日韓美術交流の新展開

2013年10月1日~4日まで百済文化祭開催中の公州に旅行した。日本側から合計16名が2日のオープニング時に韓国の公州に結集した。JAESから11名。京都から5名が参加、日本美術会で十年継続した交流を中止した結果としてJAES(ジェイス)が再組織され、京都はKさんを中心に京都アートカウンシルに呼びかけての組織だった。公州市街中の国民銀行でのボックス・アートの展示と、オープニングのセレモニー。歩いて10分ほどの国立公州大学内、百済文化教育会館1Fギャラリーでの展示とオープニングがあった。新たな取り組みということで、力作が集まった(日本から32名の出品者)と思うが、百済祭り中ということで韓国の美術交流会の作家たちは他の展示会もあってか分散的になって、盛り上がりは今一つだったかもしれない。

 JAESはまだ一年を経過してないが、李忠雨会長から中国の青島(チンタオ)との美術交流の打診があって、JAESも早々に総会を開いて話し合ったが、その後進まなかったのは、今回話を聞く中で、中国側の消極性があった事を知ったのだが、これはやはり尖閣諸島の領有権問題がまだ収まっていない事の反映だな~思った。韓国は資本主義社会で個々自由に動くけど、中国はそうでは無いのだろう。とにかく

色々あってJAESの組織する初回の交流は無事韓国での展示を終えた。

 

3泊の公州では、夜の錦江の浮橋を渡った、百済のイメージした光る人形やオブジェが漆黒の川面に大量に浮かぶ光景は圧巻だった。色々な催しが町中で開催される百済祭りは、前にもまして盛大に行われていた。扶余の近郊に在る「百済文化団地」。公州3泊後ソウルに7人と3泊しての、「国立中央博物館」の壮大な建物と景観、そして展示の素晴らしさと常設展示の無料鑑賞。サムスンの「リウム美術館」の充実。林さん(ソウル在住の交流展参加者)の案内してくれた「北村(プッチョン)」、李忠雨さんと再会した仁寺洞や明洞での思い出、初日ソウルのホテルに夜遅く着くまでの地下鉄徘徊の記憶とともにこれから自分の中でゆっくり整理していくのだろう。

 

 そういえば公州に新しく出来た「歴史博物館」で金玉均の展示をみてビックリしたのだが、彼は公州の出身だった(朝鮮末期の革新官僚で、福沢諭吉が期待した人、亡命中に刺客に暗殺された。福沢の有名な「脱亜入歐」のスローガンを書く発端がこの人への期待と挫折から来ているらしい)。そしてここは「東学農民の乱(革命とも言われる)」の終焉の地であり、古代百済の日本との関係など、公州と日本との関係の深さは、ただ事では無いと改めて思ったものだった。

 

新しいJAESの組織による初めての取り組みは、なんとか成功した。BoxArtという提案によって街中の銀行へも展示して、新しい展開もあって、それが大学内のギャラリー展示への意欲へも繋がってと思った。これが今回の収穫だったと思うが、もちろん問題が無いわけではない。京都とJAES二つの交流の在り方は韓国側にはわかりづらくなっている。しかし現状ではしょうがない。韓国側の結集の弱さも色々な理由があるのだろうが、こちらからは解らない事だ。さて、これからどうしたら良いか、知恵を出すべき処に来ている。

搬入・搬出を宮下さんとそのアトリエを使わしていただいた、税関の問題も起きたり、場所を占領したり、世話をかけた。感謝の気持ちを記してこの報告の閉めとしたい。

 

 木村 勝明