戦争と美術

日本美術会と美術家の戦争責任問題(1)-序文に代えて-【後半】
戦争と美術 · 2024/07/28
「藤田スケープゴート」説 (夏堀全弘『藤田嗣治芸術試論』)をめぐって  なお「内田の藤田追放」説と対をなす俗説に「藤田スケープ・ゴート」説(藤田は日本の美術家たちの身代わりとなって戦犯の罪を負った、あるいは負うよう説得された)がある。こちらは2016 年の藤田展の際にに示された「と説得されたとといいます」という文言と内容がほとんど同じだが、それは主に藤田自身の「言いふらし」がもとになったものらしい。いずれにしても両俗説の内容は実質的にはほぼ同じであり、ここでは簡単に触れるだけで十分だろう。
日本美術会と美術家の戦争責任問題(1)-序文に代えて-【前半】
戦争と美術 · 2024/07/28
北原恵氏の論文の意義  『美術運動』前号(No.150 2023.3)に北原恵氏の論文「日本美術会『戦犯リスト』をめぐる、いくつかの疑問』」が掲載されている(同上 p.14~21)。私が表記のテーマにより草創期の日本美術会(以下、日美)、が直面した美術家の戦争責任の追求という重要問題に取り組むことを決めたのは、私自身も戦争責任問題に関心を持っていたせいもあるが、実は同論文に誘われた、いや鼓舞されたからである。

「《クォ・ヴァディス》の秘密 ~シュールレアリズム画家北脇昇の戦争」にみる北脇昇と草創期の日本美術会
戦争と美術 · 2024/07/13
2023 年7 月2 日、NHK-E テレ「日曜美術館」で「《クォ・ヴァディス》の秘密~シュールレアリズム画家北脇昇の戦争」が放映されました。ご覧になった方も多いと思います。  北脇昇氏は日本美術会の創立会員で、1947 年に京都支部ができた時には支部長もされていた方です。ご病気で1948年に支部長を退き、1949 年に「クォ・ヴァディス」を発表し、1951 年に亡くなられています。 
ガザに明日はあるのか
戦争と美術 · 2024/06/08
もう手遅れだ!! ハマスの攻撃と人質作戦は誤算だった。犠牲があまりに大きすぎた。パレスチナの怒り、忍耐が限界であったことはよくわかる。パレスチナの怒りがマグマになって爆発したのだ!! しかしネタニヤフのあの残忍さはイスラエルのヒトラーだ。救いがない。無差別の攻撃がガザを破壊しつくす。人の心までも。無差別に病院、学校、商店、住居等。私の招待したガザの画家達の画廊も破壊された。ハワジリの親族10 人が殺された。イサの母親、甥も殺された。まるでホロコーストだ。ネタニヤフは民族浄化をねらっている。パレスチナ人は存在しないし領土は全てイスラエルのものだと入植を繰り返している。

日本美術会「戦犯リスト」をめぐる、いくつかの疑問(4)
戦争と美術 · 2024/04/07
(4)今後の課題  本稿では、1946 年の「美術界に於て戦争責任を負ふべき者」のリスト作成の経緯と、リストや二種類の『会報』をめぐるその後の言説を簡単に整理した。言説の波は、敗戦直後の1946年以降は、二回の波があったことがわかる。
日本美術会「戦犯リスト」をめぐる、いくつかの疑問(3)
戦争と美術 · 2024/04/07
(3)日本美術家の「戦犯リスト」をめぐる言説 ①敗戦直後、リスト作成までの言説――GHQ の公職追放令  リスト作成に最も影響を与えたのはGHQによる公職追放の動きであろう。1946年1月4日、GHQ は日本政府に「公職追放令」を通達し、追放の範囲をAからGまで7項目に規定して1948年5月までに20万人以上を追放した。美術家や文化人たちを怯えさせたのが、最後のG項「その他の軍国主義者や極端な国家主義者」である。

日本美術会「戦犯リスト」をめぐる、いくつかの疑問(2)
戦争と美術 · 2024/03/31
(2)1946 年リスト作成・再審議の経過  まず、1946 年の「美術界に於て戦争責任を負ふべき者」のリスト作成の経緯について、『日本美術会々報』(以下『会報』、3 号-1 及び3号-2も含む3)をもとに、簡単に振り返っておこう。  1946 年4 月21 日、日本美術会が結成される。72 名のメンバーと来賓が目白の自由学園講堂に集まった。
日本美術会「戦犯リスト」をめぐる、いくつかの疑問(1)
戦争と美術 · 2024/03/30
1)はじめに  アジア太平洋戦争中に戦争画を描いた画家たちは、戦後、どうしたのだろうか?  責任の追及や議論はどうなったのか? 他の美術史研究者と同様、私にとっても関心のあるテーマである。

沖縄の復帰50年・「美術運動」総力取材
戦争と美術 · 2024/02/24
沖縄県立博物館・美術館の一日  博物館は大阪の高校生の修学旅行生で混んでいた。三山時代(戦国時代)を経て琉球王国、薩摩藩による琉球支配。琉球王国は独立の形を保ったが、明貿易の利権を薩摩が奪う。
ここが地獄か、極楽か
戦争と美術 · 2022/08/18
 2021 年 7 月 17 日から 9 月 5 日まで、埼玉にある丸木美術館で個展「ここが地獄か、極楽か」を行った。太平洋戦争はどういうものであったのかを、地獄図的な絵と、当時の標語を展示して戦争への国民的狂気の姿をみせたかった。

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