小沢 節子 こざわせつこ(歴史家)
2015年から16年にかけては、40年代後半から50年代までを視野に入れての戦争と美術をテーマとした展覧会が各地の美術館で開催された。私もまた、そうした場で「原爆の図」に改めて向き合い、四國五郎と新海覚雄の作品を知った。
まず、前述の展覧会の多くでしばしば会場の掉尾を飾ったのが、丸木位里・赤松俊子(丸木俊)の手になる「原爆の図」だった。占領下での巡回展についても調査が進み、「香月泰男と丸木位里・俊、そして川田喜久治」展(平塚市美術館)のように同時代の表現との比較考察を深める機会も実現した。15年には米国東海岸を巡回し、16年秋から今春にかけてはドイツでも展示されている。特に後者の「Postwar-Art between the Pacificand Atlantic 1945-1965」(Haus der Kunst Munchen)では、展覧会全体の、すなわち戦後芸術の出発点に「原爆の図」が位置づけられた。「原爆の図」とは1950年から80年代まで描きつづけられた水墨画の連作15部の総称だが、内外の展覧会では《幽霊》《火》《水》といった初期の作品が主にとりあげられた。近年、50年代の社会と文化については、歴史学、社会学、文学といった領域を横断して研究が活性化しており、朝鮮戦争下に各地に叢生したサークル運動などの実態も明らかにされてきた。「原爆の図」は、一国の美術史の枠を超えたモニュメンタルな作品として発見されつつあると同時に、こうした研究においても歴史的表象としての重要性が再認識されている。
16年の夏に相次いだ二つの展覧会ー「四國五郎展 シベリア抑留から『おこりじぞう』まで」(原爆の図丸木美術館)と「燃える東京・多摩 画家・新海覚雄の軌跡」(府中市美術館)もまた、美術史的には忘れられていた/知られざる絵画作品を紹介しつつ、50年代研究に新たな視座を提供するものだった。絵本『おこりじぞう』(1979)の画家として知られる四國五郎は、シベリア抑留体験を経て帰国した広島で弟の被爆死を知り、それを契機として平和運動に参加していった。展覧会でも、シベリア体験と朝鮮戦争下の詩サークル「われらの詩の会」の活動に焦点が当てられた。詩人・峠三吉との共同作業であるガリ版刷の『原爆詩集』(1951)の表紙画や、現存する8点の手描きのポスター「辻詩」は、言葉と絵を組み合せた多様かつ実験的な表現であり、50年代の街頭の文化運動の豊かな可能性を伝える。しかも、こうした実践の経験は、詳述はしないが、四国の中では「市民の描いた原爆の絵」という70年代の市民運動の文脈へと流れ込み、『おこりじぞう』他の仕事に結びついていく。そこには、いったんは何の痕跡も残さずに消えていったかのような50年代の社会的な絵画が、一人の表現者を通して、その後の歴史に連続していくという発見があった。
同様の発見は、50年代の内灘・砂川闘争に取材した新海覚雄の作品にもあった。展覧会では30年代のモダニズム風俗を生き生きと描写した《椅子にすわる女》(1937)などにも目を奪われたが、そうした写実的な人物像は銃後の戦争画を経て戦後の社会主義リアリズムへと抵抗なく接続するようにも思えた。一方、この連続性の間隙を衝く存在感を放っていたのが、タブローとしては結実しなかった50年代のデッサン群だった。米軍基地建設のための土地接収に抗議して座り込みをする婦人たちの姿やむしろ旗の上を低空飛行する巨大な米軍機は、歴史的な現実を的確に捉えて現在にまで通じるアクチュアリティをもつ。一人ひとりの名前とともに丁寧に描かれた砂川の人物デッサンもまた、彼らの内面に迫ろうとする画家の気迫と共感の産物だろう。プロフィルや四分の三正面像という描き方に対しては「何故、正面から描かないのか」と指摘する知人もいたが、私はむしろ、そこに彼のアカデミックなリアリズムの内面化故の、モデルとなった人びとへのリスペクトを感じた。
四國の辻詩にしても、新海のデッサンにしても、アトリエを飛び出した画家の50年代の「現実」との出会いの記録であり、かつての「原爆の図」同様、戦後美術史の叙述からはこぼれ落ちてきた表現である。こうした作品が戦後71年目の年に日の目をみたことの意味を考える。もちろん、それらは戦後日本社会における芸術の役割についての新たな知見をもたらすだろう。だが、それだけではなく、現在の日本社会の息苦しさに苦しみ、表現について模索する者にとっても、少しばかりの新鮮な空気と励ましを与えるにちがいない。
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つるたまさひで (水曜日, 12 7月 2017 20:55)
昭和で言えば、25年から34年という50年代。戦後日本の方向が定まってくるこの時代、さまざまな社会運動が存在し、アートと社会運動の密接な関係がこの小沢さんの文章からも読み取れます。
その時代が、どんな時代だったのか、戦後レジームが形成されたこの時期のことを、戦後レジームを軍国主義的・かつ暴力的に破壊しようとするいまの政権を重ね合わせながら、考えるために、「アート」(あるいは「アートと社会運動」)を切り口に見えてくることはいくつかあるのではないかと思っています。
この時代の運動のポジティブな側面もネガティブな側面もちゃんと見ていくことと、この時代の社会をテーマにしたアートが果たした役割、そして、それがその後のアートシーンの中でないもののように扱われること、小沢さんたちが言説として、ひとつひとつひも解いてくれるので、そこから、いまにつながるものも見えてくるのではないかと思うのです。