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ベルリン・アート事情

田中悦子 Brandenburger Tor    ブランデンブルク門(油彩)
田中悦子 Brandenburger Tor   ブランデンブルク門(油彩)

ドイツ語で、Maler という言葉は、ペンキ屋、あるいは画家を意味します。ペンキ屋というのは、住居の壁、天井、床のペンキ塗りから、広告板制作などの仕事をする人で、彼らは「作品」という言葉を使いません。画家というのは、紙やキャンバスの上に描き、色を塗り、それを「作品」として発表し、売る仕事をする人です。けれど、たいていの画家は「作品」を作ることはなんとかこなしますが、これを売ることはまるで下手と言えます。

作品を売る仕事をするのが画廊で、自分のための画廊を探し出せない画家は、ペンキ屋になるしかありません。画廊主というのは独自の絵画観の持主で、画家の作品を選別します。どの画廊も相手にしてもらえない画家は才能なしに絵を描いているか、あるいは不世出の天才的画家のいずれかです。
 

ベルリンは、70ヵ国以上の異民族が住んでいる国際都市です。ベルリンで「私は画家です」と人に言い切るためには、自分こそが天才であるという確信がなければなりません。この確信は、自分の作品の中からしか出てきません。それなのに、この確信は、そう簡単に自分の作品の中から出てこないので、この確信なしに無条件に自分を天才とみなす思い込みを身につけるようになります。この思い込みは、自尊心の中から出てくるのですが、この自尊心というのが、ピンからキリまであって、その自尊心の程度が、自分の画家としての生涯を決定すると思います。なぜなら、この自尊心こそが、その画家の作品の水準を決定するからです。

 

自分の一生とは、言い換えれば、他人の一生のひとつの例であり、自分が描いた作品を、他人が描いた作品として自分で判断できれば、自分の作品の水準を見定めることができます。残念なことに、人は誰も一回しか生きることができません。自分を誰かと取り換えることができないからです。このことは、自分の作品の水準も、自分で思うままに引き上げたり、引き下げたりすることができないことを意味します。要するに、すべての画家は、自分の水準を発見することが出来るだけです。その水準でもって、「画家」として、やっていくしかありません。

 

生活苦とか、孤独とか、不安のたぐいは、どのようにも解釈することができ、画家であろうと、なかろうと、すべての人間にまとわりついてくる現実の重みです。この現実の重みの下で、画家だけに可能な対応をする以外にありません。つまり、自分の作品を唯一の窓として、この世を見つめることです。

 

ベルリンで画家を「綱渡り稼業」とみなす背景がここにあります。その意味は「普通の人ならやらないことを、危険を承知の上でやっている変わり者」ということになります。

 

ベルリンの道路上のあちこちに同じ文句の立札があって、「そこから先は立ち入らない方がいい」と書いてあります。普通の住宅街にある私の住居の真ん前にもこの立札があります。特別に太字で書いてあるのは「御自分の危険を承知の上でなら、中へ入ることも可能」という文章です。ドイツ語が読めない外国人は、こういう立札を全部、無視するので、ケガをして病院に運び込まれたり、警察に調べられたりします。いったん、警察に調べられれば、「滞在許可証」を持っているか、いないか、が即座に判明し、不法滞在者は、母国へ強制送還になります。生活が苦しいとか楽だとか言う以前に、自分がこの街に居ていいのか、悪いのか、が問題になります。日本人には理解しがたいことかもしれません。

 

滞在許可は、短期、長期、永住の区別があり、その区別は、本人のドイツ語能力と生活力の有無によって、決定されます。外国人芸術家の多くは、短期の人が多く、つまり、3ヶ月から6ヶ月でドイツを出なければなりません。ドイツにいて、まるでドイツ語を話さない人は、生活能力なしとみなされます。ドイツ語をいくらか話すことができれば、職業は何かという第二の訊問があり、画家は誰でも、「Kuenstler」「芸術家」と答えます。多くの係官は、この返答に必ず、ニヤリと笑います。「芸術家」とは、「したたかな路上生活者」の意味があるからです。実際のところ、画家は、したたかな路上生活者の能力を身につけていなければ、ベルリンで生活することはできません。その能力がない場合は、「嘘」をつくことですが、大抵の「嘘」は3ヶ月以内に明らかになります。ベルリンでは「正直者」の能力が高く評価されるのは、ほとんどのドイツ人が嘘をついて生きているからです。弁護士の数が10人に3人の比で多いのはそのためです

 

とりあえず、最低一年間の滞在許可を貰うことから、画家の正常な生活が始まることになります。つまり、この一年間のうちに、自分が芸術家であることを証明しなければならないからです。ドイツ人の画廊で、芸術家と認められますと、その人はほとんど例外なく、「永住権」が与えられます。これは何よりも、芸術を文化の筆頭とみなしているドイツの伝統のおかげです。

 

「地の種」ドイツコーディネーター 田中悦子

地の種


アンデパンダン展 企画展示「地の種」
アンデパンダン展 企画展示「地の種」

65回日本アンデパンダン展企画展示「地の種」・スペインからの多数の出品など国際的な広がりのあった2012年。「地の種」はイギリス・スペイン・ドイツ・ベルギー・モロッコ・ポーランド・キューバ・中国・韓国9か国から36名の作家が出品した。それぞれの国に長期滞在する日本人アーチストのコーディネイトにより、各国4名ほどの作家推薦と作品搬送のサポートを受けて実現した。スペインからはこれとは別の一般出品が20名ほど、パンプローナで画廊を経営するHさんによって組織された。

「地の種」にドイツから出品した二人の展覧会が9月に日本であり、パーティーでお会いし、「美術運動」No.139をプレゼントした。7月祇園まつ り後には京都で十周年記念・日韓美術交流展が韓国から11名の美術家が来日して開催され、人的交流もあった。日本美術会主催関係でも確かに国際化が進んだ 2012年でした。

(編集・k)

 

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コメント: 1
  • #1

    Sherlyn Crandall (金曜日, 03 2月 2017 10:25)


    Spot on with this write-up, I honestly think this site needs much more attention. I'll probably be back again to see more, thanks for the information!