宮田 徹也(みやた てつや)
『美術運動』No.141(2014年3月)、142(2015年3月)でも論じた神奈川県立近代美術館鎌倉本館閉館についての現状と私の調査の途中経過を報告する。
朝日新聞(2015年9月12日付)を引用する。「来年閉館予定で、建物の保存を求める声が出ていた神奈川県立近代美術館鎌倉館(鎌倉市雪ノ下)について、県は10日、本館棟を保存する意向を明らかにした。本館棟を保存した上で、県と敷地を共有する鶴岡八幡宮に引き継ぐ方向で調整しているという。
/同館は、モダニズム建築の巨匠、ル・コルビュジエに師事した坂倉準三氏が設計し、1951年に開館。戦後日本のモダニズム建築の傑作とされる。県は八幡宮との借地契約が切れる来年3月末までに閉館し、更地にして土地を返還することになっていた。県民から保存を求める声が多数寄せられたことなどを受け、保存を決めたという。
/県によると、八幡宮側は文化的な施設としての活用を検討。ただ、耐震工事は必要で、県と八幡宮側で経費負担などを協議していく。
/新館棟と学芸員棟は、老朽化が進んでいることなどから、取り壊す予定だ」。
閉館理由をまとめる。
- 1950年前後、神奈川県立近代美術館は、先ず美術館機能が決まり、次に建物が決まり、最後に建設場所が決まった。
- 1951年、鎌倉八幡宮が八幡宮敷地内の源平湖畔の一部国有地となっていた場所を八幡宮に返還するよう、国に知事から働きかけてくれることを条件に、源平湖畔の現在近代美術館が建っている場所を、美術館敷地として永代無償で貸すことを、村田良策を通じて内山知事に働きかけて建設が決まった。
- 1966年、新館と別棟を増築し、現在の神奈川県立近代美術館鎌倉本館の姿となる。
- 1967年、鶴岡八幡宮は文化財保護法により国の史跡に指定される。地下の遺構に触れることが不可能となり、美術館の補強や改修といった現状変更には許可が必要となる。
- 1967年、鎌倉市教育委員会が策定した鶴岡八幡宮を含む史跡の保存管理計画で、「史跡の中では、宗教活動あるいは史跡にとって重要不可欠なもので、かつ、史跡にそぐうもの以外の現状変更は認めない」とした。
- 1986年に神奈川県は鶴岡八幡宮と、2016年3月に県は土地を更地にして鶴岡八幡宮に返還する契約を交わした。鎌倉の新館を含む本館が失われ、鎌倉別館、葉山館の三館が二館になることは既定の事実であった。
- 2003年に葉山館が新設された時点から神奈川県立近代美術館は、鎌倉本館、別館、葉山館という三館が併せて一つの美術館としての機能を保持することになった。
- 2003年4月からPFIによる維持管理が始まる。期間は葉山館が2003年4月から2033年3月まで、鎌倉本館が2003年4月から2016年3月まで、鎌倉別館が2003年4月から2033年3月までとなる。
- 2012年5月、神奈川県緊急財政対策本部の方針により、県民利用施設107箇所を2015年3月までに「原則全廃」。神奈川県立近代美術館(三館全て)も含まれる。
- 2013年2月、神奈川県緊急財政対策本部の方針により、神奈川県立近代美術館の調整方向は「鎌倉本館を廃止し、葉山館及び鎌倉別館へ集約化」。
典拠は1.2.3.が神奈川県立近代美術館編『40年の歩み展』(1991年)。4.5.は「県教育委員会『2015年3月7日 平成二七年第一回神奈川県議会定例会 文教常人委員会報告資料』」。6.7.は「鎌倉近代美術館本館閉館問題を考える 原田光」新神奈川2224号、2013年7月7日。8.は神奈川県のウェブサイト『近代美術館特定事業』PFIの「業務範囲」(http://www.pref.kanagawa.jp/cnt/f6573/p19069.html)。9.10.は「オピニオン神奈川臨調を考える」(新かながわ社/2013年4月)。
鶴岡八幡宮は「永代無償」で土地を貸す約束が、いつの間にか30年契約になったのかが不明である。新館が完成した翌年に鎌倉市教育委員会が策定した史跡保存計画を、2015年に突如として主張する点も不明である。PFIとはプライベート(民間)、ファイナンス(資金)、イニシアティブ(主導)の略。「PFI(Private Finance Initiative)とは、公共サービスの提供に際して公共施設が必要な場合に、従来のように公共が直接施設を整備せずに民間資金を利用して民間に施設整備と公共サービスの提供をゆだねる手法である」(Web wikipedia)。
要約すると、神奈川県立近代美術館鎌倉本館が閉館するのは、鶴岡八幡宮との土地契約の問題ではない。建築のほうが先に決まっていたのだから、建造物を他の場所に移築すればよい。しかし、神奈川県緊急財政対策本部の方針である「集約化」が全てを決めてしまっている。それを史跡保存計画、耐震性などで覆い隠しているのである。
今後の展開で最も気になるのは、PFIである。今のところ美術館の施設設備と公共サービスを民間に委ねているが、30年契約、史跡保存計画などの前例を顧みると、いつの間にか民間が公共施設を管理することに変更されかねない。すると集客のために本来の美術とかけ離れたコマーシャルな企画展で埋められるどころか、所蔵作品の売買も認められてしまうかもしれない。敗戦前後のヒューマニズムの傑作がゴミとして燃やされる可能性は否定できないのである。PFIとの闘いは、今後18年も残されていることを忘れないで欲しい。
国家は再び国民を奴隷化しようとしている。デモを行わせると同時に諦めと失望感を与える方法を攻略するのは並大抵ではない。自民党改憲法案は2018年には国会を通過するだろう。そして、2020年の東京オリンピックで軍隊を披露する可能性は否定できない。
我々の民主主義と個人の尊重の剥奪は、真綿で首を絞められるように直ぐ足元に忍び寄っている。私は鎌近閉館反対運動を続ける。この闘いは始まったばかりなのだ。
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