カテゴリ:寄稿記事



エッセイ · 2017/06/29
この地を訪ねてみたかったのは、韓国通の女優黒田福美さんの本でDMZを知り、若い時分に歌った「臨津江(イムジンガン)」(イムジンガン 水清く ・・・ )を直接見たかったことや、東西の冷戦や朝鮮戦争で、祖国の分断を余儀なくされたこの地の今を、ぜひ体験してみたかったからです。
美術評論 · 2017/06/27
表現の自由が失われようとする危機感は、昨年東京で開かれた国際美術評論家連盟日本支部のシンポジウム「美術と表現の自由」(2016年7月)でも示された。たがここでは少し過去に遡って考えてみたい。近代美術史を調べていると、表現や発表に対する検閲や自主規制に関わった記述に接することがあり、それらを見ていくと、どのように表現の自由が制限されていくのかを知ることができる。  興味深い一つの例を紹介しよう。1916年(大正5)に起こった出来事を、版画家の永瀬義郎が書き残している。同年に東京で開かれた日本版画倶楽部展(会場:万世橋倶楽部)の出品作をレストランの支配人が購入し、店の応接室に飾っていた。その作品に刑事がクレームをつけてきたのである。裸婦を表した木版画であった。永瀬によると、刑事と支配人のやりとりは次のようなものだったという。

北野 輝氏
美術評論 · 2017/06/27
心配されていた参加者が百人を越えた中、短い持ち時間に苦しみながら最大限意を尽くすべく苦闘されたパネラー各位をはじめ多くの皆さんのお陰で、シンポジウムは滞りなく「無事」終了することができました。しかし無事終了できたこととこの集会が「成功」したかどうかは別でしょう。私はこのシンポジウムの企画者であり、パネラーの一人でもあり、その成否を客観的に判断する資格に欠けています。以下、多分に主観的な判断の入り交じった報告となること、まだいくつかの点で遺漏があることをご了承下さい。なお後日、日本美術会の承認を得て、各パネラーの発言をはじめ本シンポジウムの全容を伝える報告集を出すことが出来ればと考えています。(北野輝)
(安保法制反対の学生・学者・市民のデモ 写真・藤田観龍)
戦争と美術 · 2017/06/18
 アッツ島における玉砕の実際は、今日では資料もかなりあり明らかになっている。それによればアッツ島の日本軍(山崎安代守備隊長以下2667人)は1943年2月時点で船舶補給が断たれた。5月12日米軍が空と海からの猛爆撃支援を受けて上陸、大本営の作戦がグアム島など南東海方面の重視に移り、5月20日「アッツ島放棄」を決定。

戦争と美術 · 2017/06/18
昨年2月、96歳で亡くなった母の遺品中からA4書類箱一つ分に匹敵する戦時中の手紙の束が出てきた。主に親戚、家族とのやり取りに加え出征した父と交わした手紙だったが、招集を受けた父の母に宛てた遺言が遺髪、遺爪と一緒に封に入って束の中にあった。日付は昭和19年6月30日。
戦争と美術 · 2017/06/17
 いま「芸術と自由」という、重くかつ深い問題について考えるとき、僕には避けられない大きな条件がある。それは、「戦争の時代」とイコールで結ばれるあの少年時代、それを覆っている濃い灰色をした記憶の感覚である。それを抜きにしては考えることができない。

エッセイ · 2017/06/17
1948年の春、つまり終戦後2年半を過ぎたころ、わたしは多摩造形芸術専門学校(現・多摩美大)に入ったが、その頃はまだ日本美術会の存在を知らなかった。知ったのは、同じ年の12月、同会主催のアンデパンダン展が開かれたことによる。...
エッセイ · 2016/09/27
日本美術会会員 菱千代子 最初この本を手にしたとき、あまりの厚さと、中身の重さにたじろいだものである。...

エッセイ · 2016/04/19
村田訓吉 戦後70年被爆70年もはや原子力サブカルチャーはメインカルチャーに成長してきました。ゴジラから始まったサブカルチャーは、1974年ノーベル賞文学賞を取られた詩人ハリーマーテインソンにより1956年に抒情詩アニアーラとして現在の宇宙移民関係のSFの基礎をつられています。
アトリエにて 右から 岡本博さん 編集部木村勝昭
アトリエ訪問 · 2016/04/11
編集:松山 しんさく 今年は暖冬なのか、11月半ばというのに陽光がやんわりと心地よい。スマホのナビを頼りに静かな住宅街を往くと、道端に三本の欅の大木が現れた。送電線鉄塔もある。まさに岡本博の世界に入っていく。...

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