美術評論

働く人としての美術家 ―神戸市立小磯記念美術館「働く人びと」展
美術評論 · 2024/08/14
 絵画表現に「労働」というテーマの熱い時代があった――昨年、神戸市立小磯記念美術館で開かれた、小磯良平生誕120 年特別展「働く人びと 働くってなんだ?日本戦後/現代の人間主義(ヒューマニズム)」は、そんなことを考えさせる展覧会であった。
反ユダヤ主義検閲に見るアートの限界とウクライナ、エコロジー。
美術評論 · 2024/06/08
 現代アートは「炭鉱のカナリア」、最初に最初に鳴くのをやめて危険を警告する予言者の立場もある。2019 年、あいちトリエンナーレにおける「表現の不自由展事件」の際、初代森美術館館長、デヴィッド・エリオットは、芸術の役割を炭鉱のカナリアの比喩として語った。  その意味ではヴェネチア・ビエンナーレはつねに予言的な役割を発信してきている。それだけ世界美術が時代性に密着している証拠だ。

「『二つの栃木』の架け橋 小口一郎展  足尾鉱毒事件を描く」を企画して
美術評論 · 2024/01/16
企画に至るまで  今から5 年前の2018 年1 月から3 月にかけて、栃木県立美術館では同じく日本美術会で活躍した鈴木賢二を取り上げ、回顧展を開催した。その様子は、本誌NO.146 に掲載の拙稿でも報告している。この鈴木賢二展を、小口一郎研究会の代表を務める篠崎清次氏にご覧いただいたことが、今回の小口一郎展の開催に至る最初のきっかけとなった。
【追 悼】初期作品にみる富山妙子の作品世界
美術評論 · 2022/10/29
日韓において敗戦/光復(解放)50周年を迎えた1995年は、富山妙子にとって重要な展覧会が三つも続いた多忙な一年だった。民主化政権を登場させたばかりの韓国では、光復 50 周年を迎える同年を、「韓国美術の年」と定め、秋に第1回光州ビエンナーレを開いた。

美術のアウトサイドから権威・権力を批判する逆説的存在
美術評論 · 2022/08/13
 2020 ~ 2021 はコロナ禍のさなかの国民の同意なき五輪延期・強行という年でもあったが、2つのバンクシー展が開催された。1つは横浜アソビルでの「バンクシー展 天才か反逆者か」(2020 年 )、いま 1 つは寺田倉庫 G1 での「バンクシーって誰?展」(2021 年 ) である。しかし、これらの美術展はともにバンクシーの許諾無しに行なわれたもので、バンクシーのコレクターが中心となって勝手に開催されたものだ。
美術評論 · 2021/07/17
朝鮮画を分析した韓国語書籍を日本語に翻訳しました。朝鮮画とは朝鮮民主主義人民共和国(以下「共和国」)で描かれる東洋画のことです。中国画、日本画、韓国画とどのように違うのか、その特徴は何なのか。同書は朝鮮画について、大韓民国(以下「韓国」)の人々を主な対象に書かれたものです(原著は2018年3月刊行。英語版は2019年12月刊行)。

「『美術運動』を読む会」は続く
美術評論 · 2021/06/27
 「『美術運動』を読む会」の東京都現代美術館、国立新美術館という主だった活動については、『美術運動』No.139(2012年3月)に詳しい。2018年には主催者のJ・ジャスティン、2019年には足立元、2020年には私が著作を出版した。
「美術運動」オンライン座談会
美術評論 · 2021/06/27
木村(司会)―コロナ禍の座談会です。オンライン座談会。上野さんは金沢から、冨田(葛飾)、私は横浜からの参加です。  京都「三人社」による美術運動:復刻版第3巻の配本がありました。昨年からのコロナ禍の大変な時に出版され、契約に基づき送られてきましたので、それを宅急便で回して、一応見ていただきました。 感想はどうですか?

表現の不自由展を取り巻く状況と仮処分の意義
美術評論 · 2021/06/13
2015年に立ち上がった、公共の施設や空間で検閲や規制を受けた表現を集め展示する「表現の不自由展」。副題は「消されたものたち」で、図らずも不自由展そのものを指す言葉としても機能している。
美術批評の未来と現状
美術評論 · 2021/02/21
我々は何も知らない  私はこれまで美術研究を美術の専門家のみに理解されるだけではなく、多くの方々に興味を持たれるように工夫してきた。美術の理論を拡張したところでも結局はそこに留まってしまい、興味のない方々には届かない。

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