武居利史 たけいとしふみ(美術評論家)
2016年9月、韓国の首都ソウルの美術館をめぐる機会があった。「メディアシティ・ソウル」という展覧会を観るのが主な目的であったが、あらためてソウルの美術館の魅力に触れることにもなった。韓国は、急速な経済成長を遂げた1980年代以降、現代美術の振興に力を入れてきたが、ソウルは近年新たに現代美術系の美術館が増えており、海外からも観光客が訪れている。私が訪問したときに観た展覧会の感想を交えつつ、ソウルの美術館事情について紹介したい。
1 「メディアシティ・ソウル」とソウル市立美術館
「メディアシティ・ソウル」は、2000年に始まったメディア・アートを中心とする国際美術展で、光州や釜山とともに韓国の三大ビエンナーレの一つとされる。「メディアシティ・ソウル2016」(9月1日―11月20日)には、24か国61作家80点の作品が集結した。今回のタイトル「ネリリ キルル ハララ」は、谷川俊太郎の詩「二十億光年の孤独」に出てくる火星語を引用したもの。全体にメッセージ性の強い表現は少なく、淡々と静かに味わう寡黙な感じの映像作品が多い。前回2014年の「亡霊、スパイ、そして祖母たち」の冷戦時代の記憶を強く打ち出した展示にくらべると、一見して曖昧としてつかみどころのない展示ではある。開幕に先立って「ザ・ビレッジ」と「不確実な学校」といったプログラム、「そうですか(COULD BE)」の出版プロジェクトも行われていて、作家と市民が交流する場として、異なる未来への多様な可能性を探索する芸術祭と位置づけられている。今回のキュレーションには、あえて一つの解釈に収斂することを避ける意図が感じられ、そこに現在の韓国社会が向きあう現実もあるように思えた。
主催者のソウル市立美術館は、ソウル特別市が運営している。1988年ソウル高等学校の旧校舎で開館し、2002年に現在の大法院(最高裁判所、日本統治時代は京城裁判所)の建物を改築して移転した。ソウル中心の中区西小門洞にあり、西小門本館と呼ばれる。2004年には、冠岳区南?洞の舎堂駅近くに20世紀初頭に建てられたベルギー領事館を利用した南ソウル分館が開館した。これを南ソウル生活美術館といい、工芸・デザインに特化している。また2013年北東方面の蘆原区中渓洞に北ソウル分館が開館した。この分館は北ソウル美術館といい、ソウル市建築大賞も受賞したポスト・モダン建築で、館内に複数のギャラリーを備え、大規模な収蔵庫を確保する。マンション建ち並ぶ住宅街にあって、教育普及プログラムも充実したコミュニティ重視の美術館として運営されている。私が訪れたとき、東北部美術大学連携発掘プロジェクト「見知らぬ隣人たち」展が行われ、地域の拠点であることがうかがえた。「メディアシティ・ソウル」は、本館と分館の全会場を使って行われる。
同館パンフレットによると、ソウル市立美術館のビジョンは、美しく、優しく、スマートな「ポスト・ミュージアム」、ミッションは世界的かつ地域的な「グローカル美術館」と説明されている。海外から多くの作家を招聘する「メディアシティ・ソウル」は、そうした新しい美術館の姿勢を示すイベントだろう。2006年麻浦区上岩洞には国際的レジデンス施設として蘭芝美術創作スタジオも開設されている。さらに同館ホームページによると、「鍾路区平倉洞の美術文化複合施設(2018年)、道峰区倉洞の写真美術館(2020年)、衿川区禿山洞の西ソウル美術館(2021年)の建設を準備中」とあり、同館の拡張戦略はまだまだ続くようである。ソウル特別市は、日本なら東京都のような広域自治体である。東京都も複数の美術館やワンダーサイトのような施設を有するが、ソウル特別市もまたグローバル化する現代美術の動向に積極的に対応する様子がうかがえる。
2 ソウル館開館で3館体制となった国立現代美術館
国立現代美術館の設立は1969年に遡るが、全斗煥政権時代、ソウル特別市南部に接する京畿道果川市にレジャー施設であるソウル大公園が建設され、その中心に1986年野外彫刻展示場を備えた美術館として本格的に整備された。その後、1998年中区貞洞に1938年竣工の旧李王家美術館の石造殿などを利用した開館した分館が、現在近代美術館として機能する徳寿宮館である。2006年には、日本の独立行政法人に似た責任運営機関が導入された。さらに2013年、ソウル最大の観光スポット景福宮の東側、国軍機務司令部などの跡地に新しいソウル館がオープンした。こうして国立現代美術館は、果川館、徳寿宮館、ソウル館の3館体制が確立した。同館ホームページによると、忠清北道清州市に国立美術品収蔵・保存センターとして清州館が準備中とあり、国立美術館の機能の拡充が進む。
開設30周年の果川館では、果川30年特別展「月は、満ち、欠ける」(8月19日―2017年2月12日)が開催されていた。開館以来の収集品は5千点以上にのぼり、美術品の時代背景・制作・流通・所蔵・活用・保存・消滅・再誕生といったライフサイクルに着目し、コレクションの成果を紹介するものだ。3階に及ぶ巨大な回廊には膨大な作品が並ぶ。1970年代軍事政権下で展開されたセマウル(新しい村)運動のプロパガンダ風の絵画もあれば、1980年代民主化運動を担った民衆美術の作品も展示されている。所蔵品ではないようだが、1階通路を使った優しい光に布が揺らめくパク・ギウォン《桃源郷》、吹抜け空間をダイナミックに使ったイ・ブル《脆弱する意向》など大型インスタレーションも印象深かった。また、併設「子ども美術館」では、遊びながらミュゼオロジーを学ぶ「美術館を素敵に楽しむ5つの方法」という体験型展示が充実していた。
徳寿宮館では、「百年の神話:韓国近代美術巨匠展李仲燮1916-1956」(6月3日―10月3日)が開催中だった。李仲燮は、離れて暮らす妻に送り続けた葉書画や手紙画、ユニークな銀紙画でも知られる韓国の国民的画家である。戦前の帝国美術学校(現武蔵野美術大学)に留学し、文化学院の日本人女性と結婚したが、日本の敗戦、朝鮮戦争の勃発など歴史に翻弄され、最期は孤独に短い生涯を閉じた劇的人生が共感を集める。日本ではそれほど知名度は高くないが、会場は家族連れの大賑わいで人気の高さをうかがわせた。日本と韓国にまたがる美術史を知る貴重な展覧会だった。
ソウル館では、複数の展示が行われていた。まず、映像インスタレーションで有名な金守子の個展「心の幾何学」。《心の幾何学》と題された作品は、観客一人ひとりが粘土をこねて球を作り、楕円形の巨大なテーブルに置いていく参加型作品だった。中庭には韓国の伝統色を思わせる縞模様の入った《演繹的オブジェ》があり、虹色に輝くフィルムを貼ったガラスを通して眺めて美しかった。「今日の作家賞2016」では、ノミネートされた4作家が展示し、中でも韓国美術家賞を受賞したミックスライス(趙芝恩と梁喆模のユニット)のダム造成によって湖底に沈む村落をテーマにした映像とインスタレーションは秀逸だった。「若手建築家プログラム2016」では、廃船になった貨物船を使って安らぎの空間として再生させる、シン・ヒョンチョル《テンプル》のプランが当選し、前庭に実現されていた。セウォル号転覆事故を想起させるが、悲惨な出来事を隠さず、希望の象徴へと転換させる姿勢に韓国らしさが表れているように思った。
3 韓国古来の民族的表現を採り入れる現代美術展
2014年鍾路区乙支路7街にできた東大門デザインプラザ(DDP)も観た。建築家ザハ・ハディドによるコンピュータを用いたシームレスな設計で話題の建物だ。東大門デザインプラザは大きな施設で、同時にざまざまなプログラムやイベントが行われている。週末の夕方だったこともあり、周辺は若者とカップルであふれていた。内部にあるデザイン博物館では、「澗松全エイ弼先生誕生100周年記念展 法古創新 現代作家、澗松を讃える」という展示が行われていた。澗松コレクションは1938年に設立された伝統美術を集めた最初の私設美術館で、その創立者を記念する現代美術展であった。最先端のテクノロジーが生み出した文化施設で、韓国の伝統文化とのつながりが強調されている。メディア・アートのような先端技術を用いた人工的表現と、自然と調和する民族的表現を並行して展示するのも韓国らしい。 今回、龍山区梨泰院路のサムスン美術館リウム(Leeum)は訪れなかったが、同館も2004年に現在の建物がオープンして以来、観光スポットとしても人気が高い。そこでも韓国古来の美術と国際的な現代美術が、親和的に展示されている。日本では日本画・洋画・彫刻・工芸などの枠組み作られた近代美術の歴史の厚みが大きいため、古美術・近代美術・現代美術が区分して認識されており、それぞれ別個に扱われ、美術館機能も分化していることが多い。しかしながら、韓国の近代美術は歴史的に複雑な背景をもっており、ナショナルなものを近代以前に求める態度が強い。古美術と現代美術がダイレクトに展示で結びつくのも、韓国的なあり方といえるかもしれない。
ところで、ソウル市立美術館2階には、カナアート・コレクションの常設展示室がある。2011年に寄贈されたイ・ホジェが収集した200点に及ぶ韓国リアリズム美術のコレクションが展示されているのだ。「現実と発言」「光州自由美術人協議会」「トゥロン(畦道)」「壬戌年」など、1980年代の民主化運動と結びついた民衆美術運動の重要な成果が観られる。国立現代美術館では、果川館で民衆美術とその精神を継承する作品が展示されていたし、ソウル館でも社会派の作家が活躍している様子を見た。現代美術の活動を支える美術館運営の中で、民衆美術の流れが絶えることなく息づいていることを感じる今回の訪問でもあった。ソウルでは、現代美術とその歩みを鑑賞できる美術館が続々とオープンしており、訪れるときの楽しみが増えている。
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