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ヨコハマトリエンナーレ「検閲・忘却」から見える断章 

マイケル・ランディ「アート・ビン」2010/2014
マイケル・ランディ「アート・ビン」2010/2014

国際展のテーマに関して昨年開催された韓国のものでは、「メディアシティ・ソウル」がアジアを考えるキーワードに「亡霊、スパイ、祖母」をあげた。釜山ビエンナーレのテーマは「世界に住む」で「宇宙」「建築」「動物」「戦争」がキーワードになっていた。いずれもアジアをめぐる植民地支配や冷戦の問題点を現代美術に託して探ろうとしたものだ。対して昨年のヨコハマトリエンナーレのテーマは「華氏451の芸術:世界の中心には忘却の海がある」[註1]である。これを見てもテーマの立案が韓国の国際展に比し抽象的で文学的なのがわかる。

 artnetの「World's Top 20 Biennials, Triennials, and Miscellennials」(May 19, 2014)におけるランキングでもヨコハマトリエンナーレの評価は20位中17位だ。(ちなみに1位ヴェネチア・ビエンナーレ、2位ドクメンタ、光州ビエンナーレは5位と評価が高い)。その理由のひとつにわが国のテーマの抽象性が挙げられる。


 世界のアートシーンは90年代より直接的に社会性・政治性を標榜する芸術様式が出てきている。この点に関しわが国の美術行政は立ち遅れ感が否めない。美術館側、自治体側の自主規制体質が少なからず存在しているからだ。

 まずディレクターで現代美術家、森村泰昌の芸術的書見より考えてみる。芸術性は本来、作家性とディレクションで分離して存在するものではない。そこで森村泰昌の作家性そのものに言及する必要があるだろう。

 ヨコトリのプレヴュー日の会見で「ポピュリズムに陥ることは注意深く避けた」(森村氏)と語ったが、森村泰昌自体はポピュリズムを真っ向通過した作家だと思う。デビュー作自体が耳を切ったゴッホの自画像に自ら扮しての発表であった。マリリン・モンローやチャップリンに扮したこともある。すると、作家は実は観念的で自省的であったのが、芸術活動を戦略化してあえてポピュリズムを用いた表現を成したのか? さすれば彼の作品世界そのものが前提として矛盾と皮相を抱え込んでいるのだろう。 


 今回、森村は全体を2つの序章と11話のナラティーフな物語で構成した。これは物語に沿わせて語ったほうが一見わかりやすく見える、という構造を用いている。このわかりやすさは一般大衆側に向けられている。たとえば第一話「沈黙とささやきに耳をかたむける」に並べられたJ.ケージやアグネス・マーティンだ。森村はこれに関して「目に見えない「気配」のようなものが描かれているとはいえないでしょうか」というが、ケージ「4分33秒(展示は図形楽譜とコンセプト)」や白いミニマル絵画群はイルージョニズムのように何らかの像(たとえ気配であったとしても)を描こうとしているのではなく、音素やキャンバス、絵具の実体的な部分を物質的(または非実体的)に取り出したものであって、森村の解釈はこれらの絵画が絵画論として美術史上に確として存在しているフォルマリズムの原則からも逸脱している[註2]。いってみればこれらの作品はナラティーフな原則から分離されて作られたはずなのだ。それをあくまでも物語として語っていくさまは、仮にグリーンバーグ「アヴァンギャルドとキッチュ」(1939)になぞらえれば、”物語を大衆にいって聞かせる”キッチュな、すなわち今日ではポピュリズム上にあるだろうやり方を採用している。彼の感性にある"ポピュリズム"指向はこのような形で現れている。


タリン・サイモン「死亡宣告された生者、その他の章」2013
タリン・サイモン「死亡宣告された生者、その他の章」2013

 さて、政治性にかかわる作品だが、タリン・サイモンは、北京で2013年に発表した際の、韓国の漁船の乗組員が北朝鮮に拿捕されたエピソードを作品展示している。北京ではそのまま展示できずに黒塗りされて検閲された。そのときの作品を黒塗りのまま展示したというのだ。が、ここは北京ではない。ならば、オリジナルの状態で展示できなかったのか? ヨコトリでは、中国当局による検閲に主題が移ったことになる。ここでは中国、北朝鮮、日本という国家間の政治に趣が変化しているのである。だがサイモンは、市民間の在り方を半ば匿名的に作品化することで問うてきた個人的なメッセージの作風ではなかったか。今回、国家間の問題にことを拡張したのなら、それなりの理由がいる。この点に関し筆者はヨコトリ側に質問してみた。

「検閲を可視化しつつ、同様に中国の家系図と、中国国務院新聞弁公室の話がでるCHAPTER XV (第15章)をどうしても同時に見せたいという作家の意向がありました。主題により北京から検閲を受けたのは、あの章だけではなく、中国について語っているCHAPTER XV (第15章)も文字部分は検閲されたと聞いています。ただ、全部(ポートレート、脚注、図版の3点 セット)が黒くされたのは当該章だけでしたので、本人から指定があり、ヨコハマトリエンナーレで作家の指定にもとづき再制作いたしました。

」(ヨコハマトリエンナーレ キュレイトリアルアソシエイツ 大舘奈津子氏)。


  また、それならば直下の日本人拉致被害者を主題にした新作もありえたではないか、とも思うのだが、こうした作品ではやはり何らかの「検閲」が入るのだろうか?


 マイケル・ランディ「アート・ビン(ゴミ箱)」というインスタレーションがある。アート・ビンは失敗作や捨てたい作品を投棄することで成立する。アノニマス(匿名性)とアート、あるいは芸術上のハイアラーキー(階層構造)を無意識に含有してしまうと考える。それはひょっとするとデュシャンが語ったような「史上最高の芸術家は歴史上に登場してこない」といった逆説をも想起させる。こうした点はヴェネチア・ビエンナーレでも過去に幾度か問題にされた。リクリット・ティラヴァーニャがキュレートし多数の無名作家を展示したビエンナーレ内ビエンナーレ(「Dreams and Conflicts 夢と衝突」2003)などがそうだ。美術とは何か、といった場合、制度上の問題が不可避的に伴う。

「作家の意図は、「成功作」と「失敗作」を分けることにあるのではなく、物理的に破壊され、世の中から消滅する可能性を秘めた美術作品というものの特性について考え、人知れずゴミになり、失われていったであろう過去の膨大な数の美術作品について思いを馳せる、そのような機会となることを目指すものです。」(横浜トリエンナーレ組織委員会・事務局次長 天野太郎氏)。

 

 現在との、あるいはこの場所との何らかの表現のリンクがはっきりしなければメッセージは抽象化し、注意しなければならないのはその場合、美術はドグマやペダンティズム、自己欺瞞に陥りやすいのである。検閲というテーマであっても他国の話ではないだろう。検閲・焚書(強制廃棄)に関しても戦後占領下、GHQが行った検閲も記憶に新しい。「皇國大日本史」「近世國體思想史論」など7千冊以上の書物が検閲・焚書(強制廃棄)された。たとえば鳩山一郎が原爆の残虐さを批難した朝日新聞は検閲された。ヨコトリではこうした重大な自国の検閲や転向の問題を大谷芳久コレクション[註3]などを陳列することですませている。


 森村泰昌の美術観とは、イロニー気質も含むと思う。皮肉な森村の本音はここでも隠されている。その意味から今回のヨコトリを探ってみると、まず「釜ヶ崎芸術大学」登用という側面が見える。この展示はもちろんいち個人の作家性を重んじるものではなく、大阪有数の貧困地帯・釜ヶ崎を根拠とするNPOの集合的な展示となっている。代表の詩人・上田假奈代が中心となり同地の低所得者やホームレスまで巻き込んだ自主芸術運動である。ここで森村はどんな皮肉を仕掛けたのか、推測するのに、ひとつは横浜の黄金町へ向けられているのではないだろうか? 黄金町はご存知の通り、脱法的な売娼窟で危険なエリアであった。横浜はここでアートによってクリーンなイメージを作るべく浄化政策をとっている。そのために町の歴史である負の側面を一掃するように外部から新しく現代美術を導入した。レジデンスの過程で美大の女性作家を巻き込んだ事件もあったともいわれるが、現在も芸術を施策に据えた歴史的背景とは連続性を持たない「明るく、希望に満ちた」街づくりに励んでいるともいえる。その点、地区のもともとの特性を変更せずに地続きで芸術行為に転じる釜ヶ崎の方法論は現在の民主的でアノニマスなアートの本質的運動とより同調しているように見える。が、釜ヶ崎芸術大学には難点もある。作品があまりにも素人くさいのだ。いかに集団の民主的行為とはいえここまで芸術から乖離した町の叔父さん、叔母さんの作品をヨコトリに持ち込むのはいかがなものか、ともほんの少しだが思った。


 一方で森村は極端な振幅を表象する。すなわち福岡道雄に見られるような、プロの作家の旧作と無意味とも思われる「何もすることがない。」の石版への執拗な刻印の繰り返された作品の提示だ。福岡の「何もすることがない。」は、むろん制御された現代美術家であり、考え抜いたあげくの一種の諦念であるが、釜ヶ崎では能天気なアマチュアリズム全開の生の謳歌となっている。ただしこうした和気あいあいなイメージの演出が現実の労働問題のリアルな現場をかえって覆ってしまうのでは何にもならない。

 

 今回のヨコトリにはやはり世界的な美術の趨勢なのか、社会性、政治性を有した作品や作家も多々展示された。だが、主題が抽象的であり、キュレーションも文学的であるため、作家のメッセージが直接伝わりにくい構造になっているように見受けられた。何しろ足元の原発や特定秘密保護法、集団的自衛権への問題には美術館はじかに関われないような雰囲気がある。このフレームを拡張してより自由度を増さない限り美術の世界基準との温度差がますます開いていくのではないか。


森下 泰輔(もりした たいすけ)

 



[註1]「華氏451」はレイ・ブラッドベリのSF小説。F.トリュフォーが1966年に映画にしてもいる。全体主義社会の検閲・焚書を題材にしている。つまり、トリエンナーレの主題は「検閲と忘却」ということになる。しかし、こうして主題を並列した場合、権力によってなされる検閲と一方の忘却という概念は「検閲により忘却させる」といった政治的一点以外にはただちには結びつかないように思われるのだが。

[註2]たとえばミニマリズムのフォルマリスティックな見解としては、美術評論家、ロザリンド・E・クラウス(Rosalind E. Krauss, 1941年 - )の「グッリド論」(『オリジナリティと反復』(1985))があり、マーティンの絵画も本来、そうした見地から語られるのが美術史の正道である。

[註3]佐藤春夫、三好達三、北原白秋、草野心平、高村光太郎らの第二次世界大戦中の戦争協力文書のコレクションが展示された。息子のイサム——つまりイサム・ノグチをアメリカに置いて一人で帰国した野口米次郎が中宮寺の弥勒像と日本軍の戦闘機の写真を対比した本もある。文学報国会による戦争詩アンソロジー『辻詩集』から瀧口修造が「若鷲」つまり特攻隊の戦死者に捧げた「春とともに」を載せたページも見ることができる。吉本隆明や荒地派の詩人たちは、こうした「転向」の問題に関し、戦後ちゃんと自己批判したのは高村光太郎と太宰治のふたりだけだったことに言及している(「芸術的抵抗と挫折」1959)。

 

■森下 泰輔(もりした たいすけ)

美術家・美術評論家。93年、草間彌生に招かれて以来ヴェネチア・ビエンナーレを分

析、新聞・雑誌に批評を提供、横浜トリエンナーレなどで講演多数。01年、美術評論公募最優秀賞。現代美術家としてドイツZKMに作品収蔵。10年、平城遷都1300年祭「時空」(平城宮跡)出品、19万人集めた。14年、各媒体でウォーホルについて論評、講演。