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本の紹介
書評 · 2025/02/16
小田原のどか・山本浩貴 編 「近代日本 この国の芸術、日本美術史 を脱帝国主義化する」 月曜社 本体価格3600 円
JARFO の石田淨さん
エッセイ · 2025/01/04
 京都での日韓美術交流展の時、京都・白川と接する古川町商店街の中にJARFO ART SQUARE という画廊があった。この商店街は2016 年だったかJARFO の宿舎があって、泊めてもらった場所のような記憶があった。2019 年には会場に別のJARFO 画廊を貸してもらった。亡き貴志カスケさんの計らいがあったようだった。

旅 バワとウツソンとバラガン
エッセイ · 2025/01/03
01_ 旅  建築を生業にしているので、学生時代から時間があれば建築巡礼の旅に出かけます。グーグルマップ上で訪れたことのある街に印をつけ、さて次はどこ行こうかと思案します。訪れる国や街の選び方に決まりはありません。「なんでそこなの?」とよく聞かれますが、多くの場合、「見たい建築があるから」と答えます。
『中谷泰画文集+アーカイブ』の出版にむけて
エッセイ · 2025/01/02
名品《春雪》と出会う  これまで見る機会のなかった中谷泰(1909-1993 年)の遺作《春雪》(1962 年)が、宇都宮市の栃木県立美術館で開催中の「春陽会誕生100 年 それぞれの問いーー岸田劉生、中川一政から岡鹿之助へ」(2024 年1 月13 日~ 3 月3 日)に出品されていると知り、小山市在住の画家小久保裕氏と連れだって見に行ってきた。

ネパール・ アートビレッジ・プロジェクト
エッセイ · 2024/09/23
「アートで世界を救えるか」  パリのシャルリー・エブド社襲撃事件、シリア空爆の続く中、本誌に金田が『アートで世界を救えるか キッズゲルニカの20年』を寄稿したのは2016 年である。そうした問いを抱きながらキッズゲルニカ (www.kids-guernica.org) の活動を継続してきたが、ロシアのウクライナ侵攻、ハマスの人質事件、イスラエルのガザ地区攻撃と最近の世界情勢は混迷を深めている。
首藤さんと私
エッセイ · 2024/08/14
 2023 年4 月12 日、首藤教之が逝った。90 歳だった。  首藤さんとは2006 年、ノー・ウォー美術家の集い横浜のパーティで初めてお目にかかったと記憶している。修士課程を修了し当ても無く彷徨っていた私は、2004 年に池田龍雄と出逢い戦後美術や暗黒舞踏のアーティストの紹介を受け、小さな雑誌や展覧会のパンフレットに批評を書きはじめていた。2006 年とは、横浜市芸術文化振興財団(当時)が運営するZAIM のアルバイトと、横浜の専門学校の非常勤講師、週刊新聞「新かながわ」での展覧会評等が始まったのであった。

2023 日本美術会シンポジウム
社会と美術 · 2024/08/14
基調提案:薮内 好(理論部)からの提案はA4-6 枚の本文、30分のスライド上映と説明でした。日本美術会「会報NO.144」にその本文と3 名の創作体験報告者、寺川真弓・中田耕一・韮塚作次から提出していただいた資料が全文掲載されています。本誌にそれを再録するのは無理がありますので、会主催の総会を挟んだ各年開催のシンポジウムが、このコロナ・パンデミックの困難の中、ようやく再出発した様子を写真構成します。
働く人としての美術家 ―神戸市立小磯記念美術館「働く人びと」展
美術評論 · 2024/08/14
 絵画表現に「労働」というテーマの熱い時代があった――昨年、神戸市立小磯記念美術館で開かれた、小磯良平生誕120 年特別展「働く人びと 働くってなんだ?日本戦後/現代の人間主義(ヒューマニズム)」は、そんなことを考えさせる展覧会であった。

日本美術会と美術家の戦争責任問題(1)-序文に代えて-【後半】
戦争と美術 · 2024/07/28
「藤田スケープゴート」説 (夏堀全弘『藤田嗣治芸術試論』)をめぐって  なお「内田の藤田追放」説と対をなす俗説に「藤田スケープ・ゴート」説(藤田は日本の美術家たちの身代わりとなって戦犯の罪を負った、あるいは負うよう説得された)がある。こちらは2016 年の藤田展の際にに示された「と説得されたとといいます」という文言と内容がほとんど同じだが、それは主に藤田自身の「言いふらし」がもとになったものらしい。いずれにしても両俗説の内容は実質的にはほぼ同じであり、ここでは簡単に触れるだけで十分だろう。
日本美術会と美術家の戦争責任問題(1)-序文に代えて-【前半】
戦争と美術 · 2024/07/28
北原恵氏の論文の意義  『美術運動』前号(No.150 2023.3)に北原恵氏の論文「日本美術会『戦犯リスト』をめぐる、いくつかの疑問』」が掲載されている(同上 p.14~21)。私が表記のテーマにより草創期の日本美術会(以下、日美)、が直面した美術家の戦争責任の追求という重要問題に取り組むことを決めたのは、私自身も戦争責任問題に関心を持っていたせいもあるが、実は同論文に誘われた、いや鼓舞されたからである。

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