重ねて来た。相互に隔年開催だから、10年の経過となる。一応今回で会としての事業は終わり、新しい方法を模索している。京都の西山高原アトリエ村などは、その中で交流を独自に派生させている、その成果が生まれたとみるべきだろう。
 しかし交流が終るとすぐにイーミョンバク大統領の独島(竹島)上陸騒ぎと外交上の対立が社会的な関心となり、両国の歴史的な領土紛争が露呈し、小さな文化理解活動はかき消されるように冷や水をかけられた思いではあった。政治的な演出なのだが、困ったものだ、ナショナリズムを煽るのはいただけない。
そういう意味から言うと韓国の作品は少しもの足りない、社会的主張が少なく、サロン的なのかな?自己主張が少ない印象を受ける。京都アートカウンシル16名参加は今までにない多数の出品だったが、これは貴志さんらの努力と影響力とも言えるが、作品もなかなか力があったと思う。日本美術会と関係者は個々に、自己の創作の伸びを印象付けるもものがあった。会場の問題もあって、制限を付けなかったことが自由さを増したとも言える。
京都市と京都府の後援名義をもらったが、それに付随する市民ボランティアの参加など
若手が少なくなり、実働の会員が微弱になってくると、毎日3名の方が会場当番をやっていただいた、誠にありがたい制度だと思う。少しお話しできたが、みなさん知的な方々である。祇園祭りの後の京都の暑さは大変なものだった。多くの方々の熱心さに支えられた交流展だった。それは素晴らしい事ではなかっただろうか? (編集・K)