Mot Collection
クロニクル1947-1963|アンデパンダンの時代
Chronicle 1947-1963|Days of Independent Art exhibitions
前期:2010年10月29日―2011年1月30日|
後期:2011年2月26日―5月8日
東京都現代美術館|常設展示室
「死の国の旋律-アウシュヴィッツの音楽家・囚人たちの楽団」(NHKスペシャル再放送)は深く静かに、そして強く心に響く番組でした。
今は美しい白髪になった老婦人3人のそれぞれの体験と想いが映し出されます。それは、1日として忘れることの出来なかった恐怖と慟哭の日々でした。
1日に1万人もの人間がガス室に送られ、殺されることがあったアウシュヴィッツ収容所。カムフラージュのためシャワーを浴びると偽って服を脱がせガス室に連れて行くのは囚人の役割、音楽を演奏するのも囚人たちでした。音楽家になるという少女時代の夢が突然、収容所での仕事!になったのです。
若く魅力的な美人だった3人の写真と交互に当時のアウシュヴィッツの縦じまの囚人服を着た人々のすごい行列が映し出されます。
一度、楽団員を辞めたいと申し出た時、楽団か懲罰労働かどちらかを選べと言われたそうです。そのとき「銃殺ではない、もっと時間を掛けて必ず殺される」ことを直感した彼女は楽団にとどまるしかありませんでした。「その時、私は敗北したのです。」と少し痩せた白髪の老女は悲しく悔しそうに、しかし、強い意志を感じさせる口調ではっきりとテレビに向かってそういいました。「私は敗北した」と。50余年前の辛い日々の記憶は消え去ることがないのです。目前の強烈な死の恐怖、演奏していればいっときは明日に延ばされるわが命、安堵と後ろめたさを抱いてすごした日々でした。こんな演奏がかってどの世界にあったのでしょう。終戦後10年経って、ようやく収容所にいき、殺された人々に謝罪されたそうです。
番組の最後にアウシュヴィッツのその思い出の場所にたたずむクローズアップされた婦人の横顔が15秒ほどか映し出されました。人間の尊厳とでもいうべき凛としたお顔でした。テレビを消して眠りについても長い時間まぶたから離れませんでした。そして横になりながら今書き始めて、なかなか進まない原稿についても想いが及ぶのでした。
東京都現代美術館で今常設展示されている「クロニクル1947-1963/アンデパンダンの時代」について、〆切が間近に迫っても、今ひとつ中心が見えず、展示されていた作品を思い出したりして、グズグズしていたのです。そしてテレビを見ていて、なにかの輪郭が浮かんできたように思うのでした。
日本の戦後すぐに出発した2つのアンデパンダン展。時代や社会の中の自分を見つめ、創作に熱い心でぶつかり、あがいた若い人たちがいたのです。
日本アンデパンダン展の第1回は1947年。私の生まれる1年前です。随分古ぼけて、ところどころ破れた第1回展の出品要綱は出品料30円ということより、そのぼろぼろ加減の方が長い時間の過ぎたことをリアルに感じさせます。「戦後の焼け跡から新しく芽吹いた雑草のように」「腹はへっていたが、あの時ほど動き回ったことはない」と永井潔さんは書かれましたが、日本美術会の発足やアンデパンダン展はそれまでの抑圧され、命が切り刻まれた重く辛い日々から解き放たれた喜びと夢にあふれた出発でした。
もう1つの(読売)アンデパンダン展に出品した人達も含め、「新しい時代の新しい美術」「何ものにも束縛されない自由」を創造の夢に繋いで、それまでの美術界の制度やしがらみのない自由な発表の場で果敢な挑戦を続けました。
今回の「クロニクル・・・展」の16年間に限ってもたいへんな量の作品が創られ、美術史の中で外せない作品の数々も残されました。激動の社会や政治に飛び込み、「政治と美術」に悩み、リアリズム論争の熱風に煽られ、または一人静かに筆を動かしていた人。一方では早くも入ってきたアメリカやヨーロッパの新思潮の美術動向をストレートに、あるいは斜交いに受け入れた人。いずれもがアンデパンダンという発表の形と時代が切り結んだ貴重な結果を残したと言えるでしょう。
内田巌「歌声よ起これ」(第2回展)をはじめ、井上長三郎、山下菊二、中村宏、池田満寿夫や「反芸術」の作家たちなど才能ある作家たちは現実に踏み込み、対峙した創造的な作品を残しました。その1方で展示されている作品だけでは当時のアンデパンダン展の空気全体が見えてこない気もするのです。
私は第1回展から15回展までの出品目録にある全作品名をパソコンに入力したのですが、題名として「風景」「静物」「自画像」などが思っていた以上に多いことに驚きました。職場サークルなどの勤労者や学生がそうした対象を見つめ、実直な探求と模索を始めたであろう作品群は美術館の壁にはないが美術史のもう1面であるでしょう。これらの作者はこのときの熱い思いを抱き続け、その後どう生き、どんな作品に実を結んだのでしょうか。
そうした作品への繋がりも感じさせる今回展出品作で吉井忠「馬鈴薯の皮をむく女」は私が最も感銘した作品の1つでした。他には鶴岡政雄「重い手」寺田政明「絶命」もやはり、すごい作品でした。
「富国強兵」「天皇制絶対主義」の国家思想に組み込まれ、欧米の後追いとコンプレックスが形作った明治以来の日本美術史、官展・在野展、いずれもが権威と欧米からの新規を求めてきた戦前までの美術界は戦後もそのままに引き継がれました。「冷戦」が戦後と同時に始まり、戦争責任が結局曖昧なまま進んだことと関連するのでしょう。
「2つのアンデパンダン展の時代」は早くも多くの社会、政治の激動と変化があり、「政治と美術」や新しい欧米からの刺激に浮き足立っていた面もあったように思えますが、こうした権威とその継続に「自由」の楔を打ち込んだ歴史は貴重なものでした。
現代は予測不可能なほどの資本と科学の発展があり「美術」は関係や概念の拡大と分散になり、捉えどころがないようにさえ思われます。同時期おなじ美術館の常設展示では若い女性のコマーシャルのような映像作品が映し出されていましたが、あれは現代の求める「癒しや自然回帰」と関連するのでしょうか。立派な現代美術館の白い壁の大きな部屋にならぶ菊畑茂久馬の「奴隷系図」や中西夏之「洗濯バサミは攪拌行動を主張する」が場違いなところで裸にされ、恥ずかしいようにさえ見えます。「アンフォルメル旋風」や「アバンギャルド」「反芸術」はもはや美術史の中に埋もれてしまうかと思われるくらい、新しい表現形態が現出し、もはや戦後の「自由」は無意味になったのでしょうか。
私はこの夏、図書館にある戦前戦後のDVD名作映画を数多く観ました。最近のCG映画やテレビの映像にあまりにうんざりするからです。あのすばらしさを取り戻すことは出来ないのか。という無理なのかもしれない想いがどうしても強く在るのです。
「クロニクル・・・展」の「実直な力強さ」とでもいうべき精神、老婦人の凛とした横顔を思い浮かべます。
編集部
日本アンデパンダン展が歴史的な検証を経て、読売アンデパンダン展とともに、「アンデパンダンの時代」として、広い視野から見直された初めてのパブリックな場での企画展示だと思います。半世紀を経て、ようやくバランスの取れた評価基準が示されたのだと言えないでしょうか?
戦後の日本美術に関しては、いろいろな見方が有りうるとしても、今回の展示は日本美術会の資料の充実がまずあって、中谷泰、井上長三郎、吉井忠、永井潔と作品展示があって、もちろん鶴岡政男さんの「重い手」や新海覚雄の大きな絵もあり、幅広い出品作家が網羅され、納得する展示になっている。
後期の展示もあるので、何が展示替えされて出品されるか楽しみでもある。担当学芸員の藤井さんに案内していただいて取材したが、またじっくりと1人で展示作品を味わってみたいと実感した。
読売アンデパンダン展は、1964年の第16回展開催の前月、突如中止の宣告が主催者側から申し渡され、結果的に1963年の15回展が最後となった。
日本美術会の主催する日本アンデパンダン展はその後も継続。今年63回展を国立新美術館で開催して史上最高の鑑賞者数を記録している。今回の「アンデパンダンの時代」を知らない出品者や海外からの出品者も増えているわけで、是非、今回の「クロニクル1947-1963|アンデパンダンの時代」を観ていただき、こうした歴史の上に私達はバトンタッチをして走っていることを実感して欲しい。そういう感慨を持って観たのだが、さてあなたはどう見たのか?「美術運動」はその声を待っている。
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