第62回日本アンデパンダン展のアートフォーラムは、「この時代・青年の生活と創造とアンデパンダン展」と題して、各界から6人のパネラー(別掲)を招いてのディスカッションとなりました。参加者からは、「この話を聞けたことはすごい収穫だった」「この企画そのものに値打ちと未来を感ずる」といった感想も聞かれる画期的な企画となりました。その全部を収録することは無理なので、一部「打たれ弱い若者論議」から「私たちの創造とアンデパンダン展に求めるもの」にわたった討論の部分を紹介しておきたいと思います。各パネラーの基調提起は資料集にも、呼びかけのチラシにも書かれているので参考にしていただきたい。
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各パネラーの基調発言のあと、「そういう時代のとき、我々はどういう表現をしていったらいいのか、また、アンデパンダン展が自由であるというだけでなく、生きている場として、社会への前向きの視点を持つ場として、将来へ繋いでいくには・・・」 (司会-首藤)の提起を受けて、
荒川「今、若い人たちは打たれ弱いのではないか」
百瀬「人はなぜ美術を創るのかということと無関係ではない。創造とはその人を太 らせていくものであり、作品は独立して歩いていくものだから、打たれるということの意味を考えることが大切だ」
増山「表現とは、打たれてなんぼ、の世界なのだが、打たれ弱さとは何だ。育ちにも起因するだろうが、食事にも問題があるのではないか」
竹内「弱さの原因に、怒られてこないできたことがあるのではないか。自分で自分の価値を見出すためには、自分で自分を貫くことと、まわりを良く見ていくことが重要だ。あと、便利すぎるようになった世の中も原因しているのではないか。めんどうくさい手続きが悪いことだという傾向が弱さを生んでいるようにも思える」
浅尾「若い人にうつ病が広がっているが、批判されたから心が折れるだけではない。職場での複合的な要因がそうさせていっていると思う」
森下「現実を認識するときに私たちは想像力で認識していくが、象徴機能(何か言われたときにもシンボリックな部分を使って分析して考える)が衰弱してきているため、言われたことが全部自分に突き刺さってくるのではないか」
竹内「思考能力は低下しているとは思っていないが、社会とコミットして考えられなくなってきていて、妄想力だけが高まってしまっているのでは。社会と自分との考えを相対化しながら考えていくことが大切なのではないか。そういう意味で、アンデパンダン展というのは批判的だったり、社会に対して考える場であったりすることが大切だと思う」
百瀬「創造というものは自己肯定感が大切で、本質的なところで自己肯定感が伴わないと強さの裏づけがないのでは」
浅尾「太宰治はその自己肯定感とはなれて、どうしようもない世界を描いており、私生活を道連れにして自殺に至るわけですが、その作品が今読まれているわけです。その中に一つの人生の真実、生きることの大変さ、辛さ、罪の意識とかが表現されていて・・・。僕はそれを乗り越えようとおもうけれども、すべての芸術の底に自己肯定感があるかというと、それは危うい」
首藤「デザインフェスタなどを見て思うのは、何とか自分が売れるようにとする場面もあるけれども、そこにある本質はものを表現したいという欲求なのだと思う。今の時代の表現は実に多様で、表現は時代とともに動いていてあらゆる表現の形があるわけで、その表現の欲求の感触がぼくらの展覧会にも広がっていくことが自然なのでは」
竹内「表現したいという気持ちというのは作品の大小関係なくもっていることを、アンデパンダン展としてどう見せていくかは課題だと思います。みんなそう思っているわけだから、ここに集まっているみんなが、小さなものがもっている大きな意味をしっかりと見せていくためにがんばっていってほしいし、僕自身も一人一人が強度をもって発展させていけるようがんばっていきたい」
その後の会場からの発言の一つ一つも、今後のアンデパンダン展をみんなが守り育てていく意欲に満ちたもので心強いものとなりました。
パネラーのみなさん、参加者の皆さんに心からの感謝を。 (ももせくにたか・第62回日本アンデパンダン展実行委員長・美術家)
パネラー 浅尾 大輔(作家) 荒川 苗穂(出品者・青年美術展) 竹内 大悟(ファッションデザイナー) 増山 麗奈(桃色ゲリラ) 森下 泰輔(現代美術家・美術評論家) 百瀬 邦孝(第62回展実行委員長) |
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