藤井建男 ふじいたけお (画家/ノー・ウォー横浜展事務局)
戦争する国づくりの実感
昨年2月、96歳で亡くなった母の遺品中からA4書類箱一つ分に匹敵する戦時中の手紙の束が出てきた。主に親戚、家族とのやり取りに加え出征した父と交わした手紙だったが、招集を受けた父の母に宛てた遺言が遺髪、遺爪と一緒に封に入って束の中にあった。日付は昭和19年6月30日。
遺言は「此度名誉ノ御召ニ預リ日本男兒トシテコノ上モ無イ喜ビデス、文字通リ一死以テ君国ニ盡ス覚悟デアリマス…」ではじまり、“したがって生きて帰ることを期しません故自分の亡き後の心すべきことを左に記します。”と続く(原文はカタカナ)。母に自分の親戚との付き合い方、友人たちとの付き合いについて、さらに間もなく一歳になる私の育て方に関しては言葉を選び遠まわしに“軍人にするな”、と述べている。1916年生まれの父は大学時代左翼思想で検束・留置されており、遺言は他人に見られてもよい文にするため言葉と文章に気を使った跡が見られる。幸い父は生きて終戦を迎えて長寿を全うしたが、軍隊では何度か偶然の幸運に恵まれたとも述べていたことを思い出す。
この遺言が母の遺品の中から出てきた時期は、「安保法制」のもと、戦闘参加を付与された自衛隊の南スーダン派兵部隊が様々報道されていた時と重なる。自衛隊員はもとより家族にも厳しく口止めがされていたため、隊員、家族の言葉はメディアから伝わってこなかったが、おそらく父が遺言に残したようなことが話し交され、涙があったことは十分想像できる。安倍政権の憲法破壊の暴走がこれほどひどくなければ、父の「遺言」は我が家族の歴史にとどまっていたかもしれない。しかし、今の事態は70年前の戦争と直結する形で進行している。安倍政権の中枢から戦前回帰の“自主憲法制定”の声が聞かれ、靖国神社への閣僚の参拝が相次ぐ事態が父の遺言と自衛隊の南スーダン派兵を重ね合わせてしまうのである。
美術と反戦・平和にある距離
70年前、日本国民が手にした日本国憲法。そこにうたわれている主権在民・基本的人権の尊重・国際平和主義を指して、「日本の憲法は世界の宝」の声は広がっている。今年はさらに広がることが予想されているし、またそうしなくてはならない。
だが、美術界を見たとき他の文化分野と比較してこの憲法を守る運動が弱く、美術と反戦・平和の運動に、ある種の距離があると感じるのは私だけではないようだ。
安倍政権は憲法違反の「特定秘密保護法」、自衛隊が海外で戦争に参加できる「安全保障関連法案」を本会議の強行採決によって成立させた。いずれも小選挙区制と言うペテン的選挙制度で得た多数議席に物を言わせたものであった。 この相次ぐ安倍政権の暴走に全国で怒りの声がわき起こり、暴走阻止の野党共闘を実現させたのは当然であった。学者・研究者、法曹界、宗教者、文学、映画、演劇などの各ジャンルは分野の共通コンセプトをつくり、声明を発表し、個々の団体の活動とは別にジャンルの舞台をつくり、また講演などを行いそれはさらに広がり多くの国民を励ましてきた。
その点で言えば美術界の動きは残念ながら私が励まされるものではなかった。動きは鈍かった。美術界に関わる公共展示場での不当な展示制限や撤去など表現の危機についても、当然発言、抗議されるべきところがなされていない場合が幾度かあった。
映画や文学、演劇の分野は70年前の戦争の新たな掘り下げ、戦争と平和について考える手がかりを与えてくれているが、美術について言えばほかの分野と同等あるいは同等以上、先の戦争に組み込まれ、その傷跡は深い。その点を考えれば、現在の日本を再び戦争をする国にしようとする安倍政権のファッショ的な動きに美術界はもっと敏感であって、もっと発言があってよいのではないだろうか。
一つの例を挙げる。昨年近代美術館で開かれた「藤田嗣治、全所蔵作品展示」(9月19~12月13日)に対する、日本の美術界の対応である。この「展示」については美術評論家の北野輝氏が「問題の『戦争画』14点のボリュームに対し、簡略な解説や多少の資料の展示という対応も軽すぎよう。このような藤田『戦争画』の全面公開は、『戦争画』を描いた藤田らが未決のまますり抜けた『戦争責任』問題を今日までそのまま放置してきた、日本の美術界の『戦争責任』回避のすがたを象徴していまいか。そのことを懸念する。」(しんぶん赤旗11月13日「文化の話題」)と述べているが同感である。私もこの展覧会に足を運んでいるが、説明の少なさに驚いた。そして戸惑ったのが一群の女子高校生が巨大な戦争画が描かれた画布の前で感じたこ
とをひそひそ話ながらメモしていた姿だった。この展覧会では何が描かれているか、描かれた時期など作品の説明が全くと言うほど無く、会場で手にすることができる紙一枚の作品目録は作品名のほかに藤田嗣治の戦争画制作に込めた思いや自慢話だけであった。
軍の命令、新聞社の強力な後押し、貧窮な制作条件などの中で戦争画を描いた画家、描かされた画家についてはここでは触れないが、戦争末期に描かれた「戦争画」の評価の中には戦争の実相と切り離してある種「殉教画」「宗教画」のように別格扱いする傾向がある。その典型が藤田嗣治の作品であり、その代表が「アッツ島玉砕」「サイパン島同胞臣節全うす」と言ってよい。画家が戦争「記録画」をどう描くかは画家の自由だが、歴史の実相は、絵と共に存在しなくてはならない、と言うのが私の考えだ。この展覧会にはそれが全くなかったのである。
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