せんだい21アンデパンダン展

せんだい21アンデパンダン展実行委員会 代表関本欣哉 せきもときんや

1960年代に開催された「仙台アンデパンダン展」の精神を受け継ぎ、自由な作品発表の場として2012年より開催。「仙台アンデパンダン展2012」、その後「せんだい21アンデパンダン展 2013、2014、2015」と名称を独自のものとして継続し開催いたしました。

 5回目となる2016年には過去最高の157組の作品が宮城県を中心に東京、秋田、岩手、福島など全国各地から出品され、仙台市内のギャラリー5か所及び野外会場の計6カ所をメイン会場として開催しております。

 「アンデパンダンの精神:一切の権威を拒絶し、 純粋な作家の領分をこの場に展開させよう!」のもと、60年代に開催された「仙台アンデパンダン展」の精神を受け継ぐ形で開催した「仙台アンデパンダン展2012」。

 この「仙台アンデパンダン展2012」は「ゼロ・アートプロジェクト」という企画の一部として開催しましたが、2013年からは独立した企画「せんだい21アンデパンダン展2013」として開催し、2016年まで継続開催しております。

 「ゼロ・アートプロジェクト」とは、60年代に仙台読売アンデパンダンなどで活躍した、仙台在住のダダカンこと糸井貫二氏とゼロ次元の加藤好弘いう盟友二人の40年ぶりの再会の記録や、ゼロ次元のパフォーマンス及び作品展、そして64年仙台アンデパンダン展主催者の一人で作家としても活躍した宮城輝夫氏や石川舜氏、翁ひろみ氏、糸井貫二氏による展覧会などを開催しました。

 東日本大震災後、当時を思わせる社会情勢となってきた現在の日本。東北沿岸部では復興が進まず取り残された街。多くの方が大切なものを失い、福島では原発の影響で故郷を失った方も多くいます。5年以上経った今でも、罪悪感、孤独感、未来への不安感など様々な傷を残している方も少なくありません。そのような状況の中、50~60年代に当時の「社会・時代」を表現し活躍したアーティストを紹介し、そしてその方達と対話し繋がることがとても重要だとの思いから「ゼロ・アートプジェクト」を企画、そして、今を生きる作家自身が、積極的に社会に参加し繋がる場として、無審査の公募展である「仙台アンデパンダン展」を企画しました。

 この企画展がその他のアンデパンダン展、公募展と特異している点は、仙台市内の民間ギャラリー複数箇所が連携し開催、会場となっていることです。

 そのような方法をとった理由に、決して恵まれた環境ではない我々の土地、日本、さらに地方都市でギャラリーを運営していくというこの大変さや覚悟というものを、自身が運営していく中で切実に実感していたということが挙げられます。「その場所に責任を持ち、アーティストの表現を引き受けていく」、そのような民間ギャラリー自身の姿勢が、「表現」の一部でもあると考え 、その場所自体もより多くの方々に広めたいとう思いもあります。 野外展示会場を設け、ギャラリーという閉ざされた空間だけではない表現の場をつくる試みもしております。

 またアート造形作品の展示だけでなく、多くのパフォーマンスの方々にも参加して頂くために、パフォーマンス日を設け、せんだいメディアテーク前や西公園など野外で開催し、様々なジャンルの表現者や観覧者の交流の機会にもなりました。

 東日本大震災後の日本、東北、宮城、仙台では様々な事が日々起こっております。このような激動の時代、場所で、以前から作品を発表していた方はもちろんのこと、美術に興味がなかった方や、新たに表現したいと思っている方が誰でも発表できる場、特に思春期に震災を体験し、日常の中で政治に対して一般の方が意思を表現する「大小さまざな規模のデモ」を目の当たりにしている若い方に発表の機会を与えることの重要性を感じ、継続開催しております。

 このような時代に、東北で間口の広く自由な発表の場である「アンデパンダン展」が開催されることはとても重要であり、この地でしか生まれない作品、この場、この時代だからこそ現れる人材が必ずやいるはずです 。

 戦後、1940~50年代を経て60年代に仙台アンデパンダン展が開催されたように、2011年東日本大震災を経て社会と真っ向から対峙する表現が、今後ここ仙台から生まれてくる、その礎の為に、この企画が担う役割はとても重要であると考えております。長年続けていくことにも意義があり、今後10年、20年と続けていければと

思っております。