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「現代の美術と我らの時代」(5)

「美術運動」NO.145特集―企画2017年12月4日湯島:平和と労働センター会議室

対談 森下 泰輔 & 武居 利史

 

司会-今日は美術運動誌に関わってくださっていて、社会的な問題意識の高いお二人に参加していただいて、2017年を振り返って、また近年の美術の問題を語り合っていただこうとの趣向です。よろしくお願いします。森下さんは美術評論、作家、画廊経営者などの幅広い活動。武居さんは公立美術館の学芸員、美術評論、また若いころ画廊の仕事の経験などもある。司会進行の編集の私たちは作家ですが、菱さんは最近画廊経営をはじめ、またコレクターでもある。皆さん経験も豊富なので、お話も楽しく進めることができると思います。

(2018年3月に開催)


戦後美術の メインストリームを探す


村田(編集)-コンテンポラリーアートは基本的にデモクラシーでなきゃ~ね!

 

森下-戦後美術史のメインストリームの解釈ができてない。コンテンポラリーという現在性の見方が必要。ニューヨークなどからみるメインストリームは反芸術とかネオダダ・具体とか、とそうみているわけですよ。日本ではそれらはマイナーな存在のままですよ!

 「この国の特殊性」をリセットしないと・・・。保守美術では「万世一系」まで出てくるわけで、前衛支持派は日展・公募展ぶっ潰せということで、新左翼と似たものになり、両面ともあまり受け入れられずにいる。左も赤軍事件・テロリズムにまで行って市民運動から孤立しちゃうわけ。両面とも受け入れられなかった。日本の特殊性なんだな~。ほかのエリアだと違うわけです。フランスやドイツ、イギリスなど見ると違うわけで、乗っ取るような関係。一度リセットされるわけ。日本はそうはいかない。個人の問題と表現というものがどこまで本物か? ということだろう。

 

武居-森下さんは戦後の美術をしっかりとらえて作家たちにもそれを学んでもらいたいということですか? それは評論家の責任という話にもなってくるけど。

 

森下―表現の表出という問題で「個」と「公」と結び付けているのがアートなんで、歴史的に見た場合、個人の尊厳と権利と表現はイコール。本来、個は政治的問題とリンクせざるを得ない。日本近代美術の成り立ちからそうなんだな~。武居さんがおっしゃったように殖産興業から来ている、東京帝大の下部に作られた工部美術学校では、フォンタネージ(注10)が呼ばれたわけだけど、国家は紙幣の肖像画を作るのが第一だった。明治政府は芸術を振興したのではないのです。

 

武居―工部は続かなくて、東京美術学校ができ、当初ナショナリスティックな美術教育がめざされた。森下-東京美術学校のできるころは今の日本と同じで右傾化していた。岡倉天心の影響が大きい。大日本帝国の美術を人工的にねつ造する政策だったのではないか? 張りぼての近代化。訪米列強になめられないように、笑われないように・・・。

 工部の中から十一人が明治十一年十一月十一日に十一字会(注11)をつくった。そこからのちの「やに派」ができる。政府は意図しなかったが、フォンタネージが芸術性という種を植え付けた。それは凄いことだった・・・。

 

木村(編集)-竹橋の常陳の藤田と国吉対照的な展示は考えさせられる。戦争画の部屋の次に国吉康雄の同時代の絵が隣室にあって、アートとプロパガンダとの差を見せていた。(近美は国吉をまとめて十数点買ったのでは?)

 

森下-戦争画の問題は再検証のブームがあったが中途半端。あの時はあの時で美術であった、という意見が大半。公権力に依頼されて制作された戦争協力画はどうみても美術・芸術とは考えられない。

ヒットラーが同性愛者を処刑した事実に基づき ファシズム「第三帝国」を批判する作品。 処刑されたものの名前が肖像の上に描かれる。
ヒットラーが同性愛者を処刑した事実に基づき ファシズム「第三帝国」を批判する作品。 処刑されたものの名前が肖像の上に描かれる。

ドイツ・カッセル(アテネ)-ドクメンタの在り方


森下―ドクメンタは反ナチから始まった。カッセルと今回はアテネでも開催され、そちらに行った。第1回展は反ナチの問題を前面に出したところから始まった。ナチスの退廃美術の展示からはじまった。今回アテネでも、同性愛者を処刑したヒットラーへの批判作品もあった。

 日本の戦争画の問題は、総括ができないままきてしまったが、ドクメンタを始めたドイツはナチの戦争問題を芸術できっちりと総括している。従軍慰安婦の問題や南京事件だって無かったという意見も増えている。例えればナチによるユダヤ人虐殺は無かったというのに等しくこれは国辱ものです。