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アウシュヴィッツの後で詩を書くのは野蛮である~戦争の後遺症を引きずっている世代の人間のひとりとして~ 

木俣 眞 「宴の後」
木俣 眞 「宴の後」

話は旧聞に属するが、かつて社会的に地位のある人…、例えば校長先生だったかと記憶しているのだが、家庭内暴力が原因で思い余って自分の子を殺めるという事件があった。この人は日頃短歌をたしなんでいる人で、事件後、自分の心境を託した歌を詠んでいる。TVで放映されたのでご記憶の方もあろうかと思うが、この放送に接した時、私はたまたまだったが、ドイツの画家インゼルム・キーファーのことを思い出さずにはいられなかった。キーファーに触れた何かの文章で、思想家テオドール・アドルノの「アウシュヴィッツの後で詩を書くことは野蛮である」という言葉を思い出したからだった。

校長先生の話に当てはめれば、まさに子を殺めるということと、殺めた後その事を歌に詠むということがどう結び付くのか…、そこに違和感を持つのだ(私のアドルノの言葉の解釈が恣意的なのかと思わないわけではないのだが…、ここではそのことには触れないでおく)。この言葉を知った時、私はこの言葉は表現者に重い課題を突き付けていると思った。特にドイツや日本のように大戦で周辺の国々に多大の犠牲を強いた国の人は、小鳥のように無邪気に囀っていてもいいのだろうかと思わざるを得ないではないか。

キーファーの表現は重く寂寞とした雰囲気があり、初期の頃の作品には、第二次大戦におけるナチスの蛮行ホロコーストの加害国ドイツの苦悩を色濃く反映しており、贖罪的な雰囲気さえ感じられる。日本の場合はどうか。戦後六十八年、今では戦争の後遺症から脱したかにも考えられがちだが、日本ではほとんどの分野においてドイツの芸術家たちが負わざるを得なかった意識を共有した形跡は見られない。例えば、『聞け、わだつみの声』の絵画版と言われる『祈りの画集』(NHK出版。野見山暁治他編。1977年)は、戦争に直面した画学生たちの悲劇を感じさせ、そのことの意義も大きいとは思うのだが、戦争への罪責感があるわけではない。つまり、日本の加害者としての戦争責任は清算されてはいないのだ。

 

若い新しい世代の人々の中には、「我々は戦争をした世代ではない。責任のあり様がない」と言っている声も聞かれるが、被害者の立場に立てば、例えば、「ウチのおじいさんは日本人に殺された」という記憶は何世代にもわたって消えるものではないはずだ。そのような人々は沢山いるのだ。そのことを忘れるわけにはいかないのではないか。日本の侵略の犠牲にされた韓国をはじめ、中国や東南アジアの人々への加害に対しての責任は孫子の世代まで引き継がれるのだ。「責任のあり様」はあるのだ。

 

私がかつて一人のクリスチャン韓国人学生から聞いた話――彼が言うには、聖書は隣人を愛せと教えているが日本人は例外だと言うのだ。私が学生の頃の話だから、今はそれほどではないとも思うが、愛を説く教会でさえそれほどの反日感情が強かったのだ。

 

もう一点、公平な立場で考えた場合、戦争中アメリカのおこなった東京大空襲に代表される無差別爆撃や、ヒロシマ、ナガサキへの原爆投下も、ナチスの大量殺人に比せられるほどのものだと私は思っているが、「ヒロシマ、ナガサキの後で詩を書くのは野蛮である」という風にはなっていない(この点、日本では被害者の立場での表現が多い)。また、原爆を落とした側からの贖罪の表現は余り見られない(詩人アーサー・ビナードや画家ベン・シャーンの『ラッキー・ドラゴン』があるのは救いだ)。

 

私は今八十歳を超えた人間だ。前線の兵士や特攻隊のように戦争で命を捨てさせられた戦中派とも言えないが、戦争を知っているし、体験もしている。戦中戦後の物心両面での荒廃した雰囲気も…。そしてキーファーも知っているし、その表現に共感も出来る(誤解して貰いたくないのだが、戦争責任だの贖罪だのと言葉を並べたからと言って、テーマだけに共感しているのではない。あくまで、テーマも含めての作品の持つ情感に共感していることが大前提であることは言う迄もない)。そして、もう一つ言っておきたいと思うのは、私の世代は、あの時代に向き合うと言う以上に、嫌でも向き合わされざるを得ないでいるということだ。その時代に居たということから逃れられないのだ。

 

木俣 眞