坪井功次 つぼいこうじ
(日本美術会会員)
第68回アンデパンダン展で上京の機会に、千葉県の佐倉市立美術館に足を運んだ。春の陽光の中、案内チラシを頼りに作家像に想いを馳せながら、駅前から坂道を上がる。10分ほど歩くと小振りだが趣のある美術館が見えてきた。
会場の3階展示室の壁面いっぱいに絵巻物のように和紙が広がり、様々な人物像がいっせいに眼に飛び込んでくる。田を耕し、木を伐り、食事を楽しむ、何気ない日常を営む人びと。
しかし、ここはチェルノブイリ原発事故により「廃墟の村」とされたベラルーシ共和国の小さな村チェチェルスク。原発の風下にある為に立ち入り禁止区域にされてしまったが、事故後4,5年たって農業を営む村人たちが帰ってきた。
祖先が開墾し、長い時を経て耕した畑、土地を守り育て次の世代に譲る。生活の全てがここにある。たとえ危険と言われても、残りの人生を生まれ育った地で生きる人びとが居る。何事も無かったかのように、以前の暮らしを営んでいるが、彼らの農作物も、薪として燃やす木も、おしゃべりを楽しむ空気も放射能で汚染されている。画中に添えられた作者の文章を読むほどに、郷土への愛着と放射能の不安感が心に迫る。
作品は直接的に原子力を告発してはいない。村人の日常を愛しむように、彼らの生活に入りスケッチしている。そのことが、普通の生活が突然奪われる事の理不尽を強く訴えてくる。
止めることの出来ない原子の火に、人類は手を出すべきではなかった。そして何より、私たちに沈痛な思いをもたらせるのは、この「風下の村」が、そのまま日本で起きている現実である。
貝原浩は、チェルノブイリ原発事故から6年後の1992年に、この村を訪れ「廃墟の村」に暮らす人びとに衝撃を受け、多くのスケッチを遺した。画家としての活動の他、デザイナー、イラストレーターとして、書籍・雑誌の制作、舞台美術など精力的に活躍するが、2005年、癌により闘病の末、57歳で永眠。放射能の影響は否めないと思える。チェルノブイリの恐怖を目の当たりにして、日本の数多くの原発施設に危機感を抱いていたであろう。「風下の村」が自国での現実になったことに心が痛む。
私たちは社会状況において、賛否の決断を迫られることは多々ある。無謀な暴挙、危険性を感じれば、生活を守るため市民として声を上げ批判行動を起こす。しかし、創作する者としては、賛否双方の内面にまで踏み込んだうえで、そこに至る心の葛藤を作品に込めていく。芸術は、事象によって動く心の内面を、他人の心に伝える術だと思う。深く人間を見つめることで、人の根源的なところでの共感を得るのではないだろうか。だから、この作品は「土に生きる人間への賛歌」として感動を与え、阻害するものに対して強い批判を呼びかけてくる。
今、「風下の村」の住人はどうしているのだろう。働き、食事をして、踊って歌う、あのお喋り好きな人びとは? 色とりどりのスカーフを巻いた老女、仲睦まじい夫婦、元気に遊ぶ子供たちは? 結婚式を挙げた若いカップルは、赤ん坊は産まれただろうか、無事に育っているのだろうか?
「ベラルーシの婆さまたち」の群像がある。正面から私たちを見つめる老婆たち。「2015年の私たちは、23年後のあなた方よ。これ以上あやまちを繰り返さないで」と言う声が聞こえる。
この原画展は、2011年の原発事故以降、全国各地で30回以上様々な後援によって開催されている。関西でも京都で開かれ、大阪では2016年1月に関西美術家平和会議の主催で予定されている。この「美術運動」誌が刊行される頃は多くの感動を得ているものと期待している。
(佐倉市立美術館での原画展は、「さくら飄」の主催で、佐倉市美術協会会員の大中昇・近藤博 両氏の作品展と共同開催されていました。尚、近藤氏は日美会員)
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