安藤ニキ(あんどう にき)
2012年から毎年、日本アンデパンダン展に出品している安藤ニキと申します。横浜ほかで画廊企画の個展を開いてきました。また朝日新聞神奈川版で月一回、挿絵の連載をしております。作家の山崎洋子さんによる「レジェンド・オブ・ヨコハマ」です。
アンデパンダン展に出展し始めたころ、自分の作品に自信があったかと言えば、まったくなかったというのが当たっています。初個展を2010年に開いたものの、文字通りアートの世界のことは西も東も分からない状態でした。
描きたいものはたくさんあっても、もともと芸大・美大の代わりに慶應大を通信制で卒業したという変わり種だったため教えを乞うべき人がおらず、知らないことだらけでした。今後はたしてこんな絵で受け入れてくれる人がいるのかも不安でした。個展にしても、個人でお知らせしているだけでは範囲に限りがありますし、とにかく物理的にどこかに展示しなければ誰にも見てもらえないのです。また、当時の私にとって「美術館で作品を展示する」ことが一種のオブセッションのようになっていました。美術展のチラシを見ては動悸がひどくなり、自分の作品がこういう場所には並ぶことはあるまいと思って暗澹としていました。いわば「美術館コンプレックス」の状態です。
そういう中でアンデパンダン展の存在を知りました。無審査で作品を展示してくれるうえ、会場は天下の国立新美術館だといいます。事務局に資料を請求し、2012年に初めて参加しました。
その後、東京や神奈川の大きな美術館で何度も作品を展示する機会があり、私の「美術館コンプレックス」はいくぶんかおさまっています。しかし2012年当時、無審査で展示させてくれるアンデパンダン展は私にとって救世主のような存在でしたし、コンプレックスを克服する第一歩を与えてくれた恩は今後も忘れることはないでしょう。2014年にはなんと美術評論家のワシオ・トシヒコ先生が「赤旗」に作品評を書いて下さいました。この時は編集部宛でワシオ先生へのお礼を書いたので、伝わっていれば幸いです。
さて、私はもともと印象に残った画像や映像が頭の中にはっきり残ってしまうという妙な能力があり、しかも恐ろしいものほど記憶に残りやすいのです。それでどうなるかと言いますと、戦争の写真その他がすぐトラウマ化します。家には原爆の写真や絵を載せた小冊子があり、たしか小学校低学年の時に父が私にそれを見せたのですが、その後一度も手に取らないまま、何ページにどういう図版があったか、また図版のレイアウトからキャプションの内容まで成人した後も覚えていました。ほかにも海外のドキュメンタリーや報道写真・記録写真など、私の「怖いものリスト」には無数の場面がストックされています。そして私自身、自分なりに人間の闇を見てきて、自分の体験してきたこととそれらの画像・映像の中で起こっていることが決して無縁ではないと思うようになりました。ナチのホロコーストが現在でも私にとって大きなトラウマであるのは、ホロコーストに加担した「普通の」人々がしていたことと、私の周囲にいた人々の言動がおそろしく似ていたからです。
それらの恐怖を作品で表現しようと決めたのは22歳の時です。上記のこともあって、かつて見た戦争の写真などはシャットアウトしていたのです。でも忘れたつもりになっていても忘れられませんでしたし、夢にも頻繁に出てきます。忘れることの不可能なものは、表現して外に出すしかなかったのです。
現在でも私の作品の多くはこうして生まれてきています。最初期に比べると、人間の業の深さや、生命の痕跡をいかにして残せるのか、などのテーマが確立してきました。芸術作品が現実の世界に対して何の役に立つか、という問題があり、これについては千差万別の考え方があるでしょう。今後もおそらく解決されることはありますまい。私自身は、「何の役にも立たない」という立場を一応とっています。何の役にも立たないかもしれないが、表現しなければ自分が崩壊してしまう、という極限で私はずっと絵を描いてきましたし、これからもそうしていくつもりです。ただ、似たような恐怖を抱えている人が私の作品を見て「これこそが自分の求めていたものだ!」と感じてくれたら嬉しいです。
今年2016年に出展する作品は「Phenomena(フェノミナ)」といいます。一年ほど前に完成したところにさらに加筆したものです。ここには人体実験や生体解剖のようなイメージが出てきているのですが、さて、皆さまはどのように感じられるでしょうか。今年も楽しみです。
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